嬉しかった。本当に嬉しかった。

  kikuzakiitige_blue-thumb とぎれとぎれの声が伝わってくる。
 「先生、・・・・」「どうした?どうだった?」
 「先生、・・・、受かりました、・・・ありがとうございました」
 昨日は新潟大学の合格発表。ウチの生徒も受験していた。その子は中学の時から6年間通い続けてくれた。彼女と約束をしていた。昨年の初秋のことだ。「オレが市長に当選し、あなたが大学に受かる。とにかく精一杯やろう!絶対合格させるから。」
 11月の選挙後、とにかく他の受験生の指導と共に全てを集中した。学習塾なのだから当たり前なのかもしれないが、彼女に関しては色々な意味で自分自身が問われているような気がしていた。教員志望の彼女は本当に素直なお嬢さんで、ご家庭でのしつけや育て方、環境の質の高さがうかがい知れる。こんな彼女には浪人生活は無駄だ、と思った。また、彼女を落とすような教育学部なんて全く意味が無いようにも思えていた。
 センター試験で思うように点が取れず、厳しい状況にあったが、「どうしよう」、と相談を受けたとき私は「第一志望!」とアドバイスしていた。もちろん、データや彼女の力から見て十分挽回できると見たわけだが、正直私自身の意地もあった。彼女と共に学んだここ数ヶ月、私は様々なことを考えた。進路が切りひらかれる彼女。未だ停滞している自分。だから、尚のこと彼女の合格が嬉しい。本当に嬉しい。彼女の声に私の声もうわずった。そして、少しだけ自信を取り戻せた感じがする。ありがとう。

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2005年10月 6日

秋の山には危険もいっぱい

 4時起きをして山に行って来た。キノコが目的だが収穫は少なかった。しかし、自分ながらの達成感はある。というのは、

 1,地図とコンパスだけでルートの無いやぶ山をこぎ、頂上を極めた。頂上からの眺望は素晴らしかった。

 2,初めて野生のマムシと遭遇した。(因みに下の方に写真がありますので、ヘビが嫌いな人:私も嫌いだが、はスクロールしないで下さい)

 1に関しては兎巾山(676m)という山である。 柏崎と上越(旧吉川町)との境にあってその昔は柏崎市がスキー場を作ろうとした山である。随分遠回りをして上越側の林道から登っていった。山に行く方は想像できるであろうが、見通しが利かないやぶ山の単独行はかなり不安なものである。ルートは間違っていないはずだ、と思いながらも、間違っているのでは、と不安になり、時に泣きたくなるときもあるのだ。大のオトナが、と笑われそうだが、今日も何回と無くそういう状況に立ち至った。それでも、と意を強くし頂上にたどり着いたときの満足はかなりなものであった。晩秋雑木の葉が落ちる頃であれば何と言うことのないものだったと思うが。

 そして、マムシくんである。頂上で何とか腰を下ろすだけのスペースを確保し、銀マットを敷いておにぎりに日本茶という日本人を満喫し、さてそろそろ、と思って銀マットを取り上げた途端、下からマムシくんが出てきた。ご覧の通り、子どもなのだが、風体はそれなりである。小さいとはいえビックリした。お尻の下にマムシがいたのだ。自然の中のマムシは初めてだった。捕まえてやろうと思ったが、食後の放屁を思い出し、そのまま見逃してやった。マムシ酒に変な臭いがついていたのではたまらん。

 下りでは、太陽=南の感覚があり、コンパスも見ずにしばらく進んだところ、どうにもおかしい。改めてコンパスを見ると東である。時計を見ればまだ8:30そりゃそうだ。南に進路を取り直し、林道にたどり着いた。あのまま進んでいたら、まだ山の中だったに違いない。

 何事にも先達はあらまほしき事なり。(徒然草第52段)

                  

                       

                     mamusi_1_thumb

 

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2005年10月 5日

赤レンガと旧公会堂

 日石跡地の赤レンガが柏崎日報はじめ、今日は広報かしわざきのトップを飾った。赤レンガは天下の大事だろうか。正直なところ柏崎の発信力の低下を危惧する。

 koukaidou_5_thumb

と書きながら、写真は旧公会堂である。これは今年の春撮ったものだが、今、庭の方には立入禁止の縄が張ってある。うらびれた廃墟に近くなってきている。少なくとも、高忠さんが柏崎町に1935(昭和10)年寄付されたものである。そして、地元からも再三、整備の要望が出されている。西川市長時代2期目の公約として地元で話された事柄である。  

 事柄はこれだけではない。モタモタしている。こう書くと、民主主義は時間がかかるものだ、等と訳知り顔が必ず出てくる。

koukaidou_niwa けれども言う。モタモタすんな!公会堂に縄が張られ、草が茂り、クモの巣が張り巡らされるまで何ヶ月もかからなかった。 

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2005年10月 4日

中曽根さん、後藤田さん、亀井さん

 順不同とはいえこの順かなあ。私の本棚には中曽根康弘氏の著書「天地有情  50年の戦後政治を語る」、後藤田正晴氏の「情と理 後藤田正晴回顧録」がある。後藤田氏は中曽根内閣の官房長官である。亀井静香氏は中曽根派の後継者である。

 後藤田さんが法務大臣を務めた際に、死刑判決を受け執行命令が出されていない人が50数名いたという。「死刑の執行命令を決済するか」という問いに対して、後藤田氏は「おれは必ず決済するよ」「法律の意義とはそういうものだよ」と答えたという。団道重光氏から送られた死刑廃止論の著書を熟読し、その考えに反対ではない、としながら決済をした後藤田氏の賢察は深い。私自身は死刑廃止論者だが、毎日のように報道される「親が子供を虐待」、などという項目を見るたびにその考えが揺らぐ。

 中曽根さんは、著書同様最近の新聞紙上での論評に深く考えさせられる。また、「天地有情」は正に日本の行く末を考え抜いた本である。

 後継者たる亀井静香さんが自民党を追われ、衆議院本会議場で端の方に座らされていることに無情を感じるという早野透氏の問いかけに対し、

 「私も無情を感じますね。でも、これが政治だ。かつて政治の舞台で思い切ったことをやった人は、みんなこういう艱難辛苦を受けた。・・・・・・政治の中身は権力闘争だから、失敗すれば島流しのような目に遭うのも当たり前のことだ。それを切り抜けてきた人間が、ある意味では本物の政治家として成長してくる。大隈重信、犬養木堂もそうだった」(朝日新聞:9月29日)と亀井氏を励ましている。

 その亀井氏の著書を拝読したことは無いが、死刑廃止議員連盟の会長であることは前から知っていた。そしてこれまた前にも書いたが、私はなぜか亀井氏が好きなのだ。部下分隊はともかくも。亀井氏のホームページを初めてみた。皆さんもご覧下さい。

 亀井静香プロフィール:高校生、大学生時代、立候補の経緯はなかなかである。

 亀井氏の考え:ふるさとへの思い、日本への思いが感じられる。

 政治とは、と考えさせられる。

 

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2005年10月 3日

清流に魚は住むか?

 過日、県北の川を訪ねた。県に、その川で魚を捕ることが認められているか、否かを確認し、元となる条例規則をダウンロードし、熟読した上での遠征だった。そこまでするか?我ながらそう思う。

 結果は、上々であった。収穫もあり、何より天気が良かった。水は透明で、山には秋の落ち着きがあり、最後の稲刈り時期を迎える田んぼは黄金色に輝いていた。ハンドルを握る道すがら考えた。

 平和な、のどかな暮らし。未だ日本の田舎にはある。ここには、アメリカもイラクもない。株価の動向も関係ない。郵政民営化は関係するだろう。都会の方々には想像できないだろうが、田舎ではお年寄りが、乳母車のようなシルバーカーを押して、歩き、近くのAコープ(農協)で買い物をし、郵便局ではもちろんATMなどは使わず、窓口で年金を下ろす。息子夫婦、孫たちは都会や近くのマチに出ているのだ。

 日本は最先端を進みながら、知識を集約させるような産業を、よく言われることだが研究開発型の企業を機軸としていかなければならないと思う。それもかなり急いで産業構造を変えていかないと、地方都市からまず、影響を受けてくる。

 柏崎でも、数年前に大型建設機械メーカー小松エストが撤退し、多くの従業員が転職や栃木県真岡への転勤を余儀なくされた。工場跡地は柏崎市が61,500㎡を21億で購入し、当時は小学校の移転とミニ新幹線用の駐車場用地と説明された。そのほかに研究所用地もあった。そのコマツはアジアの建設需要に押されて、業績が向上し、新たに新工場を建設するという。地元石川を視野に入れているのだろうが、もう一度柏崎へ、というアプローチは考えられなかったのだろうか。何よりも技術力を備えた人材がいる。

 超アナログの世界と超デジタルな世界が未だどのように進めばいいか迷っている。郵政民営化は象徴的だが、全てではない。この辺を解決していくことが日本の第二次経済成長を導くような気がする。成熟した経済成長と尊敬を集めうる外交。日本人のメンタリティというものがまだあるとするならば、今こそ考えなければならない時であるように感じる。

 温泉の露天風呂から見る青空は既に秋のもので、高く澄み渡っていた。こんなにのんびりとした時間を過ごしていいんだろうか、と不安になった。帰り道、道ばたには干しタコが並べられていた。あまりに美味しそうなので車を止め、ばあちゃんに値段を聞いてみた。5000円から2500円であった。電話での注文を受けながら私たちにも応対するばあちゃんに資本主義はしっかり根付いていた。迷った私だが、数千円のタコを買う身分ではない、と気づき買わなかった。

   

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2005年10月 1日

京都・大阪シリーズ

 少しサボった間に、色々なことがあった。アトランダムに書き連ねてみたい。

民主党の前原誠司氏の代表質問:

 良かった。率直であった。朝日が社説で書いたように、「気合いだけ」かもしれないが、政治家というものは気合いと政策である。先の選挙で「小選挙区は○○、比例区は公明党で」と多くの自民党候補者が叫んだ、あの自民党・公明党の奇妙な戦略を「党を合併したらいい」とバッサリ切り捨てた。郵政民営化に関しても、あの対案を先に、上手に、伝えられていたら、私は民主党に投票した。前原氏は京都出身。

大阪市役所の行政改革:

 ヤミ退職金、特殊手当など職員への厚遇で大きな問題となった大阪市役所が改革案をまとめた。4万8,000人の職員を5年間で約8,000人削減するそうである。率にして、約17%である。しかし、まだ長年投入された組合への税金の返還など問題も多い。

 大阪市役所出身の市長を迎えた柏崎市はどうなる?先日、柏崎日報には議員定数の削減について載った。もちろんである。私は、28名を主張していた。しかし、同時に、それ以上に市の仕事のスリム化=市職員の削減は必至のはずである。

阪神優勝:

 私は、阪神ファンです、と公言できるほどの虎キチではないが、長年の阪神ファンである。しかし、今年は余りにもオーソドクスな優勝で、「ウーン」と唸るところもある。まあ、けど今年の日本一は頂くでしょう。私のお気に入りは、赤星、スピードスターである。スピードスター!?なんだかワカランけれども格好いい!レッドスターじゃあ、当たり前すぎる。

取りあえず、以上。  

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2005年9月28日

ガンバレ!タイゾー

  杉村太蔵衆院議員26歳が面白い。いいと思う。一人ぐらいいても。昨日の記者会見をテレビで見たが、笑った。全て芝居がかっていて、本当に面白かった。それにしてももう少し芝居は上手くないと。けど一人でいいよね。

  記者団「三日間ご自分を徹底的に見つめ、本を読まれたそうですが、何冊読まれたのですか?」

  杉村氏「・・・・・・、エー、・・・・・・1冊です。」(記者団失笑)

  記者団「何を読まれたのですか?」

  杉村氏「・・・・・・、エー、・・・・・プライベートのことなので控えさせていただきます。」 (記者団爆笑)

  国体テニス優勝の実績、運動神経は活かされていない。 

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2005年9月27日

ハリケーンと台風

 ハリケーンHurricaneと台風Typhoonがこれほど話題となった年はないのではないか。ご存じの通りハリケーンと台風は基本的には同じものである。Tropical Cyclone、つまり熱帯性低気圧である。それが、メキシコ湾岸というか、カリブ海というか、昔ながらで言えば西インド諸島近辺というかで発生したものはハリケーン、フィリピン近海から太平洋西部、南シナ海で発生したものを台風と呼ぶそうである。ちなみにハリケーンの語源は西インド諸島の原住民の風の神「Hurakan(ウラカン)」だということである。台風はtyphoonからきたという説があり、そのtyphoonはもともと中国語で『台風』(台湾からの風)あるいは『大風』からきているといわれていたり、他にもギリシャ神話に出てくる風の神、『Typhon』(テュフォン)からきたという説もあったり、色々だと言うことである。もちろん規模というか勢力の基準は低緯度で発生するハリケーンの方が大きい。

 以上の気象マメ知識から感じたこと。やっぱりアメリカのものは桁違いで大きくて、ハッキリしていて、東洋・日本のものは程々の大きさで、かつ語源さえもハッキリしない。

 全てに通じる。巨大なものが全てを無くし、ある意味きれいにしてから、ゼロから作り始め、発明、創始者に敬意を払い、白黒ハッキリとしたデジタル文化。合理主義。適度の破壊は、改築や増築、修理で事足り、改良、改善、曖昧なグレーゾーンに価値を見いだすアナログ文化。義理・人情。主義など無い。今朝の『朝日』コラムで編集委員氏が書いていた。

 「調整と妥協の政治から、討論と対決の政治へ。コンセンサス重視型から、多数派支配型へ。有権者から見れば『思い切ってやらせてみる政治』であり、『駄目ならとりかえる政治』への転換である。」

 私の畏友はかつてアメリカ合衆国政府の米海洋大気局NOAAに勤めていた。環境法が専門の彼は、この秋、南部にある名門大学に招かれ、教鞭を執るはずであった。しかし、今朝のメールによると、大学は来春まで閉鎖、「ハリケーンが職を吹き飛ばした」とあった。しかし、また、ワシントンD.C.で働くという。

 その彼がまだ学生であった頃、彼の学友とバカ広いキャンパスの一角で激論を交わしたことを良く覚えている。捕鯨についてであった。私は日本人がいかに鯨を大切にし、いかに効率よく使ってきた文化であるかについて説明するのだが、彼らは「なんであれほどの知的動物を殺すのだ」と言って譲らなかった。「あなた達は鯨から鯨油を採るだけじゃなかったのか!大体、ペリーが開国を迫ったのも、捕鯨船の補給基地確保のためじゃないか!日本人は肉を食べ、油を燃料とし、肥料として使い、果ては髭からバネまで作った!」と言いたかったのだが、そこまでは至らなかった。とんでもなく分厚いステーキを事も無げに食べる男たちに日本男児はひるんでしまった。

 地球温暖化が海水面温度の上昇をもたらし、ハリケーンや台風の巨大化を助長し、被害が大きくなってきているのはハッキリしてきたことだが、その地球温暖化に一番の大きな影響を与えているのもアメリカである。大雑把で、脳天気で、単純で、けれども健康的なアメリカ。「わからない」でも書いたが日本は本当にこまめな施策で省資源を実践している。鯨同様、効率的なのだ。 

 小泉氏の勝利はハリケーン級だが、私たちはそのことの意味と責任をもっと考えなければならない。

 私は、昨晩、鱈の煮付けを食べながら、「アメリカ人には箸で骨をとりながら、もしくは口の中で骨をよけながら魚を食べる技術は絶対無いんだろうなあ」、とちょっと誇らしかった。                                                                                        小さいねえ。台風にもならんわ!

 

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2005年9月26日

気分はどっち?

 「NHKスペシャル 日本の群像 再起への20年」は昨日「セブン&アイ・ホールディングス」の鈴木敏文会長にスポットが当てられていた。苦闘するスーパー、つかみきれない消費者の嗜好。鈴木氏は率先垂範する中で、言い切る。

 「商売は心理学だ。」

 桜井雅浩が言うのと鈴木氏が言うのでは残念ながら説得力に格段の違いはあるが、前にも書いたように、経済は複雑で単純である。

 今から20年前、まだ私が学生であった頃、ミニコミ誌を発刊していた。(全国誌に私の記事が3つ掲載された!ハハハ!)創刊準備号と創刊号、2号で確か終わったと思うのだが、私はその頃展開を始めていたセブンイレブンに注目し、書いたことを覚えている。キャッチは「何とセブンイレブンはイトーヨーカドーだった!」というもので、知られていなかった(学生には)資本関係をちょっと自慢げに伝えたものであった。今やセブンイレブンジャパンは株価時価総額でヨーカドーを超え、本家アメリカセブンイレブンをも買収している。

 ヨーカドーは昨日の番組から見ると、「少し高級」付加価値路線に向かうようだが、私は間違っていると思う。スーパーはスーパー。安いのが基本であり、デパート・百貨店・専門店で買うような価値はそれほど求められていないと思う。もちろん値段の割には高品質というものは歓迎する。いずれにせよこの30年を率いてきた鈴木氏の孤軍奮闘は、社員教育の歴史であったと拝察した。

 さて、何よりもホールディングスには「セブン・イレブン・いい気分」というフレーズをもっと全面に出していただきたい。これが全てを言い当てていると思う。オマケだが、国語の教師をしていたとき、漢文で「いいですか!これが韻を踏むという例です!」と大変便利であった。生徒には好評だった。

 もっと全面に出していただきたいのは「過去を捨てよ」という鈴木氏のポリシーである。私も、そして柏崎は更にかみしめなければならない。柏崎はまだ「いい旅・夢気分」である。

 

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2005年9月24日

分からない

 地方公務員の定員・給与削減、議員年金の廃止は小泉首相によって実施、検討が始まった。郵政民営化に関する民主党の対案は「郵貯・簡保」の民営化か廃止でまとまる方向に動き出した。それぞれ私が訴えてきたことでもある。しかし、いったい選挙は何だったのだろうか?民意を聞いて方向性を改めたと言うことか。

 柏崎も同様である。「市民の声」という表題は見えるが、少しも変わったという雰囲気は感じられない。変わろうとする意欲、何よりも元気がない。柏崎市でも新たに行革論議が始まっていると聞くが、行革によらず市長の考えが相変わらず見えない。一体全体どうなっていくのだろう。批判のしようもない。

 先の衆院選挙で面白かったことがある。郵政民営化に関する候補者へのアンケート。民営化賛成論者は郵貯や簡保の口座を持ち、反対論者は往々にして持っていない傾向があった。なんで?かくいう私も郵貯はともかくも、3人の子どもの学資保険に入っている。加えて、いわゆる特定局とのつながりからである。もちろん先の選挙では応援をいただけなかった。そのことは分かっていた。

 原油高が日本経済に及ぼす影響は少ないそうである。少ない原油で、高い生産性を維持で出来るようになっているのがその理由だと聞く。つまり効率的なエネルギー利用をしていることになる。調べてみるとGDPに対するエネルギーの消費量はアメリカの約37%、イギリスの約50%、環境先進国といわれるドイツの70%である。 また、発電方法は1970年代は約80%が火力発電であり、現在は50%を切るところにまで低下している。つまり、日本は原油をはじめ殆ど無い資源で生き延び、成長してきたのだ。技術力であり、それは人の力である。柏崎も同様であったはずだ。敢えて言う。柏崎にある少ない資源は東電であり、リケンである。自然や観光ではない。おねだりだけでなく、もっと有効に使えるはずだ。

 先般、ある「柏崎経済人」に「桜井さんは経済がわからん、という話を聞く。」とお小言を頂戴した。もちろん反撃した。「違います。商売が小さい、年齢が若いという評、不安ならば甘んじて受けますが、経済が・・・というのは見当違いです。」

 残念ながら「柏崎経済人」はたくさんいる。そして、格好も変わらず、カッコも取れない。こういった柏崎に愛惜を抱きながらも変えていかなければならないのだ。本当に。時間が無い。「ぶっこわす」と言わなかった私も悪い。

 過日、新花町の納涼会で「オメさんは全然悪くねえんだから。オメさんしかいねえんだから、ガンバレ!」と言われた。ありがたい人の情である。しかし、私が悪かったのだ。

 さて、皆さん、一緒にぶっこわす覚悟はありますか?

 

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2005年9月20日

夏が終わった

 ようやく小学校の川講座が終わった。延べにして、120人の小学4年生と川で遊び、鮎を捕まえさせた。全員に捕まえさせた。今日は、最後の3人になかなか捕まえさせることが出来ず、潜りっぱなしだった。まだ、心臓に圧迫感が残っている。

 先に終わった小学校から作文が届けられた。

 「ありがとうございました。家に帰って、塩焼きにして、お婆ちゃんと『ミケ』が食べました。」

 ちなみにヨーカドーでは養殖物が、2匹で500~600円で売っている。100%天然遡上の鮎はそれなりの価値があると思うのだが・・・。『ミケ』に食べられちゃいました。ヒトもヒトの子どもも喜んでくれたものと信じている。

 夏が終わった。

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2005年9月17日

夏の終わり・秋の始まり

 

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抜き打ち検査

 朝日新聞の報道によると、原子力発電所の検査態勢を見直し、06年に「抜き打ち検査」のほか、第三者機関による原発の監視システムを導入する、そうである。

 遅い。

 1999(平成11)年11月16日、第2回全国原子力発電所立地議会サミットは東海村の臨界事故直後に開かれたものだったが、まとめとして宣言文を採択している。とりまとめを行い、宣言文を書いた私は、これが実現するのはいつのことだろう、と漠然とした不安を抱いていたことを覚えている。

 というのも、こんなことがあったのだ。

 臨界死亡事故という大惨事の後なのだから、国は、しかるべき人間を出席させ、官僚が書いた祝辞などではなく、政治家が自らの言葉で、責任を持って話して欲しいと要請していた。仕方のない官僚の代理出席は認めるが、祝辞の代読は認めない、との方針を伝えていた。にもかかわらず、祝辞を携えたしかるべき官僚がやってきて、「大臣の祝辞を代読する」と言ってきた。私は、拒否した。国との関係を心配する柏崎の議会事務局の局長は一瞬とまどった雰囲気だったが、「わかりました。桜井さんの言うとおりにします。」と覚悟を決めた。大臣の祝辞は読まれなかった。

 1、 原子力安全委員会の抜本的な見直しを行うこと。原子力のリスクを認識した中立的チェック機関として独立させ、質量共に充実した、強い執行権限を持つ組織へ早急に改組すること。

 1、原子力関連機関への調査、査察に実効性を持たせ、抜き打ち検査の実施、また違反時には重大なペナルティを課すなど厳しい態度で臨むこと。

 この二つは宣言文の一番上に書いた事柄である。

 この後、東京電力不祥事があり、プルサーマル計画は白紙となった。そして、未だ、原子力安全委員会は執行権を持たず、原子力安全・保安院は原発を進める経産省の中にあり、そして鉱山、火薬、都市ガス、高圧ガス、都市ガスの保安をも担っていて、原子力専門の機関ではない。原子力安全と保安の間に「・」があるのはそういう意味である。官僚の作文である。テンでなっていない。

 

 

 

 

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2005年9月15日

気になる政治家

 新潟県選出の国会議員のことを散々に書いたが、要は有権者。市議会議員になったばかりの頃「市民・議員本音の集い」というものを開いたことがある。議員の実際と市民の見方のギャップについてかなり率直に意見を戦わせた。私はまだ29だったが、「議員のレベルが低いと言われるが、それは市民のレベルが低いと言うことです。」と発言し、取材に来ていた新潟日報の支局長に「それ言っちゃあダメだよ」と諭されたことを覚えている。

 さて、今気になる代議士お二人。一人は自民党の与謝野馨氏。与謝野氏はご存じの通り、歌人与謝野鉄幹と晶子の孫。日本原子力発電のサラリーマン、中曽根元首相の秘書から、政界へ。東京1区選出。自民党切っての政策通として知られる。そのホームページ「私の通ってきた道」は読み応えがある。私の妻の出身地であり、親戚は与謝野後援会の役員であったらしい。

 もうお一人。どうなるか分からないが、民主党党首候補、前原誠司氏。松下政経塾出身。京都1区選出。安保問題に精通する政策通。何と言っても私と生年月日が同じであった。1962(昭和37)年4月30日。んーん。唸ってしまう。

 ということで東京、京都それぞれ1区選出議員が政策通であるのは、・・・偶然ですね。原子力に関連し、塾関係者であり、生年月日も、・・・更に偶然、こじつけですね。

 レベルが違う?

