2005年3月15日 (火)

訪問者

 選挙に敗れて、訪れる人も少なくなり、そのことが幸いのようにも思える時期を過ごしてきたが、1月の中旬だったであろうか、K氏が訪ねてきた。ノックをする音がしたので、いつものように「ハイ、どうぞ」と声をかけるのだが、ドアは開かない。こちらで開けるとそこには思わぬ人が立っていた。1年ほど前まで議場内外で激しい原発論議を展開していたK氏であった。思わず、「オッー、・・・・」としか声が出なかった。一瞬おいて、「まあ、どうぞ。お茶でも」
 「いやあ、噂によればだいぶショックを受けて元気がない、と聞いたもんだから」と話す彼に、私も「オレが聞くのも変だけど何してる?ネットの仕事もあるし、お子さんも生まれたって聞いたから、お子さんの世話も忙しいか?」と話しながら、コーヒーの苦手な彼に最高級のウーロン茶を出してあげた。
 しばらくの子ども談義のあと、少しは冷静さを取り戻した私「そう言えば、選挙の時はあまり、声も聞かなかったし、顔も見なかったなあ」「うん、あまり表に出るな、といわれたから」と正直な彼。「オレとしては潔しとしないんだよなあそういうの」と私。お互いさらりと言えるところが不思議な雰囲気だった。5分ほどして、別のお客さんがやってきて、ギョッとした表情で私たち二人を見ていた。K氏はそこで帰ったのだが、過去4ヶ月の中で一番の訪問者だった。最高級ウーロン茶もカフェインが強いらしく口に合わない様子だったのは返す返すも申し訳なかった。(本音:コノヤロー)けど、ありがとう。(本音:アリガトウ)

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2005年3月16日 (水)

議会

 13年半お世話になった議会に対し、職を辞したものが申し上げるのもどうかと思うが、お許し頂きたい。昨日の柏崎日報紙上に、シルバー人材センターが、表具部門を廃止しない、との決定を行い、表具組合に連絡したとの記事が掲載されていた。おかしな話だ。県シルバーは、「高度経済成長で・・・」と述べ、表具部門の仕事量が減ったのは、時代の変化であり、シルバーのせいではない、という理屈を展開しているらしい。柏崎市議会本会議にて、可決成立した請願に対する答えとしてこんなお粗末な理由に議会は納得したのだろうか?
 もとより、ライフスタイルの変化によって、日本の住宅から障子や襖というものは少なくなり、床の間に掛け軸をなどというご家庭が少なくなっているのは誰だって知っている。わざわざ高度経済成長などというそれこそ時代めいた言葉を使わなくても万人がそれを分かっている。問題はそんなところには無い。要は全体として減っている仕事を、資格を持ち生業として行っているものから、シルバー人材センターがお年寄りの生き甲斐、小遣い稼ぎと称して、奪い、更に業として為すものの「まんま」の食い上げをもたらしていいのか、ということなのである。
 昨年の議会では、シルバー人材センターに対する市からの補助金の問題が上げられ、新年度予算審議時に十分論議するとの考えが示されていたが、為されたのであろうか?そして、従前と変わったのであろうか?昨年末には、議会議決を守れ、という決議が可決されたそうだが、事あるごとにこれでは議会の鼎の軽重が問われかねない。柏崎ショッピングモールに関する付帯決議、また、鯨波の方々と約束した、新エネルギーの実践施設としてのトルコ文化村など議会が関わってきたことも多い。何ら約束が履行されないままうやむやになっていく。トルコ文化村にある生ゴミの堆肥化プラントなど即時撤退するのが筋というものである。前提が崩れたのだから。再度で恐縮する。議会を去ったものが何をといわれるかもしれないが、お許し頂きたい。私も含め議員、議会を信じて下さった方々に対し本当に申し訳なく思うところがあるのだ。
 昨日、確定申告は最終日を迎えた。シルバー人材のことを考えると実に複雑な思いを抱いた一日であった。もちろん私はシルバー人材センターが無くなればいいなどとは毛頭思っていない。大切な存在で有り続けると信じている。しかし、役割というものがある。拙文「パラドクス」もご高覧頂ければ幸いである。

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2005年3月22日 (火)