「それ言っちゃあダメだよ」  悩みは深い。

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2005年9月14日

選挙と三百人劇場、そして新潟県だけ

 「小泉劇場」は勝利を収めたが、東京都文京区本駒込の「三百人劇場」は老朽化のため、06年末で閉館するそうである。私は東京にいるとき何回通ったことか。私の場合は主に映画だが、ルイス・ブニュエルやアンドレイ・タルコフスキーなどいわゆる前衛的な映画である。こういった映画は女の子と見るものではない。一人、巣鴨の駅から歩いて行ったことを覚えている。自転車で行ったこともあったなあ。ともかく、寂しい。

 選挙の結果はご存じの通り。小泉首相もそう思っていると思うが、勝ちすぎである。同時に、いかに国民がリーダーを求めているか、という明確な証左でもある。そして、同時に朝日新聞文化面コラムが正しい。文化面であることがポイントである。

 「劇場政治は、一気に政治を進めて結果をもたらすが、政治について深い理解と冷静な判断を阻害することがある。さらにまた、豊かな議論を塞ぎ、結果的に政治の可能性を縮減することもあるからである」(谷藤悦史:早稲田大学教授)、

 「首相のリーダーシップ強化、小選挙区による政策中心の政治を唱えたのは、もともと小沢一郎氏や岡田代表の方であった。・・・小泉氏は彼らの改革に反対したのである。・・・ところが、本来民主党の主張であった派閥政治の終息や首相権限の強化、政策選択の選挙はことごとく小泉政治によって実現され、民主党は正にそのおかげで敗北した。・・・民主党は有効な政策選択肢を打ち出せず、代替的政策が不明瞭なまま政権選択を訴えても説得力はない。」(佐伯啓思:京都大学教授)

 新潟日報が全国の中でも特異な新潟の状況を記している。小泉首相の遊説、てこ入れを判断するに、事前の世論調査を行ったところ、「新潟、北海道、岩手三道県だけ旋風が吹いていない」と全国からの乖離を党本部が判断し、 県連が求めていた小泉首相の新潟入りが実現しなかったという。当然であろう。総裁選では、亀井氏を応援し、ほとんどの議員が、郵政民営化についこの前まで反対だったわけだから。

 全く、筋を通していただきたい。亀井氏や綿貫氏はその点立派である。一方、部下分隊は参議院でも中曽根弘文氏らがこぞって「郵政民営化」に今度は賛成するという。それでも北海道は鈴木宗男氏、そして、鳩山由起夫氏の地盤である。岩手は小沢氏の地盤である。残念ながら新潟にはリーダーはいない。本当に残念ながら筋の通った国会議員はいない。民主党も同様である。新潟方式などと称して、理念とは別に議席を得んがためだけである。議席がなければどうしようもないのだから、百歩譲って認めたとしても、それを高らかに歌うな!恥を知ってもらいたい。

 以前私も「本当は逆」でも書いた。佐伯氏が書いたパラドクスは実際である。新潟県は逆行し、茶番を演じている。まだ気づかずにいる。新潟県だけがおいて行かれる。300人劇場が目指した高邁な理想、前衛を目指すならばともかくも、全く恥ずかしながら「ただ訳が分からないだけ」「ただ覚悟が出来ないだけ」「ただ大きな流れを見抜けないだけ」である。

 小泉劇場にも登場できない新潟県は「300人劇場」よりも早く無くなってしまう。無くなって寂しがる、困るのは県職員と県会議員だけかもしれないが。しっかりしていただきたい。

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2005年9月13日

川講座2

 小さな学校の川講座講師を務めてきた。自分たちが住むすぐ近くの川のすばらしさを伝えたかったのだが、子どもたちはビックリしたと思う。川がきれいだということ。鮎も捕れると言うこと。柏崎の子どもは田舎の子どもであるはずなのだが、「初めて魚にさわった!」「初めて手づかみした」「初めて捕った魚をすぐに炭で焼いて食べた!」とこっちもビックリしながらも子どもたちの反応に喜んだ。

 といって、夢を壊して悪いが、現代の子どもの一コマ。

 川を進むとに先の方で、女の子も含め、キャッキャ、キャッキャ言っている。魚を捕まえた反応と違うものである。近づくと雑誌が落ちていた。いわゆるエロ本というヤツである。小学校4年生。何でも知っている。私もどうしようか迷った。もちろん、拾い上げて読もうとしたわけではない。

 「ウーン。子どもが見るものではない」等というのは前時代的だし、「いかんなあ、こういうのを捨てたらねえ。ゴミだから私が拾っていこう」等というと「エロ、エロ!」などと子どもたちからの反応が激しいだろうし、見て見ぬ振りをするのも不自然だし、と悩んでいるうちにその案件は近づいてきた。「ウーン、いかん」

 我らが班の女の子がそれを見つけ、「キャー、桜井先生、エロ   です!」なぜか本のところだけ小さな声でいうものだから誤解を受けるところもあったかもしれない。

 結果、ゴミとしても拾わずに、まさか収穫の鮎と並べて持ち歩くわけにはいかないので、そのままにしてしまった。講座の終わりの挨拶で、「川はきれいにしましょうね」と言ったとき、女の子の目が、ギラッと光ったように見えた。人生辛いですな。

 

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2005年9月12日

選挙結果ともっと残念なこと

 一つ言い忘れた。

 昨年の柏崎市長選で私が掲げた目玉。つまり、日本で初めての「政策選択型住民投票」は少し形態は異なるが、小泉純一郎氏によって国民投票となって実現した。実現したのだから良かった?良くない!私がやりたかった。しかし、それぞれ選択肢の利点と義務:責任をもっと明確にするべきである。民主党の対案が遅れたため、賛成か反対かに終始してしまったのは全く残念である。

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選挙結果と8年前の柏崎市議会

 今回残念だったことがいくつか。

 先ず、衆院比例東京ブロック(定数17)で、自民党の名簿搭載者が足りずに、公職選挙法の規定により、代わりに社民党候補が当選したこと。よりによって社民党。

 二つ目。衆議院の郵政法案採決時に棄権、欠席議員が当選したこと。反対議員の綿貫さんや亀井さんの訴えやコメントには耳を傾けるべきものがあった。

 三つ目。新潟県選出の国会議員で、郵政民営化法案に当初から賛成してきた議員が1人もいないこと。つまり、誠に遺憾ながら国政をリードしうる資質を持つ議員がいないと言うこと。ただの国会議員ばかりであること。

 総じて私は今回の結果を喜ぶ、そして少し心配、といったところである。郵政法案が衆参両議院で可決されるであろうこと、これは良し。与党327という数字が参議院の否決案件を衆議院で再可決させ、成立させうる数字であること。これはあらゆることに及ぶわけで少し心配。そして、日本人の余りにもの単純民主主義を心配。小泉さんが哲人政治家であることを望む。

 ちなみに新潟県の自民党系県会議員は今年の6月県議会で「拙速な郵政民営化に反対する意見書」を可決させている。今年である。

 8年前、柏崎市議会に同様な意見書が提出された。平成9年の6月議会であった。32名の定員中、私以外31名の賛成で可決している。提案された意見書と私の反対討論を掲載する。(柏崎市議会ホームページ

 提案者も私のごく親しい議員さんでいらっしゃたし、何よりも 31対1 というのは14年間の議員活動の中で唯一であり、強い印象がある。

              郵政事業のあり方に関する意見書(案)

上記の議案を別紙のとおり議会会議規則第14条の規定により提出いたします。

                            平成9年6月20日 

                    柏崎市議会議長 高橋長究様
           郵政事業のあり方に関する意見書(案)
 郵政事業は、山間僻地を含め、全国2万4,600のネットワークを通じ、郵便、貯金、保険事業のみならず、年金の支払い等の窓口サービスなど、国民の日常生活に深いかかわりのあるサービスを提供し、国民生活の安定と福祉の向上に大きく貢献をしています。
 しかし、最近、行政改革の論議の中で、郵政事業の民営化への動きがあり、これが実行されると、そのサービスは、大都市など採算を重視した収益性の高い都市部に集中し、不採算地域においては、サービスの低下のみならず料金の値上げも懸念されます。
 また、郵貯、保険資金は、財政投融資を通じ、社会資本の整備に極めて大きく貢献してきており、これも民営化により公的資金としての活用ができなくなります。
 さらに、郵便局は、過疎地におけるコミュニティの中心としての役割を担い、今後とも一層充実が期待されているが、民営化となれば、収益性の低い過疎地域の郵便局は廃止へと進み、一層の過疎化の進展が予想されます。
 これからの郵政事業の果たす公共性、社会性を考慮し、今後とも国営、非営利の現行経営形態を堅持し、国においては、分割、民営化に向けた取り組みを行わないよう強く要望いたします。
 以上、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出いたします。
 平成9年6月20日
                           柏 崎 市 議 会
 理由
 地域社会に根差した郵政事業を求め、もって市民生活の安定と福祉の向上を図るため。

桜井雅浩 

 村山さんから、また、御指導いただきましたけれども、先般、村山さんの方から、少数政党の悲哀がわかるかというようなお話を承りました。まさに、私は、きょうはそういった政党ではございませんけれども、少数の、ごく少数の立場で、反対の立場で討論をさせていただきたいと思っております。
 委員会でも申し上げたわけでございますけれども、私の考え方を述べておきたいと思っております。
 まず、この意見書の文案を拝見しますと、最後のところで、国においては、分割、民営化に向けた取り組みを行わないように強く要望いたしますというふうに書いてあります。私は、やはり、郵政事業というものを、全体を含めて、民営化も含めた議論があるべきだろうというふうに考えるものであります。いたずらに私はすぐに、早急に、全部一気に、というふうな考えは毛頭ございません。しかし、今こういった日本の経済そのものも、もしくは世界経済の中における日本の立場も考える中で、金融の自由化、もしくは市場経済を、このまま日本経済が停滞している中で、終わらしていいものかということを考えるならば、やはり、郵政事業といったものも民営化も視野に入れる中で、大きな枠組みを考え直すべきだと思うわけであります。
 具体的には、例えば、郵便貯金がよく言われることですけども、220兆の預金残高を持っている。これは、日本の国民の個人預金残高の約3分の1を占める割合であります。1つ大きな都市銀行の約2倍の貯金残高を持つわけであります。
 こういった状況が、果たして市場経済の中で本当に望ましいことなのかどうなのか。確かに今、都市銀行を初めとして、金融界はいろいろな問題で揺れております。そういった不信感もあろうかと思います。しかし、それはそれとして、別個の問題として、現状、公の機関が、国の3分の1の預金を扱っていいものだろうか、市場経済の上でいいものだろうかという観点から、ひとつ疑問を呈しておきます。
 2点目は、文面にもありますけども、全国2万4,600ネットワークと、云々とあります。しかし、例えば、これにかわるものとして、皆さんの身近に、これは柏崎市内でも、どんな山間地に行っても宅配便、別に固有名詞では申し上げませんけれども、宅配便の取次店というのがございます。調べましたらば、柏崎市に宅配便の取次店だけで、約500以上、500から600の取次店が柏崎市内にあるというふうに伺っております。そして、配達もどんな山間地であろうと、確実に行くというふうに配達をしていると。配達が除かれる区域はないというふうに伺っております。そういったことを考えるならば、民間でそういった郵便の、郵送というんでしょうかね。そういったことだけでもできるのではないのかなという観点から1点指摘しておきます。
 それから、3点目は、これはなかなか言いにくいことであって、また、怒られるかもしれませんけれども、現在の特定郵便局の制度というのを、私はおかしいと思っています。国家公務員でありながら、世襲制と断言はしませんけれども、世襲制に近い形の中で、国家公務員が任命され、そして、仕事をしていらっしゃるという状況というのは、やはり私はおかしいと、公平の原則からしても、いろいろな観点からもおかしいというふうに考えております。
 そういった中で、私はそのあり方も、ぜひまた変えて、変えることをね、視野に入れた取り組みをしていただきたいと思ってます。
 それから、この文面の中にあります財政投融資制度ですけども、これは財政の上でも、やはり、私は財政投融資制度そのものも、第2の予算というふうに言われてますけれども、これはやはり、財政上の上から、もう少しはっきりとした位置づけをするためにも、財政投融資制度そのものを私は見直すべきだというふうに考えているものでありますので、以上言った3点、4点でしょうかね、こういった観点から、残念ながらでありますけれども、この意見書には反対の立場で討論いたします。
 以上です。

 ちょっと自慢だね。     バカ、ダカラマケルンダ!

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2005年9月 9日

もっと大事なこと

 9月議会の一般質問が終わったようである。そして、質問はおざなりのものであったという印象を拭いきれない。原子力行政についてである。

 去る8月16日宮城県の女川原発周辺で地震が起きた。東北電力女川原子力発電所全3基が自動停止した。そして、設計用に理論上想定した最大の地震「限界地震」を上回る揺れが確認された。

 このことの重要性を誰も認識していないのだろうか。原発反対派、もしくは脱原発と自称していらっしゃる方々は、何を遠慮しているのだろうか。不思議でならない。もとより推進派、容認派もである。

 科学的にこの状況が安全であるとしても、想定を越えたという事実についての不安を解消するという方向性が、近年の不祥事や事案から得たものではなかったのか。もし必要であるならば、公共施設の耐震補強と同様に、地元として強く求めていかなければならないのでは無かろうか。それが大規模なものであったとしても当然のことである。

 私は原発容認派であり、プルサーマル容認派でもある。しかし、国の安全基準に対しては、また規制の在り方については強い疑問を呈してきた。

 原子力安全委員会でも耐震基準について見直しを進めているはずだが、何よりも地元として「推進」「容認」「反対」問わずに、合理的な説明を求めてしかるべきである。

 「地域の会」が原子力長計改め「原子力政策大綱」に意見を提出したそうだが、これはしかるべきものとして、先ず誰よりも柏崎市が意見を出すべきである。はっきりとした柏崎市のスタンスを表明するべきである。

 原発反対派がその姿を隠して応援した市長は言葉の上では「原子力発電所は地域にとって大切な存在」と言い、結果、議会は市長の政治的立場を慮って、おざなり、であるならば柏崎にとってこれほど不幸なことはない。原子力安全協定の見直しなどで、お茶を濁している場合ではない。申し訳ないが、そんなことは私でもやった。

 敢えて言う。市民の声よりも、柏崎市の今後を見据えた「骨太の政策」が今求められる時なのだと思う。見せかけのままごとが続いていくならば、柏崎市は郵便局と共に無くなってしまう。率直さを失い、本来の役割を見失うと、無くなってしまう。社会党が自衛隊を認め、村山首相、土井衆議院議長を輩出して無くなったのと同様である。

 市長選挙。原発反対派や脱原発派を「表に出さず」に勝った現市長、「表に出ている人は沢山」だったけれども負けた前市長、「表に出られないけれども応援している」と言われて負けた私。

 柏崎は負けるわけにはいかない。表に出て実質勝負である。遠吠えではない。

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2005年9月 8日

先輩の言葉

 先般、大学同窓会が新発田であった。早稲田の会は稲門会というのだが、この会は年に一回各市が持ち回りで開かれている。新発田へは行くのは前回に続いて2回目であった。

 今回、会長が交代した。「菊水」酒造の高澤英介氏が勇退されることとなったのだ。参加者全員に挨拶状と交誼への謝意としてネクタイを頂戴した。全く恐縮至極である。失礼ながら、その挨拶状の一部を掲載させて頂きたい。

 「かえりみますに小生現在までの75年の歳月は決して平坦ではなく、特に母校卒業後の昭和29年からは幾度も天災に襲われ経営の危機に瀕すること数回、一時は廃業まで考えたことがありましたが度毎危機を救ってくれたのは「都の西北」の歌声や校友からのお励ましであり、心からなるご支援の行動でありました。」

 平山氏の一番最初の県知事選挙、菊水酒造を訪問させて頂いた。若輩が訪れたにもかかわらず、本社の社員が全員起立して出迎えて頂いた。候補ではなく、私が伺ったときである。聞くに、誰彼問わず同じ行動だと言うことであった。リーダーの仕事は自らのことのみならず、従業員やより多くの人間の教育というか薫陶にあるのだと気付かされたのだった。

 高澤氏を奮い立たせたのは文言は「現世を忘れぬ久遠の理想」かはたまた「大なる使命を担いて立てる 我らが行く手は極まり知らず」かは存じ上げぬが、私自身も恥ずかしながら校歌を歌うと熱くなる。

 

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2005年9月 7日

ドラッグストアと広報、そして政治

 ドラッグが怖い話は昨日書いたところだが、今朝ドラッグストアの広告が入ってきた。朝から笑ってしまった。

 「ブレインサプライズ」:「最近、物忘れが多くなったそんな方に是非おすすめします!」というキャッチ。文字通り、脳は驚くのだろうか?

 入浴剤「モアビア」:風呂上がりのビールが美味くなるものらしい。入浴剤ですゼ!?

 ダイエット薬「ファイヤーボディ」:燃焼系ダイエットなのだそうだ。全く恐ろしい。

 衆議院選挙ならびに最高裁判所裁判官国民審査広報が入ってきた。ドッラグストアの広告と並べるのは失礼だが、衆議院の方は似たり寄ったりであった。

 「まがいものの改革」「本物の改革」「改革のエンジン」「確かな野党」「日本を変える」「明日をつくる」ちょっと聞き飽きたなあ。私が思うのだからほとんどの人がそう思うんじゃないかなあ。どうせだったら、

 「郵政で、優勢!後が続きません。ですから、今度はあなたが、You say!」とか

 「真面目一筋、中身はバラバラ、選挙後こちらが解散します!」とか

 「いつでも与党です!安心してください。」とか

 「スジが通っています!ですから食べにくいんです!」とか、・・・・・無理だよね。

 一方、国民審査って99%の人がよく考えずに、何も印を付けずに投票するか、意地の悪い人は全部×をつけるとか、面倒くさい1人おきに×をつけるかとか、誰でもいいや1人ぐらい×をつけておこう、とかだと思うのだが、私も未だこの審査の意味や在り方については疑問を持っている。

 しかし、皆さんも広報をよくご覧になった方が良い。非常に真面目で、誠実である。虚飾など無縁のものである。こちらの方々を衆議院議員として投票したいところもあった。が、余りにも対比的な広報を見て考え直した。

 政治とは、と考えるとマックス・ウェーバーの言葉が思い出されたのだ。引用する。目が覚める。

 「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が、自分の立場から見て、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。 どんな事態に直面しても 『それにもかかわらず!』 と言い切る自信のある人間、そうした人間のみが政治への 『天職』 を持つ。」 

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2005年9月 6日

アメリカという国

 昨日は偉そうなことを書いてしまい、恥ずしかったので、更に恥ずかしい私のアメリカ経験を少し。

 初めてアメリカに行ったのは、今から20年ほど前である。コーネル大学の大学院生だった友人を訪ねるため、ニューヨークに向かった。確かユナイテッドのロス乗り継ぎで、N.Y.ニューアーク空港という経路だったと思う。

 ご存じの通り、アメリカは最初の寄港地で入国審査を受ける。私の場合、ロスで受けることになったわけである。初めてのアメリカであったわけだが、機上で知り合った女子大生と仲良くタラップを降り、海外に出るのが初めてという彼女の後見人宜しく、落ち着いた態度で、「たぶんこういう質問が来るだろうから」「かくかくしかじか」「もし英語が分からなかったらあとから来るのが彼だから、聞いてくれ、なんて答えてね」などと軟派の極みであった。(今や皆さんもご存じの通り硬派の極みである)長い列を並び、二人とも無事通過。このとき彼女が私に寄せる敬意は限りなく大きなものであった。(と思う)

 荷物検査である。手荷物を調べられるのだが、これまた、彼女を先行させ、無地通過。無事通過して、ホッとしたのか私を待ちながら見せた彼女の笑顔は限りなく可愛らしかった。私は「さもあろう、さもあろう。待っとれ、待っとれ、今行くぞ。やはりアメリカは最高だ!」

 私の知性あふれるニヤニヤ笑いを打ち破ったのは係官の言葉であった。

 「What's this ? It smells strange !」 (コレハナンダ?ヘンナニオイガスル!)

 視線が係官の向こうに飛んでいた私はうろたえた。

 「ぺらぺらぺらぺら  What's this ? 」(コレハナンダ?)

 それは、初めて乗るアメリカの航空機で、ステーキを食べ過ぎ、腹を下してはいかんと密かに忍ばせておいた「正露丸」であった。それも、あのラッパのマークがついている瓶のまま持ってくれば良かったのだが、こんなに必要なかろうと、わざわざ、フィルムケースに15.6粒を移し替えて持ってきていたのだった。確かに臭いのだ。

 私は更にうろたえた。向こうの彼女の笑顔が消え始め、心なしか少しづつ後ずさりしている様に見えた。私は更にうろたえた。「まずい」

 「What's this ? 」 思わず私は答えていた。

 「It's drug !」「・・・・・・・」ウーン通じないのか。

 更に大きな声で、「It's drug !」 (ヤクです!)

 周囲10メートルの人間が振り返った。私の頭の中は正露丸を買ったマツモトキヨシか何かの「ドラッグストア」という文言がイメージされていた。

 「Drug ? 」 

 「Yes, of course , drug !!」(もちろん、ヤクです!)

 私はそこから別室に引っ張られた。

 「ウーン、It's a medicine for stomach .」と正しい説明を思い出した知性派が、30分後、帰ってきたとき、既に彼女の姿はなかった。アメリカは怖いところである。

 正露丸糖衣錠が発売された数年後、私は真っ先に買い求めた。ドラッグストアで。

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2005年9月 5日

アメリカの惨状

 アメリカでもこうなのか、という衝撃の方が私には強い。確かに「カトリーナ」の破壊力はすさまじかった。しかし、アメリカ国民にとっても、ハリケーンそのものよりも世界第一の国であったはずのアメリカの災害対策、避難誘導、救助体制がこの程度なのかというショック、結果として為す術がなかった、という突きつけられた事実のほうが大きかったのではないか。「9.11」よりも大きいかもしれない。

 アメリカ海洋大気局(NOAA)は既に8月2日に今年のハリケーン予測を発表していた。例年より多く、そして規模の大きなものとなる可能性を指摘していた。私の友人はこのNOAAの法律顧問を務めていた人間だが、地球温暖化と海水温度の上昇など様々なことを言っていたことを思い出す。

 その彼が今回の被災地にある古い私立大学の教授になるという知らせが、彼の母親から届いた。その大学の様子を調べてみたところ、8月26日15:30(現地時間)までは通常であったが、その後すぐに緊急システムにインターネットも切り替えられ、翌27日10:00(同)には具体的なハリケーン対応が始まっている。29日未明にはハリケーンが通過中であり、30日には被害の大きさが知らされ、9月1日には緊急対策チームもヒューストンに避難している。現在も緊急システムを使って被害の把握に努めている様子が分かる。人心を鼓舞し、勇気づける言葉の数々はその状況が著しく困難であることを予想させるものである。

 メキシコ湾岸の製油基地への打撃はアメリカ経済にも大きな影響を及ぼすであろうが、ひいては世界経済にも影響を及ぼしつつある。ブッシュ大統領の政治的ポジションのみならず、アラン・グリーンスパンFRB議長の金利政策も微妙に影響を受けるであろう。

 ニューオーリンズは、「バーボンストリート」などジャズ発祥の地としてのイメージはあるが、実際には貧富の差から来る治安の悪さでもかなり名の知れたところである、という話を聞いたことがある。そのような背景が今回のような1週間を現出させていることはまず間違いない。

 正に図らずもハリケーンによって暴き出されたアメリカの実態である。今、日本は総選挙の真っ只中である。郵政民営化の選挙であるが、そのあとは腰を落ち着かせ、日本の有り様を真剣に議論する国会であって欲しい。私は健康的であり、本音で動くアメリカが好きであり、脳天気であり、余りにも単純化してものを考えるアメリカが嫌いでもある。私は災害時にも整然と避難できる日本国民が好きであり、何事も隣の様子を伺いながら行動する日本国民が嫌いである。

 今度、教授となった友人に聞いてみたいと思う。「アメリカという自分の国を君は一体どう思っているんだ?」

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2005年9月 3日

間違っている→無駄である

 昨日の「間違っている」に関して、新潟日報によれば「判断基準」を検討することらしい。まだしも、ということなのだが、では、今年の判断は誰が最終的に行ったのだろう。そして、来年以降の最終判断は誰がするのだろう。市のHPには経過が載っているのは承知している。実行委員会が判断したとなっている。今までであっても、判断基準はあったはずであるし、HPを見ていると各種天気予報だけで判断していることになっているが、そんなこともないだろう。

 さて、判断基準であるが、本当に検討委員会まで作る必要があるのだろうか?長年柏崎を離れ、市民の意見を聞くことを何よりもの信条としている市長から見れば、その流れかもしれないが、ずうっと柏崎の花火の経過を見守ってきた立場から見れば、無駄である。見かけだけのように感じられる。

 政治の要諦は、① 住民の意見を聞き、② 意見を声に出しては言わない「silent majority」を頭に入れ、そして、③ 住民の「幸い」を想像して自ら決断することでは無かろうか。もし、①、②だけであるならば、政治は要らない。現代、1日1回電子住民投票だって可能なのだ。(刈羽村はそのために全戸を光で結んだのだろう。住民投票の本拠地となったのだから。まさか、毎日村長の顔を見させるためでは無いだろう。)

 話が横にそれてきたが、まあ検討委員会が設置、開催されて、その結果「NHKの天気予報で、朝7時 降水確率100~80%ならばやりません。」などという単純なものだったら、怒るよ!俺は。大体、市外からのお客さんから見ても、当日の朝7時に決められたって、困るっつうの!

 要は花火。お祭りよ!市長が元気良く「今日はやりません!柏崎の花火は柏崎の人が基本です!明日は晴れます。明日、気持ちよく見ましょう」とか「今日は雨ですがやります!市外のお客さんたちに柏崎の心意気を見せてやりましょう!みんなで見るため、傘ではなく、カッパで頼みまーす!」とかやればいいのよ!

 それとも「検討委員会を作るのにも、無駄だという市民がいます。そこで、花火の実施基準を考える検討委員会を設置するべきか否かを皆さんに伺いたいと思います。」とやればいい。

 これから私は新発田に行かなければならない。柏崎は今、雷がゴロゴロ、空は真っ暗。雨は降っていない。新発田の予報は、gooでは曇り、niftyでは一時雨。傘を持って行くべきか、否か?検討委員会!

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2005年9月 2日

間違っている

 今年のぎおん柏崎祭り、大花火大会は雨の中行われた。このことに関する私のちょっとした考え方は前に書いておいた。難しい判断であることは私も認める。

 伺うに、この度、花火の実施の有無を含めた検討委員会が設置されることになったそうだ。市長の提案であり、「一般市民も入れ、各界の代表者も入れたい」そうである。実施の判断基準を検討するものであるならば、まだしも、実施の決定機関となるのであれば間違っている。

 前者であっても間違っていると思う。確かに一般市民も入れれば、今年のように「批判が噴出したとき」逃げ場ができる。しかし、それは違う。状況は年々異なり、予期し得ぬこともでてくる。事前に作られた基準など余り役に立たない。

 祭りといえどもその最終責任者は市長である。商議所、観光協会、花火関係者などの声を事前に理解、集約し、そして何よりも柏崎の花火の歴史(八坂さんの奉納花火から始まった、極めて土着的なものである)、性格(市民がお金を寄せて打ち上げる市民一同花火もある)を含め、市長が判断するべきである。

 政治家と役人の違いは唯一、唯一であるが、決断をする事ができ、それに対して責任をとらなければならない、ということである。もちろんこんなことで辞める必要はないが。

  

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川講座

 8月下旬から、先生対象、小学生対象、と「川遊び」の講師役が続いている。先生方にも子どもたちにも好評を博している、と思う。川で泳ぐことも、ましてや魚を捕まえることも、さらにはヤスで「ブスッ」と突くことも初めての大人、子どもばかりだから言い聞かせるのもかなり骨が折れる。

 軍手をして、魚をつかませてやるのだが、「いいか、しっかり頭の方を掴むんだぞ!魚だって命がけなんだから、こっちもしっかり握らないと逃げられるぞ!」と言っても、ツルッと逃げられる。「ばかもん!しっかり、頭の方を、と言っただろうが、もう一回捕まえてくるから、今度はしっかりやれよ!」言われた男の子は泣きそうである。こっちは、もう、ヤスを持って、潜り、即死させないように、元気な状態で、子どもに掴ませてやろうと、水中で、狙いを定め、息も切れる頃、ようやく仕留める。浮き上がり、顔を上げ、「ほら」といるはずの男の子に、魚を示すのだが、周りには誰もいない。前の方を女の子と肩を並べて歩いている。「ばかもん!」と自分に向かって言う。

 あと、3クラス85人分の授業が残っている。けれども楽しい。子どもたちが、柏崎の川で泳げること、魚を捕まえられること、食べられること、魚を殺すということ。それぞれの意味を感じ取ってくれたらうれしい。大人になっても覚えてくれていたらうれしい。

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2005年8月29日

義経は誰だ!

 NHK大河ドラマ「義経」は壇ノ浦の合戦である。平家軍の策にはまり、進退窮まった義経は、戦の常識を覆す奇策に討って出た。水手・梶取などの非戦闘員を攻撃し、形成を逆転させる。マナー違反だろうが、何であろうが、勝たなければ、という一面である。

 一般に、義経は「判官贔屓」(ほうがんびいき)という言葉で言われるように、日本人独特の敗者の美学、弱者への同情の象徴ともされる。だからこそ、未だドラマになる。また、為政者たる頼朝、家康の人気の無さとは対照的である。

 ただ、より大きな視点で見ると、壇ノ浦で義経に負けた平家は「平家物語」や「平家ガニ」でも明らかなように、より大きな同情を今なお引いている。私など、平家物語のリズムに惹かれるものも多い。

 明日公示される、衆議院選挙。小泉さん、亀井さんという対極的な構図になっていて、民主党の影が薄いが、亀井さんが義経とは思えないし、小泉さんが頼朝、家康とも思えない。奇策を連発する小泉さんが義経か?また、ご本人は信長になぞらえられることに満更ではないようだが、表面上は「私は信長ほど激しくない、穏やかだ」ともおっしゃるわけで、結局は小泉純一郎氏そのものなのでしょう。私自身、今回、比例区は自民党に入れるが、亀井さんの人柄というか、泥臭さというか、私は結構好きなのだ。かといって、このままでは平家ガニならぬ、郵政亀となって国民の同情を引いていくとは思えない。選挙はホリエモンの登場で、いわゆる保守、無党派層をそれぞれ分断し、民主候補が漁夫の利を得る可能性もある。(残念ながらこれは私が一番良く知っている)

 「義経」の後、超小型コンピューター「ICタグ」の世界標準を巡る、日本と欧米の主導権争いについて「日本の群像:NHKスペシャル」で扱っていた。コストが断然低く、性能的にも見劣りしない日本製タグがISOに採用されず、米国製が採用される顛末を描いていた。技術担当者の「悔しさ」は想像できる。しかし、なおかつ残念ながら「判官贔屓」はもとより通じない社会である。

 toronの開発者、坂村健氏の言葉が象徴的だ。「全く独自のものを圧倒的に引き離さなければならない」

 義経のイメージに思いを抱きながらもそれを追ってはいけない時代なのだ。

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2005年8月26日

一言で言うと part2

 解散・総選挙:参議院で法案が否決されるとなぜ、衆議院が解散されるんだ!と怒りをあらわにする方もおられるが、3回の自民党総裁選、首相就任後の衆議院選挙、参議院選挙全てにおいて、小泉さんは、もしくは自民党は郵政民営化を公約しているのだから、そして、法案が100%のものではないにしろ、それを貫くものには理念があり、日本の今後に関する具体的な前進があるのだから、「否決は内閣不信任と見なす」という内閣総理大臣の決定には理がある。

 政治:お祭りなんだよな、というコメントを頂いた。そうであろう。日本においては「政:まつりごと」という。祭政一致であったわけである。「政」という字は「支」と「正」からなっている。「正しさを支える」ということになる。フェスティバルであり、かつ権力を得て治めるための所作であるのだ。政治とは華があり、そして力があるべきものである。

 郵政民営化だけではない!:と叫ぶ御仁も政党もあるが、基本的には郵政だけである。叫ぶ方々は遠吠えである。解散権を唯一持つ首相が「郵政民営化で民意を問いたい」と言って解散したのだから。

 その他:も大切である。憲法問題、年金も、少子高齢化も、教育も、エネルギーも、国際社会の中での経済も。けれども、残任期1年の小泉さんに全てを託すのは無理である。今何よりも大切なのは「郵政」の名を借りた「日本人改革」の第一歩なのだ。私自身は忍びないところもある。何度も書いてきたが、漸進主義的な日本人資質に愛着もあるのだ。けれども、否応もなく国際社会の一員としてどころか、世界第2の経済大国として、果たすべき責任は大きい。日本人らしさに愛惜を抱きながら、誇りを抱きながらも、「覚悟」を決めなければならない時なのだ。昨年の私のキャッチコピー「少し変わる勇気」はそのことを意味していた。「少し」というところに意味があったのだ。「少し」は柏崎にとっても日本にとっても勇気が必要であり、小泉さんの言い方「郵政民営化を出来ずして、他の大改革、構造改革が出来るわけが無いじゃないですか」につながる。傲慢な言い方を許していただくならば、私は勝たなければならなかった。刺客をおくるだけの力量、胆力がなかった。

 柏崎市政:些末なところで終始しているような感じがする。柏崎の発信力が感じられない。先般の原子力安全協定の改定はしかるべきものである。しかし、国に対しての発信力はアッという間に低下してしまった。

 旧公会堂:日石跡地の赤煉瓦が取りざたされている。今となってはの話だが、県立美術館が設計に入る時にちょうど差し込めた物件である。もちろん、煉瓦の利用に留まるが。それよりも旧公会堂、喬柏園とその裏の庭の保存、改修である。申し訳ないが、果たしてきた役割、果たしている役割。これは赤煉瓦の価値の少なくとも十倍はあるものである。西川市政の時から遺跡センターだとか市民活動センターだとかが、長期発展計画に載せられてきたが、私自身は賛成してこなかった。正に文化財として、庭を整備し、中段の間に手を入れ、上段の間を再築し、柏崎市民がいかに文化レベルが高かったかを後世に伝える施設として残すことを求めてきた。もちろん利用できる施設としての再整備である。駐車場の問題もあり、財源もあり、難題だが、市民のレベルでの熟度の高まりを待つ課題ではない。為政者が歴史を認め、その中から民意を忖度し、価値を認め、決断し、財源をやりくりする問題である。私は自分の家が喬柏園に近いからという理由で言っているのではない。

 日本に求められるもの:少し変わる勇気である。それを集約するのが民主党でなく、自民党でもなく、小泉純一郎氏個人であるところが残念だし、不安である。元に戻る可能性だってあるのだから。

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2005年8月25日

一言で言うと part1

 自民党:余りにも単純化しすぎ?しかし、私は今回比例区は自民党に入れる。真の保守政党に復活して頂きたい。

 民主党:全逓など旧社会党左派系統の組合と小沢一郎氏はじめ「真」保守が入り乱れ、余りにもわかりにくい構造。

 社民党:未だ新潟県では一定勢力を持ち、柏崎市政を支えていることが屈辱的。全く前時代的。

 共産党:私は一時期その骨のあるところを見込んでいた。しかし、最近は「共産党よ、お前もか!」

 靖国問題:首相ならば参拝して当然であろう。8月15日には千鳥が淵戦没者墓苑へ、靖国神社には史上最大の海戦とも言われ、神風特別攻撃隊が初めて出動したレイテ沖海戦の実質的作戦開始日10月17日などでもしかるべし。国のために命を捧げた方の御霊に敬意を払わずして一国の首相とは言えまい。A級戦犯合祀、分祀問題は別問題である。戦争に聖戦など無いと考える。常に義憤も含め利己的なものである。その結果であるならば、相手国に気遣いが必要であるのもまた自明である。

 刺客:広島6区の亀井さんや富山3区の綿貫さんは負けることはないだろうが、私にとって理解しかねるのは、棄権し、もしくは自説を翻し、公認欲しさに民営化賛成に鞍替えした議員である。こういった議員は議員である「資格」が無い!もちろん刺客など送る価値もない。

 マニュフェスト:横文字を使うな。「公約」の方が分かりやすい。各党とも財源への裏付けを明示するべき。自民党も民主党も公務員削減、もしくは人件費削減を掲げているが、公の縮小とはイコール、国民の責任増大ということである。「覚悟」は昨年の私にとってキーワードであったが、日本人に覚悟はあるのか。

 学力テスト:復活を歓迎する。高いレベルの教育で人材を育成することによってのみ日本は存立しうる。私が言うのは皆が大学を目指す教育ではない。更に考えてもらいたいのは、中学校での業者テストの復活である。「好きな高校を受けなさい」という指導が行われているが、現実には当方も含め、学習塾で、志望校の可能性判断を含めた模擬試験は行われている。形ばかり、生徒の自主性を重んじる、などというスタンスはナンセンスである。

 山小屋:小屋泊まりの経験は柏崎高校1年生山岳部で、雲ノ平で驟雨、雷雨に見舞われ、やむなく小屋泊まりとなった1泊と富士山7合目の1泊だけである。今回、常念小屋に泊まって気づいたこと。圧倒的に中高年が多い。95%である。子ども連れは約150人の宿泊者の中で、3家族だけであった。サービスが良くなった。愛想が良くなった。トイレがきれいになった。

 ロシア:原油高のおかげで、ソ連時代の国際債務の償還が前倒しされている。益々、今後は天然ガスを含めエネルギーの国となる。日本も戦略を練り直さなければならない。

 中国:自家用車の輸出が始まった。いよいよ工業国として動き始めてきた。鉄鋼の需要は益々伸びる。日本は原料確保に困難さが増してくる。

 柏崎:覚悟を決めて変わろうとしなければならなかった。先を行かなければならなかった。

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新盆・ヤマンバ・愛のムチ

 私たち夫婦の仲人は中学校時代の陸上部の顧問、故柄澤省先生ご夫妻である。先般、奥様のところへご挨拶かたがた伺い、ご仏前をお参りしてきた。

 当時の1中陸上部は柄澤先生の元、全国2位の記録を持つ内山卓己を始め何人かの全国レベルがいた。また、柏崎刈羽地域は陸上王国であった。陸上以外も部活動が盛んで、顧問の先生も非常に熱心でいらっしゃった。失礼ながら、授業よりも部活動の指導の方が一所懸命、という先生も珍しくなかった。駒大苫小牧の体罰が問題となっているが、一般的に私自身の感覚では「愛のムチ」容認派である。もちろんボコボコは論外である。柄澤先生からもげんこつを何度も頂いた。

 昨日のテレビで、茶髪ヤマンバ都会の女子高校生が、「何でこっちがお金払ってて、殴られなきゃダメなわけ?おかしいよ、アンタ」などとコメントしていた。お前だ、おかしいのは!ヤマンバは愛の無知である。

 柄澤先生のような真の意味での先生がもっと沢山いて、本音であたり、本音で行動する先生がもっと現れて欲しい。本当のものは何かを知り、子どもたちに体験させられる教師がもっと現れて欲しい。恥ずかしながら以下は昨年読ませていただいた柄澤先生への弔辞である。

 

弔辞

 暑い夏です。

 先生、柄澤先生、暑い夏です。

 先生に教えていただいた誰もが、先生らしい季節だと思うはずです。夏の競技場、先生の仕事場でした。

 万年筆があります。先生から二十七年前に頂いた万年筆です。私が中学三年生、何の記録も残せず、できの悪い生徒だった私をマネージャーにさせ、そして、そのマネージャー稼業が終わった、卒業の春、先生は「桜井くん、ありがとう、君のおかげだ」と言葉を掛けながらこの万年筆をくださったのです。大切な場面、全てこの万年筆を使ってきました。大学の願書、就職の時、そして、結婚の際も。

 私が今あるのは先生から、あの熱い競技場で教えていただいたからです。夏休み、毎日走らされ、鍛えられたおかげです。先生の多くの教え子たちが今そう思っているはずです。

 先生は、出来の悪い生徒を鍛える名人でした。成績、生活態度。昨日の通夜にも四十過ぎても髪の毛を金色に染めている男が来ました。私の同級生であり、親友です。彼も、先生に救われた一人です。彼は今、本当に物事をよく考える、そして人の苦しさを想像できる立派な男です。

 あの当時の競技場には、沢山の選手がいて、沢山の先生がいらっしゃいました。私の同世代で言えば、今、柏崎陸協会長の渡辺亘先生は五中の先生でした。三中には後藤先生、東には坂井先生、柏高には山崎先生、工業には名塚先生、常盤には根立先生、そして一中に柄澤先生です。

 川尻さん、石上さん、田川さん、村山、石黒、内山卓己。みんな全国トップレベルでした。

 

 先生は、陸上競技の中で、栄えある賞、平沼記念賞を受賞されました。優秀な指導者であることを日本陸協から認められたのです。先生は優秀な選手を育てた、同時に出来の悪い生徒も立ち直らせた名人だったのです。

 先生のまわりにはずうっとたくさんの生徒がいました。お盆、正月、伺うと必ずたくさんの卒業生がいました。先生は、頑固でした。中学を卒業後もお宅に伺うたびに、柄澤家では喧嘩がありました。優子さん、直子さん、均君。それぞれが大きな声で、先生と喧嘩をしているのです。均君との間では、良く手が出ていました。最初の頃はビックリしていましたが、これが柄澤家なんだ、と次第に驚かなくなっていきました。皆さんに、信頼があり、愛情があるのです。先生同様、優子さん、直子さん、均君みんな、周りにはたくさんのお友達がおられます。

 先生、暑い夏です。一番先生らしい季節です。何でもかんでも自分で決める先生は、いくら勧めても、検査も、入院も最後まで嫌がっていた先生は、ご自分の最後の時期まで、ご自分で決めてしまわれました。

 今日も暑い日です。今朝、陸上競技場の写真を撮ってきました。一緒に入れておきます。

 先生、先生らしい最後でした。今日も競技場では沢山の生徒が走っています。

 先生、競技場を見ながらゆっくりお休み下さい。さようなら。ありがとうございました。ありがとうございました。

2004(平成十六)年八月九日

                                         教え子代表 桜井雅浩

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2005年8月24日

忙しかった!

 お久しぶりです。約2週間のサボりです。一言シリーズで振り返ってみます。今日は、どうでもイイ私の2週間。明日は、この2週間の出来事、「ニッポン、world、一言言いたい!」をお届けします。

 お盆。13日は午前中教室の掃除。午後、自宅。お墓参り。93歳の祖母は腰が痛く、介護保険の適用を受けており、祖父の墓参りにも行けず。

 14日。女房、子どもは横浜に里帰り。尋常な一日ではなかった。午前、町内野球。応援のために駆けつけるも、人数不足のため、出場。セカンドゴロエラー出塁。盗塁失敗、憤死。守備はライト、セカンド。球が来たのは一回だけ。セカンドゴロで処理す。午後、1中同期会の手配準備。本番。みんな変わらず。ただ年月は微妙に立場を変える。翌朝2時30分まで。

 15日、川に行こうと思ったが、天気が悪く、自宅でゴロゴロ。久しぶりのゴロゴロ読書。気持ち良かったあ。

 16日、SEA夏期講習再開。20日まで。朝8時から夜10時まで。体力勝負だった。生徒には確実に力が付いたことを実感。良かった。こちらはタウリン2000mgのドリンクを1日2本。寝る前の缶ビールは疲れすぎて1本しか飲めない、というか寝てしまう。

 21日~23日桜井家恒例キャンプ。今年は北アルプス常念岳。小雨と霧に濡れたキャンプだが、父親としては自己満足70%。本当はくっきりとしたスカイラインの雄大な山並みを見せたかった。

 24日。午前6時、教育センター主催の教員研修会で「川遊び」の講師を務めるため、川の下見。一昨日来の雨のため、濁り、水量共にひどく、予定の川を断念。サブの川を下見。7時、野田小学校で、ギブスの取れた金子錦弥氏、教育センターの主事と待ち合わせ。計画変更を決定。8時、教室を開け、掃除。9時、中3生模試開始。監督官に要領を確認。2階の小学生の Legoブロックロボット 作りにうんちくを垂れ、自宅へ。着替えて10時過ぎ、番神海水浴場。群馬でペンションを開いている女子美時代の教え子が柏崎に遊びに来ていたのだ。海で、すっかりお母さんになってはいたが、相変わらず魅力的な教え子とロマンチストのご主人と歓談。30分潜り、おみやげ用のサザエを収穫。東京のど真ん中生まれとは思えぬ素直な女性である。11時過ぎ、サヨナラ、バイバイ。12時には今日の研修を手伝ってもらう大学生と待ち合わせ。途中のセブンでおにぎりを買い、頬張る。13時から16時研修。金子さんのギブスが取れて益々好調なご指導と小池さんの実直なお手伝いで、参加者全員が鮎を収穫。思わぬ大漁だった。それにしても、柏崎はすばらしい。それに気づいていないだけである。柏崎でビオトープなど要らない。環境共生公園も基本的に必要ない。必要なのは本当に柏崎の自然を知り、好きで、遊べる指導者だ。もちろん金子錦弥さん、私はその中の一員でありたい。17時、高校生と塾で待ち合わせ。大学受験に向け相談。20時、国公立大合格に変重しすぎている感がある進路指導について高校生に熱弁。21時30分閉店。

 皆さんのお盆はいかがだったんでしょうか?明日からバリバリやります!

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2005年8月11日

反省

 8月1日付「鮎とエネルギー」で私の鮎の師匠、金子錦弥さんのことを書いた。「師匠にみんな取られてしまう」などと戯れ言を書いたのだが、我が師匠は、アキレス腱を切断し、現在、川などもってのほか状態であることが、本日判明した。見舞いも行かず、ご本人からの電話にも塾の授業にかまけてまともに応対せず、アキレス腱のことを話されたにもかかわらず、上の空で聞いていたのだ。誠に不肖の弟子である。申し訳ありません。

 金子さんに教えていただいた川や山、キノコのおかげで私の人生はより深まったのだ。大げさのように聞こえるかもしれないが、本当のところだ。夏が来るのも、秋が来るのも、冬が来るのも、もちろん春が来るのもより楽しみになった。

 それにしても金子さんがアキレス腱とは・・・・。世の中わからぬものだ。

 今年は師匠の分まで鮎を捕らねばならぬ。

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数学を教えていると

 夏期講習も後半戦に入り、数学の問題に頭を使っている。ウチは他と違って、全て個別指導だから、自分で言うのもおかしいが、大変疲れる。こっちは、方程式、こっちは図形、あちらは関数。というようにそれぞれに指示を出し、問題に取り組ませている。一人で、5人平均の問題を見なければならない。講師は疲れるが、生徒は授業を聞いているだけよりも格段に頭を使うし、問題をこなす量は圧倒的に多い。力が付く。

 そんな最中、電話が鳴った。

 「もしもし、石油先物取引の○○ですが、一度お話を聞いていただけないでしょうか」

 「申し訳ありませんが、私は全然興味がないもので・・・・・・・」その時、単位を揃える学習をしていた生徒の問題が目に入った。

 「そういえば、石油の単位はバレルですよね。1バレルって、どのくらいの量なんですか?」「ガロン、って単位も使いますよね。日本はリットルですし・・・・いったい・・・」と言いかけたところで電話が切られた。我ながらすばらしい応対だったと思う。

 その原油は1バレル65ドルを突破した。(ニューヨーク・マーカンタイル取引所)北海油田の枯渇が現実のものとなりつつあり、イギリスやノルウェーは対応を迫られる。先般も書いたアメリカの包括的エネルギー法案はブッシュ大統領の署名をもって発効した。新日本石油も自主油田の開拓を目指す旨発表があった。

 数学をやっていて楽しいのは、解法を見いだし、新たな展開があるときである。先般の新潟日報社説で未だ一回も行われていない、柏崎市長、刈羽村村長、新潟県知事の原子力三者会談について指摘があった。市長が口では「原子力は柏崎にとって大事な産業だ」と言っていても、戦略もなく、またそれを明らかにせず、強い支持を受けている反原発団体におもねっている様は全くいただけない。

 本当に大切な時期なのだ。市民の声を聞くのもよし、赤煉瓦も良いが柏崎は日本の中でもエネルギーに対し唯一に近いほど発言できる都市なのだ。新たな展開が見えない。

 ちなみに1バレル(barrel)(樽)=約159リットル、1ガロン(英)=4.546リットル、1ガロン(米)=3.785リットル ということである。

 さて、皆さん問題です。1バレルは何升でしょう?数学が得意になるこつはとにかく問題にあたることである。もちろんよい指導者が大切である。何事も。

 

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2005年8月 9日

解散、三島由紀夫、そして潜水艦

 ついに衆議院は解散となった。一昨日の日経1面に森前首相が小泉首相に対して最後の説得を試み、「さじを投げた」との言葉が日経にしては珍しくドラマティックに紹介された。政治は正にドラマであり、今後の事も考えるといよいよドラマは佳境に入る。

 私は三島由紀夫を思い出す。純粋であるが故に単純で、単純であるが故に繊細で、繊細であるが故に冒険好きで。だからボディビルを行い、強靱な肉体を作ろうとしたのだ。強靱な肉体で繊細な自分を隠したかったのだ。三島は「羞恥」をよく理解していた。残念ながら最後の訴えは、人々を驚かせはしたが、受け入れられなかった。そして、「憂国」などと言う言葉を真に考える人など少なくなった。

 私は石川啄木を思い出す。故郷を愛したが故に、故郷を憎んだ詩人を思い出す。

 改選後も衆議院で三分の二以上を郵政民営化勢力が占め、参議院で否決されたものをまたひっくり返すと言うことは想定できない。法案を出し直したとしても成立は困難を極めるであろう。ともなれば、当面の間、日本における金融社会主義は維持されることになる。世界第二位の経済大国と言われる国がである。

 前にも書いたが郵便貯金、簡易保険合わせて330兆とも350兆とも言われる金融資産を政府の後ろ盾で留保し、効率的な運用をできず、第二の予算とも言われてきた財政投融資に回され、特殊法人へ流れてきた経過は最後まで改革しなければならない。未だ緒に着いたばかりである。日本人が持つ個人資産の四分の一にあたり、東京三菱など日本の主要4行、日本生命など主要生保4社の合計額に匹敵する事実はやはり見直さなければならない。もとよりのことだが、日本は日本だけで経済を動かすことなどできないのだ。世界は日本の論理をものともしない。先般の六カ国協議、また国連改革における安保理入りのお粗末を見ても自明である。
 
 日本流の社会主義資本主義、社会党的自民党、自民党的社会党といったいわゆる55年体制は残念ながら訣別する時期にきているのだ。柏崎も含め、この55年体制は歴然としてまだある。象徴的な言葉が「表には出らんねえけれども・・・」「待ってればいいのに・・・」そして「表に出るな」といわれた「仮面の支援」である。「仮面の告白」は三島の作品だが、仮面の支援ほど見苦しく、恥ずかしいことはない。

 私は郵政民営化を支持する。そして、柏崎も含め、過疎地のサービスを保持できるシステムが構築できると考えている。反対派がよく言う「郵便局は人件費を含め、一銭も税金を投入されていない」という台詞は、課税もされず、金融機関最大の資産「信用」という強大な武器をもっていることで相殺されて余りある。民営化し、上がった税収で、過疎地の郵便局は公社が担うことも可能だ。

 郵便局の存在は自民党にとっては、特定局長会やOB会「大樹」が、社会党にとっては全逓という巨大組合組織が、大きな後ろ盾であることで成り立っていた。表面上は争っていても、水面下では「なあなあ」のところであった。仮面の下は、ということである。国民のため、といいながら実は体制の維持のためだけである。表面上は「おじいちゃん、おばあちゃん、歩いていける郵便局が無くなりますよ!」と喧伝しているのである。

 政治は要は税金の使い道である。公がどこに金を使うか、である。国レベルでも、市レベルでも同じ。財団法人であろうと、社団法人であろうと、公社であろうと、当然行政そのものであろうと、公が担うべきものは「公でしかできないこと」に絞るべきなのだ。

 本当に繰り返しになるが、私は本来漸進主義者であり、「日本の知恵」を本当に好きなのだ。だが、残念ながらそれでは立ちゆかなくなるのだ。日本も新潟も柏崎も。

 先般、ロシア潜水艦の救助でまたしても「日本」を露呈した。7人の乗組員は急遽空輸されたイギリスの無人救助作業潜水艦で救われた。アメリカの潜水作業員も協力した。日本も海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」を急派したが、結局は現場にも到着できず、何の役目も果たせなかった。イワノフ国防相は、「友情の手を差し伸べてくれた英国、そして日米の人々に感謝する」と述べたが、全くもって恥ずかしく、私には今回の郵政法案否決と同様に思われる。

 「時間との勝負」という事を全く理解していない。今回の衆議院解散で、新潟県選出議員は誰も郵政民営化を訴えないであろう。日本も新潟も柏崎も同じである。気づいたときには深く沈んでしまう。

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2005年8月 5日

瀬島龍三氏の言葉・鬼平の言葉

 お陰様で忙しく、体力の限界に挑んでいる。ドリンク剤も20本購入し、鼻息を荒げながら、英語、数学に取り組んでいる。かなり生徒は力が付いてきている。それを実感できるのはこの仕事の良いところだ。

 世の中、なかなか実感できず、報われないことが多い。表の世界のみならず、裏方に徹して信頼を得、満足を知る生き方もある。

 今日の朝日新聞37面(新潟版)「ニッポン人・脈・記」は瀬島龍三氏が中心であった。陸軍軍人であり、伊藤忠商事のもと会長であり、中曽根政権のブレーンであり、今は確か東急グループである亜細亜大学の理事長でいらっしゃるはずだ。

 紙面で紹介された氏の言葉は重い。

 「満州から持っていった『レ・ミゼラブル』を収容所で読むと印象深かったですね。人間は二つの中心を持つ楕円形だというんですね」。感情と理性、欲望と慎み、神と悪魔・・・・・。「きれい事だけの人間はあり得ない。人は悲しくて尊い」

 現市長と私が図らずも一致した愛読書。池波正太郎「鬼平犯科帳」火付け盗賊改め方長官:鬼平こと長谷川平蔵の言葉

 『人間とは妙な生き物よ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。』(明神の次郎吉)

 「レ・ミゼラブル」も「鬼平」も読んだだけではダメですね。「ファイト、一発!!」

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2005年8月 2日

漁師の腕前

 川漁師たる桜井雅浩の腕前を疑っている方、是非一緒にという方がいらっしゃるようなので内容証明します。 一昨年8月中旬の鵜川での成果です。今年はこんなもんじゃないでしょう。

                         ayu29_2_thumb                                                    

                                    

                              

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2005年8月 1日

鮎とエネルギー

 8月になった。本ブログも滞りがちである。SEAの夏期講習が始まり、朝8:00から夜10時まで生徒の相手をしている。全く体力勝負だ。

 さて、良い天気で、夏だなあ、と感じさせる。今日、8月1日は鮎の投網漁解禁の日。柏崎刈羽内水面漁業協同組合の組合員である私は、キーボードを叩きながらも、実は焦っているのだ。鮎漁のことである。昨年、今年と豪雨被害が続き、川は災害復旧の真っ最中。鮎は遡上しているだろうか?師匠である金子錦弥さんにみんな採られてしまうのではないか?など気が気でない。

 7月末、柏崎にとっても、日本にとっても重要な政府方針が日米で出された。日本では「原子力長期計画」改め「原子力政策大綱」が28日原子力委員会でまとめられ、アメリカでは「包括的エネルギー法案」が28日、29日と下院、上院で可決成立した。核燃料サイクルを含んだ原子力への依存割合を増やす方向であり、ブッシュ大統領が署名すれば成立する米法案は中国エネルギー政策へのけん制であり、スリーマイル以来の新原発建設への第一歩となるものである。まだそれぞれ全部を読んでないが、非常に大切なものである。私はその方向性は正しいと思う。アメリカの法案に対しては、テキサス、石油産業をベースとするブッシュならではのところもあると思うが、基本は次世代でのエネルギー確保である。

 柏崎にあるMOX燃料はどうなるのか?原発反対派や脱原発派がその大半を支える現柏崎市政は国の方針に対してどのようなメッセージを送るのか?また、原発反対派にはプルサーマル反対と言い、原発容認・推進派には原発増設と訴えて当選した議長は全国原発議長会でどのような舵取りをするのか?

 昔、渡辺美智雄さんが、「毛針に引っかかる魚は・・・・」と言って物議を醸したが、柏崎も手段を選ばず何でもありである。人数確保の地引き網も行われた。

 鮎にしても友釣りなど、釣りを楽しむ方々から見れば、投網など邪道である。釣りをする私自身にもその感覚はある。しかし、成果は友釣りの方が良いのだ。それでも私が投網漁を好きなのは、水中をのぞき、ヤスを構え、岩陰の鮎と正対し、川と一体となって行うものだからである。地引き網や底引き網は根こそぎである。

 みんなトラレテしまうのではないか、鮎も石油も票も。心配であるが、私には今、学習塾と週末の漁しかない。冗談ではなく、日米2つの方向性に対し、反応するべきである。

 私は、昼休みの漁に挑戦する!ますます体力勝負の夏である。43歳。

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2005年7月27日

柏崎の花火で考えたこと

 昨晩の花火大会は判断が迫られるところだったであろう。台風の動き、翌日の天候、そして最近の要素として加わったのが、市外からのお客さんへの配慮、観光業への配慮と言うことになる。

 桟敷席も大幅に増えた。その収益の一部が尺玉の100発同時打ち等につながっている。「お客さん」が多くなった分、良い花火が見られるようになったのも事実である。格段に良くなった。評価もグーンと高くなっているだろう。

 一方、長い間地元住人の無料見物場所であった砂浜などは、有料桟敷にだんだんと浸食されてきている。不満は強い。おまけに昨日は雨の中花火を見ることとなった。何のための予備日なのだ、天気予報は27日の回復を予想していた、と言う声も多い。

 難しいところである。ただ、申し上げたいのは柏崎の花火は八坂神社の奉納花火から始まり、土着的な要素も強い、ということだけだ。このことは忘れないでいたい。

 「すばらしいわ」

 雨の中、市外からいらっしゃったと思える女性が思わず声を上げていたのには安心した。その傍らを、ずぶ濡れになり、「寒い」と言いながら途中で帰った子ども連れも多い。

 知恵があるはずである。

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2005年7月25日

筋肉痛から秋には復活!

 ぎおんの神輿、次男柏崎ドルフィンズB野球の練習、ぎおん柏崎祭りの神輿準備、SEAの引っ越し(3階へ)、と立て続けの肉体労働で全身筋肉痛状態が続いている。

 お陰様で、学習塾SEAもようやく復活の兆しを見せ始めて、忙しくなってきている。教室も一つ増やすことにした。とは言っても、以前は3部屋も借りていたのだから、ちょっとだけ戻ったと言う状態。頭もフル回転に近づいている。

 その教室も日曜日は、柏崎第一中学校、昭和53年卒業同期会実行委員会の事務局となり、柏崎高校第33回卒業同期の事務局となっている。よりによって、今年が当番幹事なのだ。それぞれ、8月14日、8月6日である。

 昨日からぎおん柏崎祭が始まった。去年、長男が「来年はお父さんが挨拶するんだね」と言っていた民謡流しもお休みした。毎年、柏崎甚句を踊るのを楽しみにしていたのだが、今年は体も頭もそういう状態なので。今日のたる仁和賀は出る!八坂神社和奈美会は本家京都祇園八坂神社にならった白で統一した法被だ。本部へ突っ込め!と言う声もあるが、まあそれはしない。

 祇園が終わると、28日からSEAの夏期講習となる。申し訳ないが、大人の相手はしていられなくなる。ゴメンナサイ。本ブログの更新もままならなくなる。夏が終わったら、いよいよ動き出す。大人の方、大いに相手にしてね!見てろよ!!

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2005年7月20日

中国・ニッポン・柏崎

nisseki_3_thumb  間違って、アッポンと書くところだった。

 「中国」、「エネルギー」が日本にとっても、新潟にとっても、そして柏崎にとってもキーワードになってきている。

 ぎくしゃくしている日中関係の中で、西山と合併した柏崎は日中国交回復「井戸を掘った人」田中角栄氏生誕の行政市となった。そして、言うまでもなく、世界一の原発立地点である。

 中国の経済発展は著しい。最近の原油高の原因は偏に中国にある、と言っても良いのだろう。そんな中で、今ほど、中国の2005年上半期(1~6月)の国内総生産(GDP)の実質伸び率は前年同期比9・5%増と発表された。そして、石油関係への投資額は80%を越える伸びである。

 日本と争う東シナ海でのガス田開発、ロシア、カザフスタン、イラン、ベトナム、ベネズエラ等での原油確保に向けたエネルギー外交、アメリカ石油大手ユノカル買収。そして、何と言っても日本にとって大きな痛手は、日中両国が競合していたシベリア原油のパイプライン計画についてだ。プーチン大統領がイギリスでのサミット終了後、中国に送るルート建設の方を優先させる方針を明言したことだ。日本が求めていた太平洋沿岸までのルート建設の実現は極めて厳しい状況になった。

 中国の電力は約80%が石炭による火力発電であるが、石油消費量が2002年に日本を抜き世界第2位になったことは、乗用車の販売台数が年間約300~500万台を数えるまでになったことでも裏付けられる。また、中国は世界一の鉄鋼の生産国であると同時に、世界一の鉄鉱石の輸入国である。要は資源の大消費国になってきているのだ。そして、更に注意しなければならないのは、一人当たりの資源の消費量は、まだ、日本やアメリカの10分の一から15分の一であり、これが向上してくるのが必至であるわけだから、日本や柏崎は三峡ダムで、中国や宜昌市に対し驚いていられないのだ。

 この夏北京でも猛暑が続き、今月下旬には電力不足が案じられている。今後の電力不足を見込み、原子力発電の配置増が検討されるであろう。事実、三菱重工業は9日、米原発メーカー大手のウェスチングハウスの買収を提案したことを明らかにした。ウェスチング社の親会社は英核燃料会社(BNFL)である。いつも10年ほど前で恐縮だが、私がイギリス・セラフィールドにあるBNFLの再処理工場に伺った際、担当の方が、既に中国のことを話していらっしゃったことを覚えている。この買収が成功すれば重工や日本にとっては良いことかもしれないが、柏崎にとってはあまりプラスではない。東京電力・東芝・日立の原子炉はBWR沸騰水型であってGEによる。重工・ウェスティングハウスのPWR加圧水型ではない。

 前にも書いたが、柏崎は日本石油の発祥の地としても歴史がある。(写真は日石の蒸留プラント:もうすぐ解体される。写真でさえ誇り高いではないか!)駅前工場跡地のレンガの保存も大切だが、それよりも何よりも、日本石油とのつながりにおいて、「あっさり」と引き下がってきたという印象を与えたことは非常に大きな失敗である。様々な手があったはずだ。政治の出番であったはずだ。

 日本にとっても、柏崎にとっても文字通り中国経済の急成長、とりわけエネルギー需要の急増は文字通り「対岸の火事」としてはならない。東京電力、東芝、日立、そして歴史ある新日本石油、東シナ海のガス田の採掘権をとった帝国石油と連携し、信頼の中で柏崎に真のエネルギー産業を復興させるべきである。もちろん新エネルギー技術や省エネルギー技術も含めてである。どうしてそれを打ち出さないのか!柏崎の今後のために今一番しなければならないことである。柏崎でなければ出来ないことなのに。市民の声ばかり聞いていないで、それは基本、手段であって、目標ではない。政治を行っていただきたい。時間はないのだ。

 日本のエネルギー戦略と柏崎の生き残りの鍵はここにある、正に柏崎に種がある。詳しくはここでは書かない。それほど日本人:お人好しではない。柏崎ではアホがなまり、アッポンという。

 

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2005年7月19日

どっちがウマイ?

 今ほどメールが着いた。先日、「蒲団」で書いた友人からである。この男からは昨年、祝杯用のシャンパンを1ケース送ってもらった経過があるので無碍には出来ない。要は岩ガキを送れ、鮎を送れ!という注文なのだが、こういう注文の仕方もあるのだな、さすがは文筆業!と少し感心したので、全文を掲載する。無論本人の許可など無い。  

   5年振りに有給休暇がとれることになったため、
  勉強好きの娘に無理やり学校を休ませ、旅に。
  電話をもらったのは、その道中だった。
   当初の予定は、海外。年老いた母と義母から
 「死ぬまでにもう一回、どこかに連れてって」と懇願されていたため。
 しかし、義母と娘のパスポートが期限切れのため、あえなく断念。
 それなら沖縄へ、と方向転換したものの、
 3泊目のホテルがどこもとれず、これまた断念。
 あれやこれやと悩んだあげく(新潟行きというのもあったけど…)
 伊勢志摩という渋いエリアへと出かけることになった。
 これまで出張する機会が多く、国内のほとんどのエリアへ
 行ったのに、なぜか紀伊半島だけは空白地帯。
 奈良以南には足を踏み入れていなかった。
  「このあたりは的矢カキが有名なんでしょ」
  「旬は10月から3月頃なんだって」
  「カキは冬だもんね」
  「でも、夏にも岩ガキがあるじゃん」
  「ちょうど今頃でしょ、岩ガキがとれるのって」
  「そうそう。クリーミーでさ、甘くてさ、たまんないよね、あれ」
  「うん、食べた~い」
  「もうそろそろ、桜井が送ってくれるんじゃない」
  「鮎の季節にも、送るって言われてたみたいだけど、
  結局来なかったじゃない」
  「そうだっけ…」
  電話がかかってきたのは、そんな会話を交わした日のこと。
  それだけに、「送る」と言われて天国を味わい、
  「東京にいないならダメ」と言われて地獄に突き落とされた感じ。
  それを聞いた娘と妻は、同時に
  「え~、いや~ん、なんとかして」                                        
                                                                                                                                    
 私からの返信はこうなる。
 「祝杯用のシャンパンは送ってもらったが、残念会用のシャンパンはまだ受け取っていない。フランスには数え切れないくらい出向き、パリを隅々まで熟知する君のことだからよく分かるだろうが、牡蠣にシャンパンは良く合うはずだ。残念会用だから1ケースは要らない。こちらは地位はともかく、名誉をかけてモグルのだからその辺を良く理解してもらいたい。ちなみにこちらでは鮎もこれからが最盛期だ。」

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80歳の始球式、そしてファイト

 今朝のNHKで夏の甲子園、神奈川県大会の始球式のことが放送されていた。マウンドに立ったのは80歳の横浜商(Y校)OB、斉藤哲男さん。斉藤さんは3年連続して県大会に優勝したにもかかわらず、戦争のため甲子園に行けなかった。横浜スタジアムのマウンドでは胸に同じく野球を愛し、沖縄戦で亡くなったお兄さんの写真が入っていた。女子ソフトボール部で活躍する3人のお孫さんと練習をする姿が心を打った。

 斉藤さんの言葉「何でもないことを大切にして欲しい」投げ終わったあとの笑顔がとてもハンサムであった。

 続いて、同じくNHKの朝の連続ドラマ「ファイト」こちらでは、昔はノリピーと呼ばれていた酒井法子が若くて、きれい、魅力的な母親役を演じているし、旅館の女将は由紀さおり、若女将は三原順子、とそれぞれ持ち味を出している。歌手シリーズである。

 主人公、優(本仮屋ユイカ)の言葉。原田大二郎演じる大学病院教授の無理な注文に対して。「お金を払うとか、有名だとか、おかしいと思います」普通であれば、高校生みたいなこと言って、(実際、設定は高校生)と終わらせるようなものだが、マウンドでの斉藤さんのさわやかさとつながって43歳の私も「よしよし」と手を打った。

 週始めの朝、心も打ち、手も打ち、後は何を打てばいいのか。八坂神社の祇園祭も終わり、御輿を担いだ足腰は筋肉痛の固まりで、さて、今週もファイト!

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2005年7月16日

米山町の男

 午後から子どもたちと海で泳いできた。米山町の海である。先日の海開きにも招かれ、好意に甘えた。14年間市議として挨拶をさせていただき、仕事をさせていただいた地域である。純粋で、熱い男たちがいる地域である。

 今日は、米山小学校の3年生以上が校外学習で、地元の海で、サザエ捕りをしていた。お父さんやお父さんOBの男たちが総出で、朝早くから、深い海で採ってきたものを、浅瀬の岩場に撒き、採らせるという仕組みである。米山、上輪、新田、笠島、青海川と言った海に隣接の地域の子どもでさえ、学校の指導で、浮き輪に身を任せていた。潜れる子、泳げる子もたくさんいるのであろうが、学校側の責任を考えれば仕方のないことなのであろうか。

 いつも思うのだが、責任という言葉は重いものであるのだから、そう簡単に任せて下さい、等とは言えないと思うし、言ってはいけないのだろう。しかし、学校の先生のみならず、親の側も、また、一般的な日本人も安易に責任を回避し、そしてそれに触れたがらないようなところがある。そうやっていくうちに、極めて安全な、けれどもしらじらとした社会になってしまう。責任を担うことのない、誰も言わない、熱い心など意味を持たないアメリカのような訴訟社会が日本においても目の前である。

 米山の男たちは、短くもなく、そう長くもない14年という年月を覚えていてくれる。忘れないようにしていてくれる。熱意である。忘れないでいるというのは基本的で、そして大変な責任である。常に意識しなければならないことだから。意志ある行為である。忘れたい、忘れよう、もしくは知らず知らずに忘れることを何とも思わぬ風潮の中で私自身も覚えていたい。覚えていること。このことは私自身にも言い聞かせなければならない言葉だ。そして、自分の子どもに関しては、「浮き輪なしで泳がせて下さい」と言える親でありたい。

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2005年7月15日

レンブラント

 昨日の「土門拳氏と妻の父」に書いたレンブラントであるが、全くの偶然であるが、今日7月15日が誕生日であった。398年後の今日、柏崎でお祝いをしてやっても良いと思う。これは自画像ではない。

             man_in_oriental_costume_5_thumb                                                                                                          

           Man in Oriental Costume ("The Noble Slav"), 1632

         Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) (Dutch, 1606・669)          

  

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2005年7月14日

土門拳氏と妻の父

 狭い我が家が益々狭くなり、少しずつ寝所が狭められてきている。そこに妻の実家が赤坂から横浜に引っ越すこととなり、10年程前に亡くなった義父の遺品ともいえる蔵書が柏崎に送られてきたのだ。しばらくそのままにしておいたのだが、今朝、箱を開けてみると写真家土門拳の写真集や著作が出てきた。

 義父は前にも記した様に腕の良い表具師であった。料亭や歌舞伎役者などを顧客に持つ職人であり、趣味は写真で、妻との結婚の結納返しも私が持つ一眼レフNikonF4のパーツであった。

 土門拳氏と言えば「古寺巡礼」が有名であるが、私は「筑豊のこどもたち」を撮った「弁当を持ってこない子」や「風貌」の「會津八一」「志賀直哉」が好きである。皆が弁当を食べる中ひたすらに絵本を読む(読むふりをする)少女、レンブラントの「Man in Oriental Costume 」を連想させる「八一」の威風、そして、柔らかさを湛えた「志賀」に当たる光。

 義父が生前の頃だったと思う。妻と二人で秋田まで車で向かった途中、酒田に寄り、「土門拳記念館」を見てきた。その後機会があってもう一度訪ねている。度に圧倒されて帰ってきた。

 権威や権力に対しむき出しの気迫はモノクロであるからこそ表現できる。土門氏の難儀な人生は社会主義への接近を経て、そして日本文化、日本人、日本の自然へ戻っていくのである。私は激情家ではないが、土門氏の執念には美しさを感じる。激しい中にも、厳しい中にも柔らかさを感じるのだ。その柔らかさ、優しさは同じ酒田出身の詩人吉野弘のものと同様のものであり、そして表裏であるように思える。

 義父が残した蔵書は自分の娘、孫への思い、そして私への叱咤でもある様に思えた。

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2005年7月13日

給料と大学

 国立大学学長・総長の月給が減らされているという。先日新潟日報に載った記事に由れば、東京大学132万8000円、地元新潟大学は122万円。新潟大学には申し訳ないが、東大総長は安すぎる。大学に序列等無い、ときれい事を言うつもりはない。東京大学は日本の学問のトップである。

 郵政民営化が参議院で審議が始まり小泉首相は「慎重」になっているが、国立大学の独立行政法人化が学長・総長の月給減の裏にあるとするならば、郵便局と一緒にしたらかわいそうである。日本が大学に金を突っ込まないでどうする!と言いたい。

 国立大学が金の使い道を考え直すのは大いに歓迎する。郵政民営化では「ユニバーサルサービスの確保」なる単語がキーワードになっているが、国立大学の教職員の待遇までuniversalであってはいけないと思う。教授であれば、仕事の質、責任量、学術的評価、論文、学生からの評価、あえて人気なども加味しなければならない。

 日本は、郵政民営化を進めながら、財政投融資や特殊法人への金の流れを入り口で閉じ、元々、国民がその技能と勤勉で稼ぎ出した金を今後ともその「国の成り立ち」を継続させるため、大学に意味ある金を使い、また大工、左官、旋盤工、精密加工技術者、庭師、茅葺き職人、宮大工、農業技術者などの技術維持とナノ、バイオの技術向上のために使うべきなのだ。「教養・道徳と技術」で骨格を為す「ひとづくり・ものつくり」大国を目指すべきである。柏崎も同様。

 東大、京大が知をリードし、東大は官僚の養成というもう一つの役割も果たしてきた。敢えて言うが、それは大切なことである。地方の大学にそれは求められていない。人材供給と「学びの雰囲気づくり」、そして何よりも地域に若い人がいるという「実在感」=実利的な効果である。求められているのは。

 さて、自民党をぶっ壊す方向に進んでいる日本の内閣総理大臣の月給は222万700円、柏崎市長は96万円、柏崎市議会議員は39万である。一国を預かる身の上としては余りにも安いのではないか?ちなみにアメリカ・ブッシュ大統領は確か月給に直せば300万円強ぐらいだったと思う。これまた安い!

 それにしても柏崎の新潟産業大学、新潟工科大学は財務状況も公表していない。多額の税金を投入されているのだから、公表してもしかるべきだ。地方の私大が厳しい中で、両大学の生き残りを真剣に考え、両大学と新潟大学工学部を統合し、柏崎に持ってくるぐらいのアイディアは欲しい。統合や首都圏の大学との連携は必至だと思う。

 是非、郵政民営化のみならず大学に対しても、その価値を認め、学問の価値についても政治的判断が欲しい。いくら安くても、政治家が給与なり報酬を頂いているのは、責任を持って決断をすることに対しての対価なのだから。

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2005年7月11日

夏が来る

 海に、山に、川にと忙しくなりそうな夏である。週始めの月曜日に申し訳ないが、今年の夏は大いに働いて、稼ぎ、大いに遊ばせて頂こうと思う。学習塾のSEAも夏期講習で、7月28日以降は、朝から夜までフル操業の予定ですので、申し訳ありません、政治・経済界の皆様とはご一緒できません。

 学習塾も大手が幅をきかせているが、SEAでは私が教える。教員採用試験を落ちて、塾の先生になった様な講師では無い!こっちは市長選に落ちた講師、桜井雅浩である。授業ではなく、個別指導でビシバシやっているので、実力は付く、成績は伸びる。と、勢いよくやっていくつもりだ。

 私は数学者であり、エッセイスト藤原正彦さんの考え方や文章が好きなのだが、少し紹介する。

 藤原 今、日本を覆っているのは、子供におもねることですね。子供中心主義という誤った考えが日本中を覆っています。
 私は中教審議会で臨時委員をやっていたときに、「子供たちに基礎、基本をきめ細かく指導する」と指導要領に書いてあるので、私はすぐ発言して「きめ細かく指導するだけでは足りない。きめ細かく、かつ厳しく指導する。それでなきゃだめだ」と。そうしたら、教育界のある大御所がすぐに立ち上がって、「厳しく子供に指導したら、子供が傷つく恐れがある」と言うんです。これが今、日本中の国民の考えです。
 ところが、傷つけずしてしつけとか、規則というのは教えられない。したがって、「子供を傷つけてはいけない、子供は大事だから」とおもねる、この姿勢がある限り、読解力や計算の力を上げるのは不可能です。
 例えば、ビデオやテレビを観たり、インターネットをすることに比べて、活字を一個一個追うことは、ものすごい忍耐力です。がまん力です。これはやはり子供にがまんを強いないとできないわけでしょう。易きについたり、子供におもねったらできないわけです。計算もそうですよ。「九九を全部覚えてこい」「来週の水曜までに七の段まで覚えてこい」というのは苦しいことでしょう。強制することによって初めてたたき込めるわけですから、子供におもねっていては、とても難しいわけですよね。
 例えば、公立の小中学校から教壇がなくなったでしょう。先生と生徒は平等で、お友達なんです。だから、先生たちは子供に教えるのでなくて、子供の学習を支援する人なんです。学習の教授者ではなくて、支援者です。
 当然、子供を張っ倒すとか、そんなことは誰一人しなくなった。基礎力を教えるのは本当に難しい状況になっているんです。(「原子力文化」2005年5月号)

 私は、今年の夏休み子どもたちを連れて、北アルプスに行きたいと考えている。私はオンタケさんの米山登山で山を始め、柏崎高校1年の山岳部夏合宿、太郎、雲の平、三俣蓮華、双六、槍ヶ岳、徳沢、上高地というルートでとりことなった。半ば涙を流しながら歩いた初めての北アルプスであった。子どもたちには難儀を与えたい。

 藤原さんのお父さんは山岳小説で有名な新田次郎氏、お母さんは作家の藤原てい氏である。藤原氏の考え方を学ばなければならないのは、日本国民であり、柏崎市民である。

 アランも教育について冒頭でこう言っている。

 楽しませながら教えるという方式にはいつもながらひどい足げを食らわすだけだ。

 もとより教育だけに言えることではない。

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2005年7月 7日

笑い話にならない社会

 「あんなにまずい料理をつくる国(イギリス)の国民は信用できない」「フィンランドの次に(料理が)まずい」「イギリスがEUにしたことはBSEだけだ」とシラク フランス大統領がシュレーダー独首相とプーチン・ロシア大統領に語った、という報道のせいか、否か、オリンピックはロンドンに決まった。

 確かにロンドンはローストビーフかソーセージにポテト、という感じだったし、フィンランドのトナカイの肉はかたくて、美味しくなかった記憶がある。ただ、イギリスのファストフード、フィッシュアンドチップスはCodつまり鱈のフリッターとポテトなのだが、これは揚げたては美味しかった。

 しかし、世界に誇るフランス料理。シラク大統領から見れば、本音が出たのでしょう。ここまでは良かった。一方、パワーゲームである開催国選びは、イラク戦争で協力をしなかったフランス・パリへは投じたくないアメリカ・ニューヨークの票がイギリス・ロンドンに流れたといわれている。事実であろう。オリンピックも十分政治なのだ。

 そして、更にそのイギリス・ロンドンでは先程テロと思われる爆発事件が起こり、死傷者が出ているという。疑われるのはサミットをめがけたものであるのだが、まさかオリンピックの一件が影響しているとは思いたくない。イラクからつながるテロである可能性が高いと思われるが、これまた許されるべきではない。

 つい先程まで、ブッシュ大統領が自転車で転んだとか、何かほのぼのとしたニュースを喜び、冒頭のシラク大統領の本音に対しては、イギリス人たるもの伝統のユーモアで返すべきであると、「フランスには料理はあってもGentle(紳士的な)という言葉は無いようですなあ」とか「やたらSAUCE(ソース)はいっぱいあるけど、SOURCE(ニュースソース出所)としてはおそまつですなあ」等とブレア首相に代わってジョークを考えていた私である。ユーモアやエスプリが評価される社会になってもらいたい。本当に。

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2005年7月 6日

笑い話

 塾に通ってきている生徒が、勉強の合間に心理テストをやってくれた。やってくれた本人には悪いが、余りにも笑い話に過ぎるし、桜井雅浩もここまで良い人かと思うと、宣伝するしかない、と思い報告致します。

 ◎心のAライセンス
まさひろさんはかなり美しい心の持ち主です。その心が伝われば、あなたの周辺には穏やかな空気が流れることでしょう。ただし優しさや誠実さなど何も評価しない人もいるので要注意です

◎才能のAライセンス
才気に溢れ、その力だけで一定の成功は得られることでしょう。さらなる飛躍のためには人の協力を得ることも必要です。逆に人徳が低すぎれば才能もつぶれるのかもしれません

◎境遇のAライセンス
もしまさひろさんが今の自分を恵まれていないと思うのならそれは大きな間違いで、世の中ではかなり恵まれている部類に入ります。悩みどころか毎日苦痛を味わっている人がいることも考慮し、境遇には満足しておきましょう

◎人徳のSライセンス
まさひろさんの人徳は大変優れています。あなたの求心力、カリスマ性があなたを一段高いステージへ押し上げてくれるはずです。くれぐれもこの人徳を利用して詐欺師にはならぬよう…

◎運のBライセンス
普通の運です。確率通りに物事が動いて、ラッキー!と叫ぶような場面はそんなにないかもしれません。面白みに欠けるものの、大きな危険もないでしょう

※まさひろさんのお値段は…   

1億0541万9710円


※階級は  

人間国宝級

  (42段階中6位)

※内訳※

♪心├2043万7230円└19.3%
♪才能 ├1870万8810円└17.7%
♪境遇├2023万2650円└19.1%
♪人徳├3164万0190円└30%
♪運├1440万0830円└13.6%

 まさひろさんがもっている最も高い財産は「人徳」です。憎めない雰囲気や得体の知れぬオーラを発するタイプで、ピンチにもチャンスにも誰かが協力してくれることでしょう。心の値段も高く、この点でも人の心を捉え、人間関係は磐石です。あなたの人生はあなたの能力より、常に「人」がキーとなることでしょう

例えばまさひろさんを商品にすると以下のようなものが購入できます
◎マイホームを2軒
◎まさひろさんの豪華結婚式を1回
◎全自動洗濯機を4台
◎高枝切りバサミを1セット
◎コシヒカリを10kg
◎腹筋運動補助具を1台
◎回転寿司を14皿
◎うまい棒を3本

 また、一日三食を肉まんだけで生活すると399317日生きられそうです (1094年と0ヶ月)

 さらに、普通の生活をすれば21083日生きられそうです (57年と9ヶ月)

 以上、これによって私は100歳と11ヶ月を生きることができ、3月に往生をとげることとなる。どうせだったら、フキノトウの季節を終え、桜の花を見てからにしたい。何とかもう1ヶ月延ばしてもらいたい。介護保険はその頃どうなっているのだろうか?

 

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小泉純一郎さんと石川啄木

 ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中にそを聞きに行く  「一握の砂」

 教科書に載る有名な石川啄木の歌である。ふるさと岩手に対する思い、郷愁の抒情詩人として知られている。その一方で、彼は自分たち親子を追い出した郷里に対する強い忌避感も持っている。その理由がいかなるものであったとしても、郷里への愛憎は事実である。自分を悲しき状況に追いやったふるさとに対する憎しみと悲しみがあふれている。

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ  「一握の砂」

 たわむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず  「一握の砂」

 ふるさとの山に向かひていふことなしふるさとの山はありがたきかな 「一握の砂」

 新しき明日の来るを信ずと言ふ自分の言葉に嘘はなけれど  「悲しき玩具」

 昨日の郵政民営化法案の結末を見ていると、小泉さんと石川啄木が重ね合わせられた。「自民党をぶっこわす」と言って登場し、「郵政民営化」の一枚看板で自民党総裁となり、首相となり、抜群の人気を誇って、小泉さんとの握手姿が当選の条件と思えるほどだったのが、今や「5票差」である。

 今現在、小泉さんの、自民党への思い、日本という国に対する思い、また政治への思いはいかなるものなのだろう。言っておくが私自身の考え方が小泉さんと一致するか否かはこの際大切ではない。余りにも「使い捨て」としようとしていないだろうか、ということなのだ。権力闘争なのだから、これが政治だ、と開き直られれば一言もないが、「造反議員」の顔ぶれを見るとどうしても「卑しく」見えてしまう。

  気の変わる人に仕へてつくづくとわが世がいやになりにけるかな   「一握の砂」

 けれども小泉さん、頑張って下さい。執念です。私は応援しています。執念。

 

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2005年7月 5日

小泉さんの笑顔

 国会中継を見ていた。5票差ながら郵政民営化法案が衆議院で可決された。記名採決による各議員の投票行動を見ていると面白かった。反対の青票を振りかざす議員がいたり、自民党から造反議員がでるたびに拍手がわき起こる。中には票をどちらの職員に手渡したかをわざと分からなくするような素振りで通り過ぎようとする議員がいた。

 そして、法案は参議院に送付されるわけだが、私は、サミット後、参議院で100時間審議、否決、衆議院の優位性により法案がその「地位」を確保されたとしても、小泉首相が衆議院を解散し、自民党を「ぶっこわす」可能性もまだあると見ている。もちろん、小泉首相に大きなタガをはめるのは、自民党内部、執行部ではなく、公明党である。衆議院採決時期まで、都議選のあとと、決められてしまった。公明党は「郵政解散」」なんて断固として認めないであろう。

 「そもそも論」は日本国民個人が持つ金融資産1400兆の内、郵貯、簡保合わせて350兆もあり、その金を国債、地方債の購入に当て、と言うか買い支え、財政投融資で特殊法人に流してきた実態が問題視されているのだ。

 そして、その一方で、柏崎のように地方都市においては、地元の「利便性」が損なわれるのでは?という不安と特定局長会などの利権団体、それに繋がる議員、そして、公務員という職を危うくされている組合などが反対にその論を向けているはずだ。

 私の考えは、「民営化しかるべき」だ。ただ、今回の修正案では逆に民業圧迫となりうる可能性が高くなってしまった、と思う。郵便、郵貯、簡保の三事業の一体化、株の持ち合いなどを完全民営化後も可能性として残すなど、もしかしたら、今よりも肥大化する可能性がある。

 それにしても、みずほ、三井住友、東京三菱、UFJという日本の銀行大手の預貯金残高の合計(227兆)と「郵貯」のもの(226兆)がほぼ同じだというのは、全く怪しいし、おかしい。おまけに、日生、第一、明治安田、住友(合計121兆)、簡保(122兆)と言うのを聞くとますますバカにするな!と言いたくなる。その差、それぞれ1兆は、役人たちの「1チョウアガリ!」と言う声が聞こえてくるようだ。

 アメリカにやられる、と言う危険性も確かにある。いくつもの不安や不満を抱えながらひとまずは衆議院を法案は通過した。その瞬間、テレビに映った小泉首相の笑顔は正に心からのものに見えた。もちろん、参議院や今後の行く末に対する難儀は予想できるのだろうけれども、あの笑顔が見せられる小泉さんの強さはこれまた事実である。ワンフレーズと言われようが歴史に名を残すことは間違いない。

 

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2005年7月 4日

見かけによらない

sirogaya_thumb

 写真中央、白い葉脈みたいなものはシロガヤという歴とした動物である。柏崎では、「ハネ」と呼ばれるものであろうか?調べると刺胞動物という種類で、「刺す」動物なのだ。

 ということで、私の左腕は赤く腫れ上がっている。おまけにかゆい。昨日も子どもと海に行ったのだが、先週のクラゲに加え、今年はよく刺される。

 人は見かけによらない、といわれるが、どう見ても海藻にしか見えないものだから、分かっていてもつい油断してしまうのだ。人の見かけと言葉に対する耐性、見極めはお陰様で付くようになってきたが、大自然の中ではまだまだのようである。全く油断ならない。

 人間の世界では、人の心の安寧を求めるはずの宗教が争いの元となっていたり、人に優しいはずの政党が平気でクビキリをしたりする。市民のためにと言いながら先ずは自分たちのことを優先させる。

 植物に見えて、「刺す」動物である「シロガヤ」に新たな対策を講じることとした。見とれよ!来週は無傷で生還してやろうとファイトを燃やしている。NHKドラマ「ファイト」も気になる。

 

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2005年7月 1日

クロネコヤマトの宅急便

 小倉昌男さんが亡くなった。ご存じ宅急便の生みの親である。様々な会社が宅配便を行っているが、私はやはり、「始めた人」を尊敬する。

 行政と喧嘩し、信念を曲げず、運輸業を文字通り「サービス業」に仕立てた方だったと思う。(桜井雅浩)「斬新なアイディアを次々と実行」(朝日)、 家庭向けの宅配サービスの草分けである「宅急便」を生み出した(読売)、そして、月給平均1万円という障害者の福祉作業所の実態を「この豊かな日本で絶対に許さない」と憤り、私財を投入し、「人のためにと高い目標に挑み続けるロマンチストだった」(日経)(編集委員:塩田宏之氏)

 ずうっと、「宅急便」を使ってきた。東京にいるとき、母から送られる笹団子や畑で取れる野菜は「宅急便」だった。スキーに行くとき、「スキー宅急便」、柏崎から送るふきのとう、ウドやサザエ、今年の鮎ももちろん「クール宅急便」だ。

 柏崎のドライバー桑原さんは、配達というサービスの他に「ガンバレよ!」と声をかけて下さる心熱き方だ。「クロネコヤマトの宅急便」♪♪への信頼は、創業者へのものであり、ドライバーへのものでもある。

 郵政民営化論議が国会でゴチャゴチャするこの時期に亡くなられたのは小倉さん最後の「反骨」だったのでは無かろうか。

                     

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2005年6月29日

被害:爪痕

 昨日の豪雨は上がり、水は引いた。宮場、城東などでは浸水された方も多い。今日は学校もお休みのところが多く、子どもたちも総出で泥あげをしているご家庭も多いだろう。心からお見舞い申し上げる。

 治山、治水は政治の基本といわれるが、現代社会にあっても自然の力を見くびってはいけない、ということだろう。2年続けての豪雨被害は、地震と合わせ災害復旧が当面の課題となってしまうのは仕方ない。

 雨の中、「もう仕方ないよな」とあきらめ気味につぶやかれた方がおられたが、確かに2メートル以上もある石がゴロゴロと音を立てて、川の中を転がる様は、ただ見守るしかないのだ。

 今朝の青海川は谷根川河口部にはゴミが重なり、ゴロ石や砂・砂利が大量に堆積している。川の脇の小さな水たまりに逃げ遅れたニジマスやヤマメ、鮎が泳いでいた。このままでは水は干上がり、魚も死んでしまう。捕まえた2匹のニジマスは本流に逃がした。漁師の私もさすがに捕まえて、食べてしまおうとは思わなかった。

       oomigwa_nakahata_thumb oomigawa_nijimasu_thumb

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2005年6月28日

大雨・今日の柏崎

                  oomigawa_thumb   

                              青海川地内(11:00頃) 

 青海川地内は昨年も7月の豪雨で大きな被害を受けた。11時前に避難勧告が出された。町内の方々は米山山荘に避難していらっしゃる。市内では、宮場、城東、常盤台、剣野、柳橋などにも午後避難勧告が出された。

                    oomigawa_2_thumb

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2005年6月27日

6月の海

 海に潜った。6月の海に潜るのは、高校3年の夏以来だと思う。柏崎高校の体育祭を終わらせ、打ち上げを終わらせ、我が家に友人たちが泊まり、飲み物を飲み、扇風機を窓の外に向かって使っていたその翌日だった。あの頃は酒もたばこも18歳で認められていた。と思う。今は、県営の柏崎マリーナになっているが、あのころはサザエを採るに適度な岩場があり、二日酔いの私たちは、車を(自転車)走らせ、海に向かったのだ。

 寒かったように記憶している。唇が紫になり、体を震わせながら、サザエを採っていたような記憶がある。記憶が混在しているかもしれない。

 昨日の海は、そんなに冷たくなく、子どもたちと共に潜り、収穫を楽しんだ。子どもたちも小6,小4の次男まではもういっぱしの漁師である。

 海に潜っていると、いつも不思議な感覚がある。私はかなりの深さまで潜れるのだが、水の冷たささえ気にしなければ、このまま沈み込んで行くのではないか、という怖れでもあり、また魅力というのか、えも言われぬ「引力」があるのだ。

 そんな力も、獲物が目にはいると、やはり物欲が優先する。しかし、私は、乱獲者ではない。断言しても良いが、私ほど、柏崎の海・山・川で遊ぶ政治関係者はいない。

 漁協の方と、協力し、番神の自然水族館は是非、復活させたかった。大きな鉄筋コンクリートの水族館ではなく、子どもたちが、自然の岩場で、潮だまりで、ちょっと波が高いときでも遊ばせることが出来る、海水パンツで、タモ網を持って、魚を追い回すことが出来るような空間が作りたかった。

 西山にオートキャンプ場が出来たが、残念ながら、当初だけのもので終わってしまうのでは、という心配がある。行政が作るのはカタチばかりである。

 いくら、ソフトが売り物です、環境学校、と強調してみても私には環境共生公園は、大きなカタチ、公園にしか見えない。

 高柳も西山も全部含んで、柏崎市全部が「環境共生公園」のはずだ。米山、八石、黒姫、鎌田城趾、北条城趾また、栃が原も、田屋・青海川線も谷根も川内も今ある遊歩道を少しだけ整備してやれば、「ハイキングのまち:柏崎」が宣言できる。自然の中をサイクリングできる環境が整う。

 世界一の原発がある。科学技術の粋の集積、経済と自然との融合、共存は私の最も大切な政治課題であり、目標だ。だからこそ、環境共生公園の無駄を説き、「ぜーんぶ環境共生公園:柏崎市」にして、TEPCOマークの道標を遊歩道に建て、浮いたお金で、国療、もしくは郡病院の一角に東電病院分室:小児救急センター、PET(陽電子放射断層撮影装置)で小さなガンの発見に貢献できる様なものを作って頂きたかった。

 もちろんこんなことを海の中で考えたのではない。シャバでずうっと考えてきたことである。ようやく梅雨に入ったことだし、今後もこの問題はジメジメしていきたい。冗談ではなく、柏崎にとって見れば、この環境共生公園の問題は、公約の真偽、政治の在り方を含め本当に大事なケーススタディなのだ。

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2005年6月24日

COOL BOUZU

cool_bouzu1_thumb  只今、商標登録出願中!?です。世の先を行きたい私は、短かった髪の毛を更に短くしました。

 クール・ビズがはやりですが、先を行くのはクール・ぼうず です。中学生の頃はもっと短かったですし、故あって、床屋さんで柏崎高校の卒業アルバムを見ていたら、こんな感じだったので、「ええいっ、面倒くさい!やってくれ!」ということになりました。

 柏崎の外で見ている方、遠くはインドネシア、ネパール、アメリカ、ペルーで見ている方もいるはずですから、「ハイ、ワタシ元気です」

  Hi,I'm ok ! This hair style is "Cool Bouzu",which means short hair like a Buddhist priest. It's good for summer, saving energy,and KYOTO PROTOCOL.

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市民?の声を聞く?聴く?

 柏崎日報に西山、高柳の時報問題についての議会やりとりが掲載されていた。一般質問で西山の斎木議員、高柳の吉川議員がそれぞれ持ち味を出しながら質問するのをラジオで聴いていたが、はっきり言って、市長の答弁は役人の答弁であった。市民を代表する立場にある議員が、是非、と求めているのだから、「分かりました。1年は従来通りとしましょう。その代わり、来年からは全市統一とします。この一年間、議員さんからも全市統一の意味を地域の皆さんに話しておいて下さいね。」まあ、最後の「ね」は要らないが、これが政治でしょう。と思っていた。逆に「断固統一で行きます}というのも見識だ。

 ところが、昨日の議員さんの同じ質問に対しては「柔軟姿勢」を見せたという。なるほど、これは政治である。従来の柏崎市議会でも、市長が同じ質問であっても、答弁に色が濃い薄いはあった。長短はあった。政治家とて人間だからこれはこれでいいと思っている。

 私が首を傾げるどころか、首が回ってしまいそうなのが日報の記事に書かれていた答弁の内容である。

 「三人からそろって同じ様な質問を受けた。旧両町の声をふまえてのことと思うので、改めて旧両町の声を聞いてみて判断したい」と述べた、そうである。

 声を受けて、声を聞いてみたい。「問題な日本語」である。「改めて、住民の声を確認するためにアンケートなどをするべきだ」という質問であったならばともかくも。そうではないのだから。柏崎市議会は遺跡問題で、議会議決を守れという議会決議を可決した実績があるから、さもありなん、という感じもするが、それにしても西山、高柳の声を代表して、議員が発言、提言しているのだから、それに対して、また「声を聞いてみたい」とは議員の発言まで「透明なもの」となった。議員さん3人とも怒るべきである。議会とはそう言う存在であるはずだ。

 市民の声を聴く。これは基本の基本。それが、目標ではない。市民生活の安心・安全、そして向上が目標である。

 以前、教員をしていた頃、大村はま 氏の名著「教えるということ」を読んだことがある。大村氏はこう語る。

 「子どもが好きだから、先生になる、『いい人』だから先生になれる、なんてのはおかしい。そんなのは当たり前なんです。それはただ、人間なんですから。」

 

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2005年6月23日

駅前の整備

 新聞記事に柏崎駅周辺整備に関することが載った。この駅周辺整備という言葉遣いは、私が作った言葉である。と、大げさなものではないのだが。

 もう、5.6年前であろうか。いわゆる駅前の西川鉄工所跡地、また日石加工油跡地、駅前の整備、高速交通体系の充実、伴う南北の道路新設、ブルボンさんの駅前工場等を含んだ将来的な計画を議会側から提言しよう、と小池オモチャの親父こと小池寛議員と私とで特別委員会を提案した。当時は東本町が曲がりなりにも進展し、内実の難儀なところは、私なりの工夫を提案しながら「泳ぎ」始めたところであった。今度は、駅前だ、ということで、駅仲、駅前商店街、振興会の方々と盛来軒で懇談し、議会での委員会設置に走り始めたのだ。

 そこで、一つ問題がでてきた。小池さんと私は「駅前」だったのだが、ロマンの男、内山完二議員は「駅裏」も入れろ、と主張するのだった。正直、範囲が広くなると、計画が散漫になるし、事業費も大きなものとなり、そして、柏崎のような都市規模で有るとき、均衡ある発展よりも集中投資の方が事業効果としては格段にあがることが明らかであるわけだから、私自身は消極的であった。それは小池議員も同様であった。しかし、内山議員のロマンに負け、「それでは駅周辺にしましょう」」と提案し、決まった経過がある。議会運営委員会での話だったと思う。全く小池さんとは対立するところも多かったが、私としては、一緒に仕事が出来る先輩でもあった。酒席で「タコ親父」などと失礼申し上げ、漫才のような喧嘩をしていたことも度々あるが、議員ならではの信頼関係がお互いあった。

 日石の跡地に関しては更にさかのぼり、その数年前まだ操業している頃、市の企画課長と一緒に広い敷地を日石社員の方の案内で見ていた。話題となった煉瓦の倉庫も見たが、外面はともかく、中はあまり大した作りではないと思った。大きな精製の蒸留棟というのか、地上何十メートルかの上から敷地を見回し、課長と「この土地は将来柏崎にとって大事な土地になりますね」と話したことを覚えている。工場建屋の鉄骨として使われていたのが新橋・横浜間を初めて蒸気機関車が通ったときのレールで、100年を経て、その一部がスクラップになりかけたとき、機転を利かせた方が、輪切りにして、文鎮にした。私たちも記念にそれをいただいた。

 さて、時代は下り4年ほど前、「駅周辺整備特別委員会」(金子錦弥委員長)は出来るところからという方向性を提言に変え、それぞれの議員が役割分担をして進めた。駅前の緑化もその一つであった。誰もがその必要を認めるところであった。ところが、いざ予算を付けてもらい、植える段になって、この土地はJRの所有だ、市の所有だ、タクシー協会の領分だ、等と問題が出てきた。

 市やJRは当初駅前交番の前に、という話で、議員諸氏の現場立ち会いでもそれを主張し、おおかたの議員もそれで了承したのだが、私は正面を譲らなかった。「絶対に正面だ」とねじ込んだ。結果はご存じの通り。良かったと思っている。原益夫先生の作品をより引き立てている。新緑の頃、紅葉の頃だけではなく、あの緑がなかったならば・・・・。あの緑のおかげで、それでも柏崎はささやかながら体面を保っている。正面に緑。柏崎の心意気とは言えないが、それでも少しながらのものが感じられると思う。もちろん、まだまだ、5%ぐらいの出来なのだが。

 日石跡地に、東電病院、それが環境共生公園でダメになった後は、二つの大学を一つにして、引き家をしてでも前期一般過程の大学。そして、買い物も医療機関も近いこの地こそ、シルバーハウジング、つまり高齢者向けの住宅整備というのが私の構想であった。そこに商業施設も加わっても良い。

 西川跡地は市役所庁舎、それも商業施設や福祉・文化施設を含んだ、柏崎タワービル、というものである。あんまり話すとまた、パクられるけど。 

 山に登り、キャンプが専門の私はよく分かる。火は1本の薪では付いたかに見えてもすぐに消える。何本も組み、風の通りが合って、初めて焚き火となり、火が続く。あっち、こっちに拠点を作ってはいけない。

 一時期、八王子や相模原に進出していった大学は今、都心に戻ってきている。東京でさえそうである。ましてや柏崎で。

 ミニ新幹線や高速化にばかり気を取られているが、越後線の魅力も捨てたもんではない。合併後の新潟県は新潟市に一極集中する。また、ある種そうでなければならないと思う。その政令指定都市・新潟まで一直線に繋がる越後線、この線路・土地の活用を柏崎は考えていくべきである。

 そうそう、駅前の2本のケヤキ、水やりは小池さんがやることになっていた!?んですが、ちゃんとしているかな?そしたらみんなで銅像作ってさしあげる、って言ってたんだけどなあ。

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2005年6月21日

残念ながら

 市議会一般質問をFMぴっからで聞いた。会田市長の答弁はさすがである。さすが、役人生活が長いだけのことはある。そつがない。嫌みではなく、そう思った。

 医療問題に関する答弁は、あれでは困る。2年間と言う医療問題懇談会の期間の無駄を指摘する吉野芳章議員に対して、「医療を行う側からの話も聞かなければ・・・」という答弁はその極みである。誰だって、医師不足、高度医療の地域分担は理解できるところである。しかし、その上で、皆本当に困っているのだし、悲しい思いだってしているのだ。より多くの意見を聞くというのだったら、1年に4回などという、メンバーの名前も忘れた頃に開くようなおざなりではなく、集中的に、3ヶ月で聞くという手法を採るべきである。

 この際だから書いておくが、市長への手紙、広聴課、異動市長室云々などというのは、高校生が考えることである。西川正純氏が初めて市長にでるとき、「高校生」だった私は西川氏に「手紙」や「広聴課」等のことは提案した。西川氏はそれを採用しなかった。庁舎内でのプラスワンは行ったが。

 しかし、今思えば、西川氏の選択は間違っていなかった。実が無いことを良く知っていたのだと思う。私であっても、今ならやらない。20年も30年も前に他の自治体でやられたようなことを今更恥ずかしくて出来ない。

 そつの無さは西川氏の「十八番」でもあったが、西川氏のそつの無さは政治であった。役人としてのものではなかった。

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2005年6月20日

今日の日経

 気になった記事から

 1面トップ:萩国際大学の民事再生法適用。柏崎の新潟産業大学、新潟工科大学。萩国際大学ほどではないが、定員割れは起こっている。昨年まで、産大の評議員を勤めさせていただいた。理事長、学長はじめ学校側に率直な意見を言わせていただいてきた。はっきり申し上げて、唯一だったと思う。柏崎にとって大切な大学である。だからこそ、多額の税金を投入してきた。だからこそ、厳しい意見を言わねばならない。だからこそ、悲劇を招く前に抜本的な対策を組み立てておかなければならない。学園ゾーンに公園が出来、貴重な遺跡が出て、その上大学が、・・・と言うことでは全く洒落にならない。おまけに隣は墓園である。2010年問題は交通の上での契機だが、2007年問題は大学全入時代の始まりとして、柏崎も心せねばならない。今からでも遅いぐらいだ。

 5面インタビュー領空侵犯:産業再生機構専務の冨山和彦氏が「芸術の商業化」「商業主義が逸材を育てる」と訴えている。その主張は良く理解できるところなのだが、見出しとなった「芸術家よ 大衆におもねろう」が気にかかった。「おもねよう」ではないのかな?「おもねろ」が命令形だからいいのか?日経編集部に聞いてみよう!

 15面:地域が支える中小企業 資金調達に私募債や地縁を使った資金調達を紹介している。内容に目新しさは無いが、「地縁」という言葉遣いは新しかった。過日発表された、柏崎地域の高額納税者名簿、多くが医者である。産業界の顔ぶれは決まっていて、その割合は他地域に比べると少ないように思えた。産業界が殆どを占めるようなまちでなければならない。

 17面:アメリカ政府内での知日派が弱体化し、「日本素通り」で中国、朝鮮半島に外交的興味、関心が向けられている記事である。同じ事は冒頭に書いた、大学問題にも当てはまる。つまり、開学当初、上海はじめ沿岸部の発展地域から留学してきた中国人学生も、最近は柏崎を通り越すだけではなく、東京を通り越し、つまり日本を素通りし、アメリカに渡る若者が多いのではないか。今、中国内陸部からの留学生が多い。それでモッテいる。日本・柏崎の「透明化」が始まりつつある。

 23面:ハーバード大学教授入江昭氏の日本外交への提言「現在のみならず将来をも共有する決意があって、はじめて過去をも共有できるのである」という言葉は、とかくこういった時に持ち出されるドイツ・ヴァイツゼッカー大統領の言葉などを全て消化した上での視線である。同じ23面にある「石油と世界」は現在の原油高を中国経済発展との関係で説明している。日本のエネルギー戦略は外交と同様有るようで無い。原発を持つ柏崎はもっと日本のエネルギー戦略に発言して良いはずだし、もっと注目されなければならない。ここでも柏崎の発信力が無くなってきているようである。

 原発行政において、柏崎市、新潟県が先進であったのは、三法交付金の創設時と使用済み核燃料一時保管税創設の時だけだ。停止項目も核燃料税の創設も税率改訂も皆他県に先んじられている。震度5弱の地震で、一時停止の申し入れをしたのか?先般の安全協定改訂のニュースは幻か?原発反対三団体はどうした!

 そして、最終面40面おなじみ渡辺淳一氏「愛の流刑地」

 「助けて、だめよう」「死ぬう、殺して・・・・」申し訳ないが声が出なくなるのは「冬香」だけでたくさんである。

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メダカを見ていると

 当方のメダカはハイブリットである。北条メダカと鵜川メダカが混ざっている。加えて、「諏訪町メダカ友の会」のメダカも混ざっている。近頃の研究では、同じ黒メダカでも、違う川のものを放流してはいけない事になっているらしく、私も専ら観賞用である。

 さて、ご存じの方も多いと思うが、メダカは今産卵の季節である。毎日卵を付ける。と言うことは雄も同様である。毎日である。見ている方が疲れる。そして、生まれてくる赤ちゃんを食べてしまう。「頭がないのか?」「情というものが無いのか?」と義憤を感じるのだが、残念ながらメダカには通じない。せいぜい出来ることは、餌をやって、赤ちゃんメダカに向かわないようにしてあげる事と赤ちゃんを別の容器に移してあげることである。ただ、後者はいくら暇な当方でも、常時見ているわけにはいかないので、確率はそう高くない。

 救われた赤ちゃんメダカが30匹くらいいます。里親を募集中!

 それにしても、親が子を・・・・・・・・。人間の世界も同じ。柏崎市議会も同じ。義憤は通じない。

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2005年6月17日

私の思い

 柏崎日報の記事をご覧になられた方も多いと思う。昨日はえんま市の最終日で、女房、子どもと歩いていると、閻魔堂の前で「見たぞ。しっかりやれや。」と握手を求めてこられる方もいらっしゃったし、「見たわよ。頑張って」と声をかけて下さる女性もいらっしゃった。

 「私自身、今すぐどうこう、というところではないのですが、ただ、政治という道で、柏崎のことを考え続けたいと思っています。そしていつの時期かは別として、どのような過程を経ていくかは別として、柏崎市長として柏崎のために働かせていただくことが最終目標です。」と過日申し上げたことが記事になったわけである。

 女房は複雑である。より正確に言えば、限りなく反対に近いのかもしれない。そうであろう。よく分かる。

 柏崎のために今一番求められているのは「ウソが無いこと」だと思う。政治にはウソがつきものであるが、余りにもの大事において、ウソが多い。それも自らのためだけのウソが多い。

 私とて不安がある。不安だらけだ。そして、もちろん、いろいろな要素がある。当然のことながら、私を含め一番大切なのは自分のことであり、家族のことである。人は忘れる。そして、覚えている。

 女房が言った。「誰がなっても同じじゃない、・・・・そんな風に思えてきたわ」

 今それに反論するだけの説得力は私にはない。ただ、柏崎のことをより深く考え、より大切なものとし、より先進であり続けること、何よりも柏崎への思い・誇り、そして勇気を持って行動することが政治であるとするならば、私は柏崎の政治家でありたい、と願う。

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2005年6月16日

幻の70匹

 懲りもせず、と言うか、本当に暇、と言うか、まあ両方なのだが、今朝もまた4時起き7時帰りの修行に出かけた。リベンジというよりも修行に近い。昨日の餌の残りもあったものだから、今朝は前畑先生が過日70匹釣ったという裏浜に出かけた。

 4時半の浜には私の他に一人しかいなかった。昨日のように日経を手にすることもなく、ワカメに浮気することもなく、一意専心(若乃花)、不惜身命(貴乃花)、リールも換え、仕掛けも変え、完璧な準備と心構えで臨んだ。もちろん一投入魂(桜井雅浩)、私のキスへの思いは、「海よりもまだ深く、空よりもまだ青く、貴女をこれ以上愛するなんて私にはできない」(テレサ・テン)程のものであった。

 しかし、午前6時15分、私の思いはうち砕かれた。

 6時頃、2艘の浚渫船が柏崎港を出港した際は、「ああ、早い出港だなあ。原発の港を掘るんだな。そうだよな、8時からだから、なるほどね」、「まあ、船乗りたるもの朝飯は洋上で食べたいんだな」 と思っていた。

 港内を出かかった頃、ゆっくりと舳先をこちらに向け始めた。「イヤな予感」2艘目も続いて同じ行動。「ん、もしかしてここの浚渫?確かに浅くなっていて白波も立っているし、大体、毎年やるマリンフェスタのために、去年まで桜井議員もお願いしていたしな。けどまあ、8時までは掘らんだろう。」と高をくくっていた。そして、2艘の浚渫船は目の前に止まった。

 6時30分前にはアームが動き、バケットがおもむろに水中に投入され、浚渫が始まった。さすがは民間企業、公務員も見習ってもらいたい、等という感想を持つまでもなく、私のリベンジは終わった。

 今朝もボウズであった。ワカメもない。当たりは1つも無かった。ふぐ一匹釣れない。こんな仕打ちにあったのは、・・・・・・・・・最近よくある。

 もちろん、賢明な読者諸氏はお気づきであろうが、6時30分までの2時間釣れなかったのは浚渫船のせいではない。私の腕、もしくは、潮目や天候などのせいである。

 けれども、6時半から仕事するか?え?知事!責任ある回答をもらいたい!

 何?当たりがあった?そう、これは八つ当たり!

 眠い。

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2005年6月15日

幻の86匹

 寝付かれないと言うか、目が覚めるというか、朝4時に起きた。考え事をしていても仕方ないので、よし、と思い立ち釣りに出かけた。キス釣りである。女房がお世話になっている前畑医院の院長先生も先日、70匹のキスを釣ったという。7時に帰ってきて、学校に行く前の子どもたちに自慢してやりたい、父親の威厳を示さなくては、と意気込んでいった。が、今思い返せば日経など片手に持ったのが悪かった。決意が足りなかった。

 海に行くときの釣具屋(ちなみに私には川に行くときの釣具屋もある)で、餌を買おうと、車を止めると、シルバーマークの車から、おじいちゃんが出てきた。釣具屋の親父に、餌をもう100円分余計にくれ、と頼んでいた。やる気だな、とにらんでいたが、私も餌を買い、車を走らせていくと、目的地は同じ様である。車を降り、どうせなら、と声をかけてみた。

 「私、今年は初めてなんですが、釣れてますかね?」「そっか、イイとこ教えてやる、俺はこないだ、86匹釣った」「ありがとうございます、・・・・・・86匹ですか、86匹・・・・・・」

 おじいちゃんと並んで竿を出し、投げるのだが、いっこうに当たりがない。1時間たっても、仕掛けも取られず、針も無くならず、餌も減らない。全くのお手上げであった。結果はボウズ。ゼロである。才能は有る、と信じていたはずだが、それも疑わしくなった。いっそのこと、とワカメを取り始めた。ワカメは大漁である。もちろん、私が採るのだから本物である。波も出てきて、釣りはあきらめ、7時になって、引き上げた。

 そう言えば、私は小学生の頃、学校に行く前に釣りに行っていた。そして、1匹や2匹は必ず釣っていた。汀のさざ波は30年経っても変わらないが、私は、キス一匹も釣れない男となってしまった。ワカメの知識が増えただけではやはり困る。リベンジするつもりだ。もちろん日経も持たない。ちなみにおじいちゃんもボウズだった。ボウズの私たちはワカメを食べろ、という神の思し召し、いや仏のお導きであったのだろうか。心臓に毛が生えてくるかもしれない。

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2005年6月14日

本当のところ、そしてアメリカ・ニッポン

 マイケル・ジャクソン氏が無罪となった。私は、その詳細を知るものではない。しかし、私のみならず多くの者が、「ウーン」と唸ったに違いない。つまり、少年に対する性的虐待という、日本人にとっては最も忌避されるべき話題・事柄から来る限りないマイナスイメージはいかにマイケル・ジャクソンと言えども多くの人間の心証を変えてきた。ジャクソンファイブで売り出したときのボーイソプラノの無邪気さや透明なもの。であるがゆえに、整形を重ねた風貌とさわやかさとはかけ離れたファッションはイメージを怪異なものとして定着せしめた。正に「スリラー」であった。一般的なところであろう。
 「not guilty」 という判決は、文字通り「有罪ではない」ということなのだが、情報からくるイメージと客観的事実とは別物であり、事実・証拠が明確でない限り「有罪ではない」ということなのだろう。疑わしきは罰せず。一方、マイケルが被ったイメージダウンは誰がその責を負うのであろうか。まさか国家賠償があるとは思えない。また、このことは、人を審判すること、私たち一般市民が報道などから得る情報というものをどのように理解するべきか、と言う課題を改めて考えさせた。
 以前、私は罪と罰とは常に、その事柄だけに関するものであって、その過去が継続するのはおかしいと考えていた。具体的に言えば、前科○犯、というのはおかしいのではないか、と考えていたのだ。つまり、犯した罪に対して罰が下されるのであって、そこで清算されるべきだと考えていた。もちろん、死刑は反対論者であった。団道重光氏の「死刑廃止論」は有名であるが、私はそこまでの論を到底持つものではない。ただ、人を法の下において、「殺して良いのか」という単純なものである。きれい事、と承知である。
 また、今から6年前にアメリカに行政評価に関する視察に出かけた。その際、個人的に強いショックを受けたことがある。各自治体で行政評価の対象として挙げられる例がいつも「幼児虐待に関する行政の取り組み」であった。私の英語力は大したことは無いのだが、一般的な会話の理解と返答ぐらいはできる。交わす会話の中でどうしても聞いたことがない単語が一つあった。それが「abuse」(虐待)であった。それも、親が自分の子どもを虐待する。それに防ぐために、そしてケアするために、自治体がどのようなサービスを提供するかが関心事である、と言う事実であった。私の想像の範囲を超えていた。日本でもここ数年連日のようにこの種の報道が聞かれる。私は、その場面になるとチャンネルを変える。アメリカ社会と日本社会との「時差」はなくなりつつある。
 話が流れてきてしまったが、罪とは、罰とはということに関して大それたことを言うつもりは毛頭ない。ただ、日本でも検討されている陪審員制度も含め、赦すということの事実と許せないという感情の間には何があるのだろうか。

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2005年6月13日

米山さんの当帰売り

 昨日の日曜日は、第81回目となる御嶽登山会(会長:藤巻 康雄)の米山登山であった。その昔は、「オンタケさん、米山に連れてって」とせがむ子どもたちがたくさんいて、盛況だったが、今や、大人の参加者の方が圧倒的である。

 霧雨混じりの天候も頂上に着く頃には晴れ、登山にはまずまずのコンディションだった。頂上は市外からのグループもいて、にぎわいもいつものことである。小学1年の三男は4回目、4年生の次男、6年生の長男、女房は6回目、私は、累計すれば、100回ぐらい登っていると思う。それがどうした、と言われると困るのだが、柏崎のシンボルは海と米山である。西山、高柳の方々が加わって、黒姫山、八石山もシンボルなのかもしれないが、やはり、米山でしょう。この山に登る中で、私は、自然に対する視線を身につけたし、柏崎を出ようと思ったし、東京に出てからも、時折登る米山で柏崎に帰ってこようと思った。アフリカの山を登っても、メキシコに行っても、ネパールに行っても、基本は米山であった。そして、米山と言えば、当帰である。

 トウキは漢方の世界でも知られる、薬草であるが、柏崎地方では魔よけとして使われている。独特の香気がそうさせてきたのであろうが、昔から、このトウキを売るばあちゃんたちは吉尾集落のばあちゃんたちであった。今は誰もいなくなった集落だが、この米山登山の時となると、集落に戻り、トウキを採って、山頂で売るのである。小遣い稼ぎなのだろう。初めて、ばあちゃんたちと少し会話してみた。驚いたことに土曜の晩は小屋に泊まったのだという。失礼ながらとうに70を過ぎているであろうお二人は、あと何年続けていただけるのだろうか?昨年、御嶽登山会は柏崎の功労者として表彰を受けたが、トウキ売りのばあちゃんたちも表彰してあげれば良かった。

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2005年6月10日

クールビズ

 全く日本人ですねえ。国会議員はじめみんながボタンダウンのシャツを着て、「環境に優しい」政治屋になってしまった。確かに楽なんだよなあ。ノーネクタイは。私なんかこの冬からずうっとクールビズだ。先進事例として表彰してもらってもいいくらいだ。

 もう10年以上も前の話になるが、9月の本会議場で上着を脱いだ。すると、後ろに座っている先輩から、「桜井さん、上着は着ていなきゃダメなんだよ」と御忠告があった。その後何年かして、ひととき議長席に座ったことがあった。たまたま、冷房が壊れていたので、この時ぞとばかりに議場の議員・部課長諸氏に申し上げた。「皆さん、上着を脱いでも結構です」議長席にあるものの言葉であったが、脱いだのは数人であった。

 そして、3年ほど前、同じ9月議会で、上着を脱いだ。確信犯である。誰からも何も言われなかった。私もエラクなったんだ!と感じ入った。委員会審査などでは、ノーネクタイなど当の昔からやっている。自信を持っていえるが、柏崎市議会の歴史の中で嚆矢である。アメリカで市議会を傍聴したことが何回かあるが、全くラフな服装だった。コークを飲みながら白熱の議論を展開していた。

 ただ、イヤなんだよなあ。真似するのは。やるなら一番先に、さりげなくやらないと。へそ曲がりではないのだが、(本当はへそ曲がりなのだが)、柏崎市も先駆けないと。ところで、クールビズって、誰が商標登録したんだろう?

 ネクタイが締めたくなってきた!我慢。熱く行きましょう!

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2005年6月 8日

なぜ待てなかったのか

 選挙からもう7ヶ月になる。時は平等である。何もしないまま過ごしてきてしまった。あれもしよう、これもしようと思うのだが、本業となった子どもたちへの学習指導以外、結果無為な時間を過ごしてきた。

 そして、未だ直接、間接に「なぜ待てなかったのですか?」と言われる。ここでしっかりと答えておこうと思う。

 私は西川市政を良いものと考えていた。県内他市、また国内でも秀逸の市政を展開されていたと思う。これは独りよがりかもしれないが、私が一番良くそれを知っていた。

 多選批判ですか、と言われる。一言で言えばそうなのかもしれないが、そんなに単純ではない。敢えて、より単純に、そして乱暴に言えば「飽きてしまった」

 西川さんの能力は頭抜けていた。しかし、西川さんが5人も10人もいるわけではない。何でもできる、と考えた路線はだんだんと柏崎の「身の丈」を越えていった。柏崎ぶどう村しかり、フォンジェしかり、トルコ文化村しかり。

 また、感覚は残念ながら前時代のものとなっていった。大きいもの、カタチで表すもの。ハコモノとは言わない。つまり、自然環境への慈しみを「環境共生公園」で表したり、高速交通網の整備を「ミニ新幹線」と短絡化したり。

 そして、触れなければならないのは西川さんと経営する企業に関する「噂の量と頻度」である。事実関係は別である。柏崎の市長が、西川さんがこんな噂の中で仕事を続けることは、私が許せなかった。もちろん、その噂は私にとって利するものであるから、ほくそ笑んだ事もあったかもしれない。しかし、何よりもこんな状態が更に4年続いてはならない、と強く信じていた。

 時代は、動いている。既成のもの、伝統、日本的なもの、漸進主義。私も大好きだ。ただ、国は一応世界に開かれている。否応もなく、合理的なものが、実質が求められている。まあ、いいさ、と言っているウチに実態がなくなってしまう。都市間競争の中で、建前ではなく、カタチではなく、「本当に求められているもの」「率直なもの」を見極め、選択していく、感覚と覚悟が柏崎には求められている、と私は考えた。柏崎だけは先進であり続けたい、と願っていた。

 正直なところ、西川さんの政治的駆け引きについては未だ不愉快な思いがある。同時に、西川さんと市長・議員と言う立場で一緒に一時期の市政を動かした、という感謝もある。

 残念ながら私に対し、「なぜ待てなかったんですか」と問いかける人は殆ど、私が惨敗する、と思っていた人である。西川さんが圧勝すると思っていた人である。私が選挙のあと使った「限界」と言う言葉。「そんなに簡単に使うな」とお叱りを受けた。確かにそうなのかもしれない。けれども本当はあの時、柏崎の限界、と言いたかった。

 口はばったいが、2月、同級生のお父さんから言われた言葉「何でも良いけど、柏崎のこと、見捨てんでくれよの」私は返す言葉に詰まった。

 

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2005年6月 7日

屋久島から

 複雑系はちょっと待って下さい。途中で止めたら、勢いが無くなってしまいました。

 と言うことで、閑話休題。

 屋久島から手紙が来た。「屋久島おおぞら高等学校」の案内だ。この種の案内、つまり、生徒募集の案内は我が小さな塾にも良く来る。それにしても屋久島からとは、と驚いていたのだが、ちょうどお世話になった柏崎中央幼稚園の理事会があったので、「どこも一生懸命に生徒募集をしているんですね」と話題に出そうと思っていた。ところが内容は違ったのだ。

 何と、先生の募集だった。何も屋久島に行くのではない。塾として空いている、昼間、通信制高校の先生としてどうですか?ということだった。要はフランチャイズの勧誘なのだろう。それにしても屋久島とは、と感じ入っていたのだが、昨日は電話で、「鹿児島の学校ですが、・・・・」と言って、別のところから同様の誘いがあった。

 どう考えても教育者桜井雅浩の名が全国に轟き渡っているとは思えないし、特に鹿児島に知人と言えば、原発がらみの議員さんたちしかいない。頭を悩ますところである。

 屋久島は、20年ほど前に大学時代の友人と宮之浦岳を登りに行ったことがある。厳しい山であった。もちろん縄文杉も、ヤクザルも見てきた。友人は男性1名、女性1名であったのだが、この女性が私の友人に思いを寄せ、私に仲立ちを、と頼んできた経過もあった。まあ、時効だから良いでしょう。

 思わぬところで、屋久島が出てきた。ご存じの通り世界遺産であるが、私には合間に潜った透明な南の海と3人でビールをしこたま飲んだ浜辺が懐かしく思える。

 どうせ午前中は暇なんだし、いっそのこと「おおぞら高校教諭」もイイ?学校も形態や学区などと言うものは意味が無くなってきている。カタチや伝統から実質へシフトしている。ものすごいスピードで。

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2005年6月 4日

複雑系

 もう10年ほど前になるだろうか、経済学の世界で「複雑系」が話題となった。(経済をご専門とする方がおられたとするならば、恥ずかしいので今回はパスして下さい)その頃は私なりに咀嚼し、分かったような気になっていたが、今、暇になって改めて、その教科書と日本を取り巻く「現象」を見るとき、頷くことが多い。

 ニューメキシコ州サンタフェにある「サンタフェ研究所」、ブライアン・アーサー教授は有名だが、複雑系をこのように定義している。

 「多くの要素があり、その要素が互いに干渉し、何らかのパターンを形成したり、予想外の性質を示す。そのパターンが各要素そのものにフィードバックする。」

 合理的な予測や、行動を前提として、資本を投入し、収益の最大化を図る事が一般的な経済学や経営論では語られる。時間の経過と共に収穫が逓減していく経済原理に対し、収穫逓増を掲げる「複雑系」

 優れた商品が生み出される。生産量が増える。生産する企業も増える。コピーを扱うものも出てくる。多くの人が持つようになる。次第に飽きられる。生産量が落ちる、他の商品に目が移る。・・・・・・繰り返される。

 経済学は本当は「心理学」なのでは、と言ったことがあるが、日本に第二次世界大戦後存在したのは、と言うより、実際に機能していると信じられてきたのは、ケインズの学説だけであった。減税・公共投資によって雇用を拡大し、可処分所得を増大させる。1960年代~1970年代までは、日本においてもそれが当たり、通用してきた。

 これから、いよいよ「桜井雅浩の三分の一理論」と複雑系との接点、そして私なりの問題提起とテンボウ(野口英世ではない)を記そうと思ったのだが、女房より呼び出しの電話が掛かってきた。今、桜井家は女房を中心に回っているので、次回また。

 

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2005年5月31日

蒲団

 田山花袋の作品のことではない。

 大学時代の友人からMailをもらった。このブログを介したものである。心配してくれる様子がうれしかった。仮にシゲルとしておこう。

 シゲルは大学1年の春、我がアパートの新品・ふかふかの蒲団を新宿・歌舞伎町「大黒屋」の¥1980ジンギスカン・ビール食べ放題・飲み放題のおぞましき臭いで染めた男である。どういうわけか2組の蒲団を買い与えられた私は、「この蒲団を一緒に使うのは・・・・ウフフ」と青春を期待し、夢を抱いていたのだった。それを酔ったとはいえトドのように太った男にその夢をうち砕かれるとは蒲団もかわいそうであった。23年も前のことである。

 シゲルからは事あるごとに助けてもらっている。最初の選挙、ポスター用の写真はシゲルが勤める出版社のスタジオで撮ってもらった。加えて連れ合いでいらっしゃるエミちゃん、娘さんのリョウカちゃん(それぞれ仮名)の親子とは家族ぐるみのつきあいである。

 数年前までその蒲団は我が家の3兄弟がオネショの臭いを染み込ませるために使われていた。何回洗ったことか。それでもジンギスカンの臭いが漂うような気がする。23年間全然女の子には縁がない蒲団である。

 ありがとう。

 

 

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スピード

 何度も書いて恐縮だが、私は「日本人」であり、元々は漸進主義者だと思っている。日本人は大半はそうであろう。諍いを好まず、出来る限り穏便に事を済ます。また、そうでなければ国や社会が成立しない背景もあった。単純に考えても狭い国土、皆無に等しい鉱物・エネルギー資源の中で1億2千万人が生活していくのだから、よく言えば秩序、規律、モラル、そしてそのベースとなる家族主義が必須であった。経済の世界では、「談合」や「護送船団方式」と呼ばれる。善し悪しは別である。

 5月29日日曜日のNHKスペシャル:日本の群像・再起への20年「銀行マンの苦闘」は出来すぎるほど良くできていた。要は莫大な不良債権の山をいかに処理するかという、日米の違いを際だたせた番組であった。

 片や80年代に一括処理を行った米国、そして今や日本のみならず世界を席巻する投資銀行・ゴールドマン・サックス。片や、当時の幹部たちが「日本の金融機関は『時間』を貸しているのだ。会社を倒産させないように支援するのが仕事だと思っていた」と語る日本長期信用銀行。

 ゴールドマン・サックスの幹部はこう言う。

 「金融機関は価値を生み出す会社を支援する」

 そして、米国の報告書は「too little,too late」(小さすぎる、遅すぎる)と有名となった言葉で、日本の施策を責め立てる。「銀行はつぶれない・つぶさない」「終身雇用こそが理想」といった日本の常識が通じなかった。そして、日本は遅ればせながらアメリカと同じ道を選択している。関係がないようで、地方の自治体にも全てが繋がっている。

 誰もが穏やかな生活をしたい。残念ながら、鎖国をして生活を出来ない日本が、世界と繋がるしか生きるすべがない日本が選ばざるを得ないのは、経済の道を外れず、真の資本主義、合理主義の道しかないのだろう。「まあまあ」と言っているうちに多くのものを失ってしまう時代になってきた。

 当日夜、続けて見た「義経」では義経が「まつりごとに情は必要ないのですか」と問い、頼朝が「情は必要だが第一ではない」と答えていた。私を含め多くの日本人が頼朝に対し「ん」と思ったに違いない。しかし、それが為政者なのであろう。

 「判官贔屓」そして、スピード、合理。建設業界の談合を人ごとのように責め、そしてすぐに忘れ、赦す社会。不良債権処理を進め、地方の金融機関の自己資本比率はほぼ横並びとなった。横並びである。ご存じの通り長銀は外資パートナーズ社に買われ、新生銀行になった。パートナーズである。

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2005年5月30日

やっぱりSONY

 冷蔵庫に入れておいたビデオカメラが復活した。やはり、SONYは偉大だ。弘法大師は青海川にもいらっしゃった。明日は、お礼に、北条岩ノ入の塩水井戸、大洲二区の茶の池に行って来ようと思う。

 ちなみに、どれでもイイや、と試しに入れた表示のないテープは原発議会サミットのものだった。全く。

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新潟県の曖昧さ・柏崎のどっちつかず

 先般、地方制度調査会で県の新しいくくり、つまり道州制へのステップ、全国区域制案が提示された。

 予想されたことだが、新潟県は悩ましい。8地域、9地域に分かれるとするならば、関東甲信越ブロックとなるし、10,11,12地域に分かれるとするならば、北陸ブロックとなる。

 新潟県は、従来、東北に見られることもあれば、(東北電力供給区域)、(原発関係の予算、交付金等に関しては仙台に行っていた)、北陸に見られることもあり、(高校野球:北陸信越大会)、(建設行政、農政はそれぞれ北陸地建、北陸農政局)、(コシヒカリの発祥は確か福井)、関東甲信越に入ることもある。NHKのニュースや天気予報は関東甲信越のくくりである。

 柏崎は行政区は中越、中学校などの大会は未だ「上越大会」そして、何よりも10万都市にもなれなかった。刈羽村を残してしまったのは、敢えて書くが西川市政の失敗であった。

 私は、もともと「県」廃止論者であったが、同時に同州制にはきわめて懐疑的であった。なぜならば、県の存在よりももっと「縁遠い」存在となるし、共通意識はもてなくなり、単なる国からの連絡中継点にしかならなくなる、との考えからであった。権限の委譲という観点から見れば、非効率的にもなる、との考えである。国があり、市がある。それで良いのはないか、という主張である。その上で、自治法を緩やかなものとし、シティマネージャー制や市レベルでの議院内閣制の検討もするべきであり、多様な自治形式があって、しかるべきと考えていた。

 国は、その時の危惧として、「地方の未熟、能力の無さ」をあげる。私も国の主張に一定の理解はある。特に人材は、と言われるならば、つらいものがある。刈羽村に関して、村長にそのことを言った事がある。村長はあっさりそれを認めた。

 私がどう書こうと、考えようと動いている。柏崎は発言しなければならない。柏崎は新たな提案をしなければならない。柏崎は常に注目されなければならない。発言せよ。提案せよ。スポットライトを浴びよ!そうしないと埋没する。高速交通網だけではない。

 長岡は寺泊という海を手に入れ、佐渡との連携を強化する。柏崎観光業界にとって最大の危機と感じなければならない。長岡市山古志に「トキ」が舞い、新幹線、高速道から寺泊へのダイレクトなバイバスが出来たならば、文字通り長岡市野積海水浴場は新潟県一となる。

 柏崎はもう一度、刈羽とそして、出雲崎町と合併協議に入るべきである。特に出雲崎まで長岡に取られてはならない。

 発言せよ。提案せよ。注目を浴びよ。

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2005年5月27日

冷蔵庫

 我が塾事務所の冷蔵庫には何でも入っている。野菜ジュース、コーヒー豆、インスタントコーヒー、ミルク、緑茶、麦茶、紅茶といった飲み物類。醤油、わさび、辛子、塩、梅干し、みそ、インスタントスープの素。薬は花粉症の飲み薬、目薬、南天のど飴、風邪薬、ビタミン剤。目新しいところで、本日、ビデオカメラが入った。

 今日の午後、次男の総合的学習のお手伝いをするため、谷根川で、川の様子をビデオに撮っていたところ、ネックストラップが滑り、ビデオカメラが水没したのだ。すぐに引き上げ、乾いた布で拭き、穴という穴から水を出し、電池を外した。車に戻り、エアコンを最強にして乾かした。その後、冷蔵庫、と言うわけである。冷蔵庫の乾燥作用を使うのだ。

 半分はあきらめている。しかし、同じソニー製の携帯電話を北条岩ノ入弘法大師の塩水井戸のお祭りで、水没させたのだが、今日と同じ様な手段をとって、復活に成功したのだ。弘法大師のお導きだったのかもしれない。

 私の意識ではソニーは水没に強い、ということになっている。ここでポイントは最低、3日間は冷蔵庫に保管するというところである。早く確認したい気持ちを抑えなければならない。来週の火曜日、通電式が楽しみである。青海川に弘法大師はいない。

 ホントは泣きたい。

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2005年5月26日

時間がない

 残念ながら柏崎には時間がない。

 先般、「ドラッグストアで」でも書いたおばあちゃんが亡くなっておられた。先日、前を通りかかったら、忌中札があった。一昨年の市議選の時、玄関で100歳のお母さんの介護のことを伺い、行政と掛け合った経過がある。その後、100歳のおばあちゃんは施設に入ることが出来たのだが、昨年の市長選の時も・・・・・。80歳を数えたおばあちゃんの晩年はどんなものだったのだろうと想像するに全くたまらない。80歳の娘に先立たれた100歳のおばあちゃんは。

 医療問題懇談会が設置されると言う。設置期間は2カ年。毎年度4回の懇談会。市民満足度調査で既に最低の満足度が出ているこの問題を何故、2年間もかけて「懇談」する必要があるのか。本日付け朝日新聞新潟版では医師が足りない県内病院ランクが示されていたが、見事、刈羽郡総合病院と今は独立行政法人となった国立療養所新潟病院はその1位、2位である。恥だ。国療に関しては、評判は良い。小児科など夜でも良心的であり、看護婦さんたちも親切だ。評判というのは当てになるようでならない面もあるが、事実、柏崎における医療体制への不満は著しく大きい。これは周知のことなのだ。

 2年。限りなく無駄だとしか思えない。求められているのは決断であり、施策である。

 JR、2010年問題が叫ばれているが、羽越線はミニ新幹線の旗を降ろし、すかさず高速化の旗を揚げた。私は長岡・柏崎間のミニ新幹線について、財政的観点からその非現実性を訴え、上越新幹線長岡、北陸新幹線上越へのシャトル運行を提案してきた。前々回の選挙であるから6年も前からである。10年前には、北越北線(現ほくほく線)の開業、将来の赤字化と魚沼・上越の高規格道路計画の前に、再びの陸の孤島・柏崎を問題提起し、後援会報などにも記してきた。「ミニ新幹線の旗は降ろします、けれども柏崎を陸の孤島には絶対にしません」、と力強く宣言し、新年度予算では費目だけでも、信越線高速化事業を掲げるべきであったのだ。

 公務員、退職時の特別昇給。昨日付け読売新聞(5月25日)によれば、全国で6割の自治体がいわゆる「お手盛り」を廃止したという。柏崎市はどうなったのだろう?10年ほど前からの柏崎行政改革大綱づくりで私はこのことも指摘し、最後に近い一昨年12月の議会でも質問した。明確な返事はなかった。2号俸上がるお手盛りが、1号俸に改められた、とも聞くが、柏崎市は6割の中に入るのか、それとも屈辱的な残り4割の中に入るのか?

 

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2005年5月24日

お詫び2

 10名余の方々にご迷惑をおかけしているワカメ騒動ですが、新たな事実が発見されました。というより、意地で捜し出したんですが。

 あの海草はアラメでした。宮城県水産研究開発センターの研究によれば先史の時代より、食用にされ、万葉集にも歌われた由緒正しき海草であることが判明しました。なお、徳島県の伊座利漁協では「アラメちゃん」として売り出している商品価値ある海草です。

 ほんの少しホッとしました。私、あの時ワカメじゃなくてアラメって言いませんでしたっけ?

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お詫び

 先般、私より「頂き物ですが、採ってきたばかりのワカメです。」といって渡された約10名の方々。誠に申し訳ありません。本日、あの海草はワカメでは無いことが判明しました。

 その当日の会話

 女房 「おかしいなあ、このワカメ本当にワカメなの?全然色が緑にならないよ」

 私 「お前みたいに、東京のど真ん中で生まれ育って、季節感が無いヤツにはこの味が分からないんだ」

 女房 「けど、本当に堅いし・・・・。」

 私 「大体、魚と言えばシャケ、アジの開きしか知らないような人間に天然ワカメの歯ごたえなど理解できんのだ!」

 その後、私はムキになって、どんぶり一杯の「ワカメ」にドレッシングをかけて食べて見せた。確かに堅いなあ、と思ったが、「ウーン、この磯の香り、正に本物。大体売っているのは養殖物だから柔らかいんだ。香りもしないし」などと大口をたたき、大口を開けていたのであった。

 今ほど、私に「ワカメ」をくれたO氏の友人がいらっしゃって「腹悪くならんかったけ?ワカメじゃあ無かったんだと!『桜井さん、大丈夫だったかなあ?まあ、死ぬことは無いだろう。』と心配していたぞ」と伝言がなされた。心配か!それは。O氏には一昨日風の陣で会ったばかりだ。

 たまったもんじゃあありません。約10名の方申し訳ありません。私に落ち度があるとすれば、人を信じすぎたこと、思いこみがあったこと。O氏からは先般ハマボウフウを頂いて「なるほど俺の上を行く野生派」と感心、感謝し、信頼100%だったのだ。

 残念ながら約10名の中でこのブログを読んでいる人はほんの一人か二人。どうしよう?真実を伝えるべきか?闇に葬るべきか?まあ、私も一応元気なことだし・・・・。幸い女房も読んでない。

 それでもO氏は良い方です。名誉挽回を期待します。

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2005年5月23日

迷う

 週末には色々なことを考えた。本も読んだ。「半島を出よ」はようやく下巻に入った。次男を平手で叩いた。自分の能力。大げさかもしれないが持って生まれたもの。

 週明けは激しい。「日経ビジネス」の広告は、

   「世代飛ばし」の破壊力:40代は不要!

   どうする!40代  世の中を動かすのはアンダー40

   「世代飛ばし」に抗えるか?先駆者としての自負と焦り

   秩序の中で育った40代、「創造的破壊」に備えよ

 世代飛ばしはかつて、私自身が言った言葉だ。柏崎の政治の世界で、経済の世界で、観光の世界で。もとより団塊の世代を飛ばさなければならない、ということだった。個人的な様だが、決してそうではなく、柏崎のためにはその方が良い、という信念であった。「権利の世代」を飛ばして、「義務の世代」から「義務と権利の世代」が受け継ぐのだ、と意識していた。

 政治の世界は未だ60代かもしれない。柏崎全般の意識は60代、70代かもしれない。表面上の動きは団塊の世代かもしれない。もし、それを取り込むことが勝利の大前提であるとするならば、40代の意義は無い。理解して頂き、そして突破することが私たちの努めであり、大義であるとも感じていた。突破すること。柏崎はどうなっていくのか?自分はどうなっていくのか?子どもたちは?焦っても仕方ない?しかし、誰かが焦らなければ!?

 「日経ビジネス」、「半島を出よ」共通点がありすぎる。突破せよ。

 何だか団塊の世代、学生紛争の言葉遣いになってしまった。しかし、サクライオリジナル。

 

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2005年5月18日

ニューヨークタイムズと柏崎日報

zenmai_5_thumb  ふと見たTheNewYorkTimes(5月17日付)にハーバード大学が今後10年女性やマイノリティ分野の研究者支援に5000万ドルを使うとの記事が大きな見出しで載った。

 16日柏崎日報には「柏崎市男女共同参画プラン推進審議会」総会の記事が掲載され、柏崎地域国際化協会主催のスタディツアー参加者の報告記が連載されている。ST参加者は全て女性であったらしい。

 また、2005年度版「男女共同参画白書」で、科学技術分野の研究者で女性が占める割合は11・6%で、日本の比率は主要先進国に比べ極めて低いことが記されている。

 先に紹介した、The NewYorkTimes(5月17日付)も昨年度ハーバード大学で与えられた終身在職権が、32人中女性は4人だったこと事などを根拠として紹介している。

 さて、と思う。私はもとより、意欲あるもの、才能あるもの、人の痛みを分かるものは女性男性問わず登用するべき、と考えてきたが、20年ほど前からはやり始めたクォーター制(女性議員や管理職を25%以上と義務づけるもの)にははっきり言って反対の立場であった。

 思うに、今日本で行われている資格試験や国家試験などは女性の方が成績が良いのでは無いか?恥ずかしながら国際化協会事務局長をさせていただいた当時、曽田会長と共にST参加者の面接をした。女の子は「国連職員になりたい」「ネパールの障がい者施設で将来働きたい」などと「オォー」と感心したが、男の子は「お母さんに言われて来た」と正直に話す子がいて「ンー」と唸った。

 この前はあるお母さんが息子に「オシッコが飛んで掃除が大変だから座ってやりなさい」と話したという記事が雑誌だったかに紹介されていた。天誅を下さねばならない。近い内「立ちション」と言う言葉も死語になるかもしれない。

 我が家も一昨日女房に相談事をしたら「もう懲り懲り」と正直な気持ちを聞かされた。そうであろう。苦労難儀を掛けている。しかし、立ちションは譲れない。掃除は手伝うから。

 男ゼンマイは古来より見向きもされない。大事な役割なのに。ハーバード何するものぞ!

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2005年5月16日

しんきん会

 文字通り、信金との取引関係者が集まる会である。ウチなどその正に末端なのだが、来賓は市長や商議所会頭などそうそうたるものである。だいぶハッパをかけられた。酒席であるからと言う部分もあるわけだが、かなりの方からハッパをかけられた。福引きは一番末等の5等、一番初めに呼ばれた。固い握手だった理事長の政治的配慮だろうか。水ようかんだったのは、水に流せという意味?私は今後ともずうっと信金。

 二次会で行った居酒屋には市のある部長が飲んでいた。言いたそうだったので、席に誘った。予想はしていたがかなり大きな発破をかけられた。爆発していた。「もうただの人なんだから、・・・・あんたが柏崎をぶち壊したんだ・・・・・何で、待ってれば、4年後にはなれたのに・・・・・・本当に現職に勝てると思ってたのか・・・・・アホだ、アホだ、アホだ・・・」延々とアホになった。

 私も反撃した。「もちろん勝てると思っていた。ただの人なんだから言わせてもらうけれども、商議所、農協、建設業、宗教関係ありとあらゆる組織を動員して、そして現職の力を持ってしても16,000。三分の一しか取れなかったんだから」「・・・・・・・・・・」「そして、皆さんは桜井は8,000かせいぜい9,000ぐらいだと思っていたんでしょ?現職が圧勝すると思っていたんでしょ?」「その通り、圧勝すると思っていた」「それが柏崎をダメにしてきたんです」

 言っておきますが、私はこういうタイプの部長のことを好きなのである。男気があって。まあ、ただあまりにもアホだと言われ過ぎたので、少し余計だったが、焼酎2杯で¥3000取った。今頃、「サクライにアホだと言ってやった。¥3000も取られた」と仕事に励んでいることだろう。

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2005年5月13日

コーヒー

 最近、コーヒーのおみやげが多い。ありがたい。昨日はグアテマラ産のコーヒーをウチの講師が持ってきてくれた。まだ味わっていないのだが、期待大。

 あと1週間ほどで在庫は無くなる。まだ、桜井のところに持っていってないなあ、と気が引ける人は来週以降ね。気が引けない人はもちろん、いつものように飲みに来て頂きたい。よく考えて。コーヒーシュガーも頂いた。10年前にフリーマーケットで買ったミルは相変わらず調子がいい。頂いたコーヒーポットも調子がいい。保管用の冷蔵庫も絶好調、ということで。もう、公費負担で、という洒落が使えなくなったのは誠に残念。

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2005年5月12日

ゼロベース

 会田市長が来年度予算編成についてゼロベースから取り組むことを表明された。当然であろう。期待したい。

 一言だけ。しっかりと行政のあり方を検証していただきたい。

 市職員組合はじめ障がい者、福祉関係者に強い支持を求められた選挙と伺っているが、敢えて言わせていただく。柏崎市の今後を事業の見直しに求める前に、行政の仕事、人員、待遇を検証しなければならない。行政改革はこのことばかりではないが、このことを抜きにして単なる事務改善に終わらせてはならない。

 昨年の暮れになって大阪市役所のスーツ支給問題などが取りざたされ始めたが、会田氏はその大阪市役所に大学卒業後職を求められ、勤務されたと聞いている。当時は京都、大阪はじめ関西の自治体は共産党、社会党などいわゆる革新系政党の影響が色濃く、職員組合がこぞって応援した。福祉、福祉とその主張を展開し、そして、それぞれ財政的には時期の早い遅いを別として破綻した。東京都の美濃部都政も同様であった。

 私がこのように記すのは半分は「嫌み」かもしれないが、半分はその轍を踏むことが柏崎にとって大きな時間的、財政的ロスになるという強い危惧からである。私は議員をさせていただいたとき、何を民間に渡すかではなく、「行政でなければ出来ない仕事だけを行政はするべきである」と主張した。西川市政はこの点積極的であった。そして、私は議員という立場であったからなのだが、市長よりも強い主張をした。これは西川さんとの阿吽の呼吸であった。

 三つ子の魂が会田市長に宿っていないことを願いたい。冗談や嫌みではない。

 

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2005年5月11日

お米の話、かな?

 この冬来、唯一の生活の糧となった学習塾であるが、ここ数年、私の活動のせいで正直な話縮小傾向であった。何とか取り戻そうと頑張り始めたのだが、どんな商売でも同じ。取り戻すというのはなかなか至難の業である。しかし、今はお得。私がバリバリやっている。偏差値40前後の子が軒並み今、中3で60前後に。一気に数学、英語の力を伸ばしている。まだ、伸びている。これは本当の話。学習塾はSEAですな。これは宣伝。

 そんな中、少しでも、という涙ぐましい抵抗が昼食費の軽減である。従来、店屋物が多かったのだが、時間が有り余っており、元々好きであるご飯を塾のガスコンロで炊くこととした。そんなん、お弁当持ってくればいいじゃない、などと茶々を入れないで頂きたい。

 我が家のご飯は年寄りが多いこともあり、代々柔らかめであり、私は何と言ってもご飯は立っていなきゃ、というカタメシ派である。というような私の嗜好もあり、炊くこととした。1月の下旬、刈羽のデパート「プラント」で炊飯用の土鍋を¥690で買ってきた。以来、週3日は炊いている。うまい。断然うまい。電気炊飯器で炊いたものの少なくとも倍はうまい。

 おかずは、みそ西の「しょうゆのみ」などリーズナブルなもので、鎌倉武士になった心境である。よくうまいご飯におかずは不要と言われるが正にその通り。ガスの火力、そして当然の事ながら、山ヤ30年の飯炊きの技術もあいまって、ホントにうまい。

 当初、米屋さんに「何始めるんですか?あまり変なことしない方がイイですよ」と心配されたのだが、最近は、コシヒカリ以外のうまい米を味わってみたい、という私の要望に(本当は安いほうがいいという現実的な理由なのだが)協力してくれている。誠に午後5時までは信用できる米屋の若旦那である。

 こしいぶき、ひとめぼれも試してみた。みんな旨い。越路早生がなかなか手に入らないのだが、聞くに柏崎では越路早生を勝負米として、今年は作付けを増やすと言うことだから楽しみである。

 田尻屋のおじちゃんに持ってきてもらう、ざるそば大盛り生卵付き、を市役所で食べていたのだが、炊きたて土鍋ご飯の前に、おじちゃんとの掛け合い漫才楽しみ付き市役所田尻屋そばの魅力を忘れそうである。

 今は桜井バリバリ学習塾のSEA、これはお忘れなく。絶対お得。

 

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2005年5月 9日

いい加減にしろ

 今、防災無線が鳴った。山菜採りにご注意、ということである。

 「・・・・雪のあるところ、急斜面、また熊に注意して下さい・・・・」

 いい加減にしてもらいたい。確かに高柳でも山菜採りのお年寄りが亡くなられた。本人のみならず家人も気をつけなければならない。しかし、これは個人の生活に関することである。

 「熊が出たので注意して下さい」ならばまだしも、山菜採りのイロハまで防災無線で流す必要は無い。最近この種のものが多い。勘違いも甚だしい。行政のやるべき事ではない。

 毎週末、山に出かける私も注意しなければ。金曜には早朝の山菜採りに誘われている。こんな防災無線が鳴ったら末代までの恥だ。

 「今朝、サクライマサヒロさんが、平日であるにも関わらず、山菜採りに行き、谷に落ちてケガをされました。いつまでも若くはありません。皆さんも注意しましょう!」

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ドラッグストアで

 ドラッグストアで買い物をするのが習慣になりつつあるが、いつも気になることがある。今日もどう見ても80近いおじいちゃんが、大人用の紙おむつを買っていらっしゃった。想像するに奥さんのものと思われる。つらい。

 選挙の時、80歳のおばあちゃんが、100歳を越えるお母さんの介護をしながら生活していらっしゃる様をお話しした。その80歳の方のおばあちゃんも最近体調を崩された、と噂に聞いた。

 90を越えた私の祖母も先日、腰の痛みを訴え、入院した。今まで介護保険のお世話にはならなかったが、とうとうその時のようである。入院先で、曾孫の「おーちゃん、えんま市までに帰ってきてね」という相変わらずの小遣い要請に、伸ばしたその二の腕は本当に細くなっていた。

 考えなければならないのは、現実である。介護保険料の値上げは誰もが求めない。しかし、ホームヘルパーをはじめとした在宅介護も長期間に及ぶとなると、やはり施設福祉にたどり着く。特別養護老人ホームを更に造るとなるとどうしても保険料の値上げに結びつく。

 高柳、西山の皆さんとご一緒することになり、高齢化率が25%をオーバーする事は必至のはずだ。ここでも私たちはいずれかを選択する覚悟が必要だ。

 二の腕の細くなった祖母は曾孫の訪問に食欲が出たようである。強欲な曾孫も役に立った。

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2005年5月 7日

仕立屋さんのご葬儀

 知り合いの仕立屋さんが亡くなられた。随分お世話になった方であった。昨日の柏崎日報でその訃報を知り、今朝の告別式に伺ったわけなのだが、少し迷った。

 普通にブラックスーツを着ていくか、それとも故人に仕立てて頂いた、そして私にとって唯一のフルオーダーのスーツを着ていくべきか。その「唯一」がダークスーツであれば問題ないのだが、ライトグレーであった。この色を決めるときもシノダさんが、「若いんだからこのぐらいの色着なきゃ」と言ってくれたものであった。

 タンスからスーツを出しブラシをかけ、ズボンをプレッサーに入れ、まだ悩んでいたのだが、ズボンの裾を見たとき、着ていくことを決めた。

 男性諸氏ならばよく分かると思うが、ズボンは裾から綻び始める。既成のものはその裾に、一応の「裾当て」というのだろうか、内側に付いているものもある。しかし、シノダさんの仕立てはこの「裾当て」が付いているだけでなく、ほんの数ミリ出ているのだ。つまり、わざと出すことによって、本体のズボンの擦れを防いでいるのだと気が付いた。目立たぬように、けれども機能的に、そして長く着られるようにという職人の技術であり、「心」であった。

 もしかして、失礼をしたのかもしれないが、私は遺影に手を合わせながら胸を張った。ありがとうございました。

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2005年5月 6日

桜井雅浩、頭を丸めました。

 反省は誰でも出来る。けれどもその事柄にはなかなか気づかない。私もその中の一人かもしれないが、今のところ私に反省する事柄はない、と思っている。が、一応頭を丸めました。

 JR西日本:福知山線の事故、そしてその後の対応が非難されている。もちろん、JRの対応はお粗末だし、ボーリングも沙汰の限りだ。ただ、いつものことだが、一連の報道には疑問を感じる。

 私たちの身の回りには同様なことは無いだろうか?「まあ、いいか、少しぐらい」という事はないだろうか。

 中学生以来の短髪。自分で見ても白髪が多くなった。風を頭皮で感じ、太陽の暖かみを直接受けている。

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2005年5月 3日

朝日新聞:西村欣也氏のEYE

 以前、「手のひらを返す」で書いたように、かねてからファンなのだが、朝日新聞スポーツ欄の西村氏の記名記事はいつも的を射るものだと感心している。

 5月3日付は「清原の『とんぼ』人生」というものであった。氏は「ファンは不器用な男の生き様に我が身を重ね、震える心をリフレインにこめる」と「とんぼ」の歌詞で清原の野球人生を紹介する。

 「死にたいくらいあこがれた花の都・大東京・・・・・・・。」

 「だけど俺はこの町を愛し、そしてこの街を憎んだ。死にたいくらいにあこがれた東京のバカヤローが知らん顔して黙ったまま突っ立てる・・・・・・。」

 西村氏はしかし、ここでもいつもの目を忘れていない。「昨年の屈辱を忘れないため」という清原のピアスをジャイアンツに対するアンチテーゼの象徴ととらえ、ジャイアンツとの戦いが彼を支えている、とエールを送っているのだ。

 「東京というフレーズを巨人に置き換えていました」という清原の言葉は率直で、グッと来る。そして、巨人は清原を支えてもいる。

 ピアス。ダイヤだからねえ。俺も穴だけでも開けとくか。 

         

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2005年5月 2日

GWサービス2:タチツボスミレ・トキワイカリソウ

sumire2_2_thumb   大学に入ったばかりの頃、高尾山でスミレの植生調査をしたことがある。京王線で行くのだが、車窓から見える風景がやけに都会に見えて、そして日曜日の高尾山口は自然を楽しもうとする都会の人でにぎわっていた。山に行くこととにぎわい、とはそれまでの私の中では決して一緒にならないものであったのだが、東京に来たんだなあ、と改めて実感したものだった。

 

 tokiwaikarisou2_3_thumb

  トキワイカリソウだと思うが、先日公務員たる方がお見えになって、漢方薬談義をした。その方は趣味と実益をかねて強壮剤を集めていらっしゃるのだが、(失礼ながらどう見ても必要ないように見える方である)、このイカリソウの話になった。

 調べると漢方の世界では淫羊カクといって、それはすごい薬効なのだ。カクは中国でのこの草の名であり、この草を食した羊が1日に100回も交尾するところから付いた名前だという。すごすぎる。

 GWなのにスミマセン。これも皆、日経の連載小説「愛の流刑地」(渡辺淳一)が悪い。「ふゆか・・・・」

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2005年4月30日

GWサービス:カタクリ

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2005年4月28日

90秒の遅れ

 この度のJR福知山線事故は特に痛ましい。もちろん原因の分析はしっかりと行われなければならないが、「90秒の遅れは遅れと呼ぶのか」、という海外メディアの論調には考えさせられた。

 確かに日本人は正確な、清潔なものを求めるし、それを美徳としてきた。外国人から見れば潔癖性とも呼ばれるのかもしれない、秒単位のダイヤやスケジュールはそれを象徴している。色の好みも日本人は、白、紺を好むとされる。私も性格は到底潔癖性とは呼ばれないし、机の上などは誰が見ても乱雑であり、きちんとしているなどとは言われない状況であるが、そんな私でも電車の遅れを気にし、紺のブレザーを好む。

 20年ほど前に、メキシコに行ったことがある。朝9時のバスをバス停だというストアの前で待っていたが、来たのは午後2時であった。何回と無く、本当に来るのかと店番のおばさんに聞くのだが、返ってくるのは、絶対に来るから、という言葉だけだった。その間、熱い日差しの元、水代わりのビールを何本飲んだことか。(ちなみに初めてコロナを飲んだのはこの時だった)

 あの時の事を思い出すとき、今回の事故原因の一つとされる、「90秒」の遅れを取り戻そうとする「あせり」が私たちにとってどれほどの意味をなすものなのかということを考えさせられるのだ。

 もちろん過密ダイヤにも原因がある。それでも私には、日本はこの路線を突き詰めるしかないのでは、との思いもまたある。正確な日本、清潔日本。これを失い、またはどうでも良いとかんがえ始めてしまったならば、日本のポジションは無くなってしまうのではないだろうか。

 100名を越える大惨事が、日本の安全神話の崩壊として伝えられるだけなのはつらい。実際にそれは治安も含め崩れ始めている。しかし、学校教育ではないが、「ゆとり」があれば安全であるという単純なものではないように思う。こんな事を言うとまたバカにされるかもしれないが、倫理観、道徳観の醸成を含めた人づくりの方が求められているように感じる。技術をより向上させ、どこにも負けない精緻なシステムを求め、かつそれを操る人間のまじめさ、命への慈しみ、謙虚さ。この困難な条件をクリアーしてきたからこそ今の日本があるのではないか。

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2005年4月27日

そりゃ無いでしょう!

 東京電力が原子力発電所全号機完成記念として進めている柏崎夢の森公園(環境共生公園)について、会田市長は維持管理費の見直しで、事を終わらせようとする方向性を打ち出された。これは西川さんに対しても失礼だし、はばかりながら私に対しても「ちょっと」じゃないだろうか。何よりもこの記念事業に対する考えをベースに票を投じた有権者もいらっしゃるわけだから、本当にその声に応えているのだろうか。

 有権者は市民満足度調査で現れたように、環境共生公園への関心の低さ(各項目の中で最低)、医療の充実への関心の高さ(各項目の中で最高)、つまり出来る限りの抜本的な見直しを求めていたはずである。私は事業が進む最中では有ったが、事業に対する評価、期待がはっきりと数字で現れた訳だからそれに添うべきであると考えた。

 もとより西川さんは計画通りに進めるお立場、私は60億の総枠のなかで、市民に理解が得られる事業、具体的には医療の充実への一部振り向け、がその主張であった。会田さん、並びに支える議員諸氏は、私よりももっと事業に対して先鋭的な否定論者だったのではないか。つまり、反対とか、抜本的な見直しを主張していたはずである。この事業をもって西川さんを強く批判していたのでは無いのか?少なくとも「維持管理費の見直し」で終始するようなものを主張してはいらっしゃらなかった。 

 私とて議員として事業予定地の土地購入に関する必要な議決において認めたわけであるし、現実に進んでいる事業に対して全面撤退を求めるほど非現実主義者ではない。また、それによって10数年前から私が求めていた東電病院の実現がすぐに出来ると考えるほどロマンチストでもない。

 事の経過を少し振り返ってみたい。

 この際、改めてはっきりさせておかなくてはならないのは、この事業は西川前市長が求めたものであるが、柏崎市の事業ではない、ということなのだ。今の段階では主体は東電である。基本的には議会の議決が必要な場面というのは殆ど無かった。ただ、土地の購入などに関して、地権者が税制上の優遇策を受けるためには、もしくは農振地域の解除をするためには、カタチの上で市が関わった方が良い、ということで柏崎市が土地を購入し、その議決を行っただけである。その後、その購入金額を東京電力が市に寄付をするという構図が有ったのである。市民には見えにくいところである。

 当然1号機建設当時より記念事業を考えておられた方も多かったかもしれないが、そもそも記念事業を公式に求めたのは私が一番初めである。平成7年の3月議会、今からちょうど10年前である。再質問、再々質問にまで及んだ中で医療分野を提言した。その後、明確な決定過程が明らかにされないまま、誰が求めたのかが分からないまま事業が進んでいった。この問題に関して私は、西川前市長に対し、議会で、プラーベートな場面で見直しを何回と無く求めてきた。直近では昨年の3月議会でも求めた。しかし、残念ながら西川さんはある時「おれの意地だ」という言葉を使われてまでしてこの計画にこだわられた。

 争点がないと言われた選挙の中で、この記念事業つまり環境共生公園の見直しは、ある意味私にとって中心であった。正に私の意地でもあった。

 ところが、選挙が終わり、事の経過はともかくも、その見直しが維持管理費で終始し、「将来負担と市民の理解は別」「(環境学校などの)実際の活動の中で理解の輪を広げていくことが大事」(4月26日付柏崎日報)などという会田市長のまとめの言葉を聞いていると、それはまるで西川前市長のもののように感じる。

 私でさえ、会田市長にはその抜本的な見直しを期待したのである。その任を負えなかった私のみならず、一定多数の市民も同様である。しつこくて申し訳ないが、市民満足度調査がそれを物語っているのである。そして、本当にこれで終わるので有れば、原発の誘致以来、30数年に渡って難儀をしてきた市民、賛成も、容認も、反対も含め、歴代の市民に対し失礼なのでは無かろうか。

 少なくとも私は10年前の議会でこう発言している。

 「柏崎市としても、記念事業を考えていくべきではないでしょうかという趣旨であります。これは単に、イベントをお話しているわけではなくて、やはり先人の英断と、そして先見性、そしてまた、反対をなさった方々の御苦労も含みながら、先人の、いわゆる御苦労を決して忘れないようにといった気持ちを込めて、そしてまた、今後とも、やはり世界一の原発立地点になるからには、世界一の安全性を求めていくんだと。そしてまた、地域の振興をも図っていくべきであろうといった私たちの決意を込めた記念事業が、ぜひともなされるべきではないだろうかというふうに私は考えるものであります。」(平成7年3月議会議事録)

 今一度、新市長には、議会諸氏にはお考えいただきたいものである。

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2005年4月25日

荻窪で見たもの

 週末、ひょんな事から東京に行くことになった。選挙が終わってから初めてである。「桜井は東京に戻った」という噂も有るそうだから、ある意味事実となった。

 渋谷に用事があったのだが、土曜の夜の関越道はガラガラで夜中の1時に都内に入ってしまった。サウナで一息つこうと、荻窪駅前の店に入った。同行人は、新宿をと言ったのだが、過去の経験から、週末の新宿は混んでいて、余りにも修羅場で有ることが予想されたので、経路でもあった荻窪を、と求めたのであった。

 荻窪は私が柏崎に戻る前に住んでいた街である。言わずとしれた高級住宅街であるが、以前は農地が広がる武蔵野の一角であったのだ。かつての私のアパートも農用地からの転用であると聞いていた。近くには将棋の大山康晴氏や作家の井伏鱒二氏、夏目漱石の弟子で評論家の小宮豊隆氏はじめ著名人の住宅も点在していた。私はこの高級住宅街でのアパート暮らしを本当に楽しみ、そして多くの思い出を作らせていただいた。

 早春の沈丁花の香りには何か期待感があった。秋に香る甘い金木犀にはなぜか切ない思い出がある。そして風呂なしのアパートには多くの友人が訪れ、泊まり、酒を酌み交わした。

 柏崎に帰る決意を、政治の道に入る決意を、上司でもあり、私に「寛容」ということを教えて下さった先生に語ったアパートはまだあるはずである。私は荻窪で育てていただき、そして荻窪を捨て、教職を捨て、柏崎に帰った。今から14年前である。

 早朝のサウナには露天風呂があり、そこからは荻窪の街が見下ろせた。穏やかな朝は本当に懐かしかった。あのころと同じように、デニーズには朝から、もしくは一晩を明かした人がコーヒーカップを前にまどろんでいた。フライドポテトを揚げるにおいが漂ってきた。線路脇には八重桜が満開であり、遠くには奥多摩の山並みが見えた。日曜日の早朝であるにも関わらず足早に進むスーツ姿の男性、都会では珍しい腰を曲げたおばあちゃんの姿も見えた。早朝は、どこの土地でもお年寄りのものなのかもしれない。

 やはり政治の道を進もう、と私はその時ふと思った。私は、荻窪を捨てたのだ。東京の生活を捨てたのだ。すばらしい生徒と教職員に囲まれた学校を捨てたのだった。そんなことを幻想のように思い出していたその時、露天風呂にもう一人客が入ってきた。小柄で、少しだけ猫背のその後ろ姿を見たとき、そして白髪混じりの髪型を見たとき「西川さん」と声をかけそうになった。

 西川さんと選挙を戦い、負けたわけだが、私には西川さんに騙された、という感覚がある。一方、郷愁にも近いものがある。もちろん自分の決断に後悔はないし、あのまま西川さんの政治が続いていたのでは残念ながら柏崎はダメになってしまうと考えていた。それは今でも変わらない。西川さんだからではなく、柏崎というまちのプライドという点で無理だったのだ。

 西川さんの市政は進取であった。優れた政治を展開されていた。だからこそ私が出なければ、だからこそ西川さんに勝たなくてはと思っていた。同時に、やはり年月は、権力は、人の感覚を鈍らせるものであるように感じていた。もとより私に力が足りなかったから負けたわけだが、あらゆる「総動員」で負けた西川陣営もそれに気づかなければならなかったのだ。柏崎はそれに気づかなければならなかったのだと思う。気づいていたのかもしれないが覚悟がなかった。

 西川さんにはあれからお目にかかっていない。今、お目にかかっても以前のように素直に自分のことを話せるメンタリティは無い。しかし、露天風呂での人違いは私の心証をも示しているようであった。私の思いもまた幻想であったのかもしれない。

 新幹線から乗り継ぎ、帰ってきた柏崎駅は夕暮れ時であり、また穏やかであった。思わず2週間前に登った米山を見上げた。

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2005年4月20日

それでもホリエモン、そしてビートたけし

 様々な評価があるであろう。けれども堀江氏を私は評価する。マネーゲームと呼ぶもよし、通信と放送の融合はどうなったんだ?という批判もよし。「もう少しつっぱってもらいたかった」という失望もよし。しかし、「世の中お金ばかりじゃないのよ」と訳知り顔でインタビューに答えるおばさんよりもずうっといい。彼には覚悟があった。それが、金に対するものであっても構わない。

 様々な権威がある。様々な既成勢力がある。名門企業があり、古い伝統を持つ機関がある。地元の名士がいる。私たちはそこに含まれながらも、含まれようとしながらも、その「社会」に対する忠誠、帰属意識は薄くなってきている。同時に抗する度胸もない。なぜ、自らはこの組織に?なぜ自社はこの団体に?などと考えることなく、いわゆる「しがらみ」や今までの「おつきあい」や「あきらめ」や「無関心」故に、本心ではあまり意味をなさないと思いながらも、それを継続している。関心を持つことや意識すること、勇気よりも面倒くさくなく、安全である、という理由、思いこみで。

 株式会社とは?という基本的な問いかけを私たちは無視し、無視しようとし、それに対しての正しいと思われる答えを出すこと、考えることをサボってきた。同様に身の回りには色々ある。既成のもの、組織、考え方、生き方。

 見てみるがいい。いかに私たち日本人は一所懸命に課題、問題を克服しようと、まじめに毎日たくさんのシンポジウムを開いているか。そして、そこに現れるパネラーと称する「芸人」はいつも同じである。いつも予想できる。芸があればまだいい。その実は周りも、ご本人自身も「芝居」だと思って、役者を演じている。実がない。率直さがない。私にも経験がある。これこそ、日本の実体であり、柏崎の現実である。身の回りに、「本当は・・・・」と表に出すことが余りにも少ない。むき出しのものが無い。

 私は学生の頃、「タモリとたけしとどちらが好きか?どちらが頭がよいか?」という友人の問いかけに、「タモリ」と答えて散々馬鹿にされた。私が間違っていたことは、さすがの私でもすぐにわかったのだが、今回の騒動で、タモリがニッポン放送への出演を拒否する可能性を示唆したとき、改めて私自身の先見の無さを20年ぶりにまた思い知らされた。

 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」思い出してもらいたい。これはビートたけしの言葉である。敢えて言えば、北野武の言葉ではない。本音であり、率直だ。ホリエモンに通じるところがあるように思えた。

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2005年4月18日

遺憾より言葉はないのか?

 中国ってこんな国なの?これを導いたと言われるネット社会。韓国から発信されたとする反日感情、デモへの誘導。内政への不満のはけ口としてのデモ容認。いずれにせよ中国で今起こっていることは全て中国政府の責任である。日本政府は正に毅然として頂きたい。テレビで伝えられた町村信孝外務大臣の表情は私には微笑みさえ浮かべてる様に見えた。対して李肇星外相は「険しい表情で迫った」(朝日)。

 歴史教科書や人権問題、台湾問題などとは別の次元である。一国の国旗を焼き、一国の領土にも等しい大使館や領事館に石を投げ、ペットボトルを投げ、ガラスを割り、デモに巻き込まれた一般の日本人までケガをする状況は、法治国家とも思えない。

 報道にしても、町村外相が発言したという「日本在近代历史上对中国的侵略给中国人民造成了巨大伤害,对此深感痛心,再次表示深刻反省和道歉。」(人民日報)だけを強調し、自国で起こっている暴力的な行為、行動に対しては何ら伝えられず、統制されている。対して日本国政府は「遺憾」や「残念」などの他に無い。

 国際社会が見ているのはビジネスを展開するにふさわしい民主主義国家か、オリンピックを開催するにふさわしい平和な国家であるか、など中国政府の対応だけではない。主権はあるのか、日本国政府の対応こそ見られている。ニヤニヤするな。

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2005年4月16日

水源地の再生

 一言。水源地の桜を復活させるべきである。殆どが老木となってしまった。水面に映る桜花は、麗しく、美しい。赤坂山もいい。けれども、水源地の桜には別の風情がある。新緑も良し、紅葉も良し。水源地はその名の如く、柏崎上水道のふるさとでもある。ハイキング道を整備すれば、清流前川と共に格好の「共生公園」である。すばらしい自然遊歩道ができあがる。お金はそんなにかからない。柏崎上水道の父、西巻進四郎氏の胸像が今、寂しく立っている。

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2005年4月12日

PAY OFF

 ペイオフが4月1日から「完全解禁」となった。「全面解禁」という言葉も使われている。実に日本的だなあと思う。文化、文化と言うと「文化人」になれる。「完全」、とか「全面」とか言う言葉は、当然その裏に「不完全」とか「部分」というものがある。これはご存じの通り日本の実態から出ている。希望的なのだ。

 本日付の日経「金融取材メモ」に金融庁の配慮というか、保身というか、お節介が記されていた。要は、金融庁のホームページ にわざわざ「本格実施」と記したり、決済用預金の全額保護は「恒久的措置」と記されていることをお隣韓国などの措置と比べて「過保護」なのでは主張しているのである。

 もっともなことである。私も1980年代、規制「緩和」と言う言葉が現れた時、おかしいのでは、と疑っていた。するとやはりこの言葉に対応する英語はderegulationであり、de という否定の接頭辞とregulation という規制が組み合わせられたはずであるから本来、規制「撤廃」と訳すべきものである、という主張が現れ、我が意を得たのであった。調べていくと、当時の通産省か大蔵省の官僚が対米政策の中で施した巧妙な技術であることがはっきりとしてきた。そして、規制「緩和」がもたらした罪は1990年代、つまり「失われた10年」と呼ばれる停滞につながる。

 先に「ホリエモンはさて?」で記したとおり、私自身は実際のところ、いわゆる日本人的な、漸進主義、保守主義、聖徳太子的、談合体質であると思っているのだが、誠に残念ながらそれでは日本は立ちゆかなくなる様なポジションに既に立っているとも思うのである。つまり、世界市場の中で稼いでいくためには、そのルールを守っていかなくてはならない。資本主義社会において稼ぎ出した所得を再配分する作業が政府の仕事であり、そのスタイルを主にヨーロッパのように、相互扶助型、社会保障重視型とするか、アメリカの様に個人責任重視型とするか、によって大きく違ってくる。このことは、税率や医療保険、年金制度などの相違からも明らかなことである。

 日本はよくその中間を目指すべきだ、という意見が出てくる。いわゆる「中庸」である。聖徳太子の精神であり、孔子の世界である。このことを世界が理解してくれるかどうか、理解させようとする壮絶な覚悟があるのかと言う点にかかっている。憲法改正問題も話題を提供しているが、世論調査に由れば、(朝日読売)改正論者は5割、6割と多数であるが、九条となるとその改正の割合は落ちる。誰がどう見ても軍隊である自衛隊を、軍隊ではないと「解釈」することを「日本の知恵」だとするならば、日本文化のルーツとも言える、中国、韓国両国にさえ理解してもらえないだろう。求められているのは率直であり、ある意味覚悟である。残念ながら、日本にも、柏崎にもまだ覚悟がない。うすうすは気づいているのだが、そこまで踏み切れない「日本人の姿」がそこにある。そしてその姿は尊敬されない。「名誉ある地位」を占めることはできない。

 論理を追い求め、二進法の世界で稼ぎながらも、義理・人情・年功の十進法でことを動かそうとする。欧米の個人主義、ヒューマニズム、そして合理主義は基本的にキリスト教の「寛容の精神」に基づいていることに気付かねばならない。個はあくまでも自立し、責任を負う「覚悟」がある時、初めて尊敬され、そして公共の中で認められるということを学んできている。権利と義務という極めて基本的な概念が身に染みこんでいる。柏崎では未だ、義務の時代が終わり、権利の時代が始まったばかりである。

paul_gauguin_thumb  Paul Gauguin, French, 1848–1903
  Where Do We Come From? What Are We?                               Where Are We Going?

  「もったいない」に代表される日本人の美徳や伝統というものを大切にしながらも、好むと好まざるに関わらず、世界はつながっている。代表的であり、面白いのは、政治の世界で、守旧派と言われた野中広務氏やその子分とも言われる古賀誠氏が憲法九条を含めた「護憲派」と言われるのはパラドクスでもあり、真理でもある。心配なのは日本も柏崎も気が付いたときには既に先進国でもなく、先見性に満ちた優れた自治体でも無くなっていることである。

 今日、生徒の保護者から「どうして待てなかったんですか?」と昨年の選挙のことについて聞かれた。何十回と無く聞かれた質問である。その答えになったであろうか?1年前、4月13日柏崎市長選出馬の記者会見をさせて頂いた。私自身も変わっていこうとしたのだ。私だって怖かった。

 今、さらにオマエの覚悟は?と問われると難儀なのだが、ペイオフ完全解禁であろうが、本格実施であろうが、その点に関しては心配しなくて良くなった。

 

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2005年4月11日

米山、そして山やの口の悪さ

 昨日は柏崎山岳会の米山登山。天候も良く、風は少し強かったがさわやかだった。例年より残雪が多く、私自身もピッケルを持った。いつもであれば、長靴、ストックぐらいでいいのだが、一応念のため。一般市民の方々が30人ほど参加され、山岳会はサポートさせて頂いた。

 無事頂上に着くと宴会が始まった。25度くらいまで上がった気温の中で、昨日のビールほど美味しそうに見えたものはなかった。夕方から仕事のあった私はコーヒーを沸かして飲んでいた。最近、ウチの会員は一人が一つずつガスコンロを持ってくる。それぞれの好みで、それぞれ自慢の小料理ができあがる。焼きそばを作る人、野菜ラーメンを作る人、肉を焼く人、様々である。今年は、わざわざ網を持ってきた人が「アチャー、肉忘れたいやー、網だけ持ってきた。」あたりを見回しながら「オイ、何か焼くもんねえけ?」「シシャモがあるよ!」「薩摩揚げがあるよ!」と反応がある。「何だ、もっとうんめえのは無えんだけ?」しかし、たちまちにして、小屋にはシシャモを焼く煙とにおいが広がった。私もおにぎりに、コーヒー、そしてシシャモという実にアンバランスな昼食を頂くこととなった。シシャモは美味しかった。

 また、傍らでは「オメさん、飲み過ぎだで、じいさんなんだから、それぐれえにしときなせ。いっつも俺たちに大迷惑かけてんだから」「うっせのう、オメだってそんがん飲み過ぎだねっけ。オメエの方が先死ぬをー」とスルメを焼きながらコッフェルの酒をすすっている。

 ウチの山岳会には口の悪いのが多い。などと大先輩に対して失礼だが、総じて山やには口の悪いのが多い。もう一つ口の悪い人間の確率が高いのは私の少ない経験の中で言うと、魚河岸である。学生の頃、築地のいわゆるプロの買い付け場、場内、でバイトをしていたのだが、ここも悪かった。私が働いていたのはマグロの卸屋だったし、隣はタコの卸屋だった。狭い通路を、勢いよく台車を押していくのだが、「オイ、ジャマだタコ、毎日言ってもわかんねえのか、タコ、道を空けろタコ、全くタコなんだ!」とウチの社長はタコの4連発である。タコ屋も「てやんでえ、皆さん、ここんちマグロはマグロじゃねえよ!マックロだ!色が変わって食えたもんじゃねえや、人間の腹も黒いが、魚も黒いや」と啖呵を切って返す。魚にも序列があるのを知ったのは初めてであった。そして、身びいきかもしれないが、マグロ屋の方が立場は上だった。山やと河岸の人間に共通する部分は何であろうか?たまたまだったのだろうか?コーヒーを飲みながら山やの楽しい会話を聞いて、昔を思い出した。

 さて、米山山頂での宴会はあっという間に終わり、服に付いたシシャモのにおいは、外の春風が消してくれた。来年の市民登山の日は仕事を入れず、マグロとタコの刺身でいっぱいやりたいと思った。

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