本当は逆、真実は・・・

 行きつけの床屋さんで、髪を切ってもらったあと、コーヒーをご馳走になりながら、週刊ポストを手に取った。フジテレビ日枝久会長のことが載っていた。5億円の豪邸は私にとってどうでもいいのだが、出身大学が、早稲田大学教育学部となっていた。私の先輩にあたることになる。今更、学歴など、それこそどうでもいいようの思われるし、それを殊更取り上げる自分が一番古いのかもしれないが、日枝氏は東大だと思っていた。そして、フジテレビの看板番組であった、「俺たちひょうきん族」や現在も続く「笑っていいとも」に関わった現場出身であることも意外であった。
 このことは私自身がいかに物事をステレオタイプに捉えるかという事の証左であり、恥ずかしいことなのだが、最近特に自らの考えを強くしているのが、「本当は逆」という桜井理論である。(桜井雅浩理論は、「桜井雅浩の三分の一理論」から始まるが、これは私にとってみれば歴史を重ねた深い理論?なので、後日改めて発表します。)日枝氏の物言いと表情は明らかに体制であり、権威であり、そして硬直的である。もちろんこれは私が感じることなのだが、故に彼は、東大出身に間違いない、もしかしたら官僚OBとも思ったぐらいだった。それに比して、堀江氏は見かけも含め、とんがり方も早稲田的なのだが、その実は東大中退である。だいたい中退が出世するというのは、早稲田において有名な話であった。
 10年ほど前に、高名な経済学者と一瞬ながらお話をさせて頂くことがあった。私は先生に畏れ多くもこう申し上げたのだった。「先生、経済学というのは本当は心理学じゃ無いんですか?」先生は、グラスを片手に一瞬止まった。「君、それを言ったらおしまいだよ。僕らの商売は。けど、当たっているんだよ、それ」バブル後の経済運営をいかにしたらよいか日本中が悩んでいたときであり、柏崎でも、経済界と称する歴々が、「今年の秋には回復するとか」「ものの動きを見ていると来年の春だな」などと言っていた頃であった。経済に疎いとされていた私は、必死に日経、日経流通、日本工業新聞などを読み、色々な経営者のお話を伺っていた頃でもあった。そして、毎年出る、景気予想、経済観測なるものと、その結果を見比べていた。結果は古今東西の経済学者の予測はその殆どがはずれ、経営者たちが見込んだ為替水準はことごとく見当違いとも言われるほどのものであった。そんなことがベースにあったから、随分乱暴なことな事を申し上げたわけだが、私にとってみれば、経済とて人が為すもの、満更いい加減なことを言ったつもりは無かった。
 これは身の回りでも言えるように思われる。いわゆる「○○派」と言われるグループが実は目標とする○○とかけ離れるものであったり、「あいつは○○だ」とレッテルを貼って人を評価するとき、その実は反対であることが多いように感じる。(○○に皆さんが思う単語を当てはめ、少し考えてみて下さい)なぜだろうか、人は自らに対しては願望を口にするのか、他人に対してはその他人が持つ良い特性(自分が持っていないもの)を本能的に察知し、逆のレッテルを貼ることによって自らを防御しているのではないだろうか。ただ、求める理想と逆の方向に全てが帰結し、そして実態が無くなってしまうことも多いように思われる。
 日経が優れた文化面を持つクオリティーペーパーであるというのは有名なところであるが、これは本当に真理かもしれない。ちなみに言っておきますが私の「三分の一理論」は話半分どころか、話三分の一ぐらいのものだと言うことですので、ハイ。でも「本当は逆」ですよ。

 

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2005年6月 4日 (土)

複雑系

 もう10年ほど前になるだろうか、経済学の世界で「複雑系」が話題となった。(経済をご専門とする方がおられたとするならば、恥ずかしいので今回はパスして下さい)その頃は私なりに咀嚼し、分かったような気になっていたが、今、暇になって改めて、その教科書と日本を取り巻く「現象」を見るとき、頷くことが多い。

 ニューメキシコ州サンタフェにある「サンタフェ研究所」、ブライアン・アーサー教授は有名だが、複雑系をこのように定義している。

 「多くの要素があり、その要素が互いに干渉し、何らかのパターンを形成したり、予想外の性質を示す。そのパターンが各要素そのものにフィードバックする。」

 合理的な予測や、行動を前提として、資本を投入し、収益の最大化を図る事が一般的な経済学や経営論では語られる。時間の経過と共に収穫が逓減していく経済原理に対し、収穫逓増を掲げる「複雑系」

 優れた商品が生み出される。生産量が増える。生産する企業も増える。コピーを扱うものも出てくる。多くの人が持つようになる。次第に飽きられる。生産量が落ちる、他の商品に目が移る。・・・・・・繰り返される。

 経済学は本当は「心理学」なのでは、と言ったことがあるが、日本に第二次世界大戦後存在したのは、と言うより、実際に機能していると信じられてきたのは、ケインズの学説だけであった。減税・公共投資によって雇用を拡大し、可処分所得を増大させる。1960年代~1970年代までは、日本においてもそれが当たり、通用してきた。

 これから、いよいよ「桜井雅浩の三分の一理論」と複雑系との接点、そして私なりの問題提起とテンボウ(野口英世ではない)を記そうと思ったのだが、女房より呼び出しの電話が掛かってきた。今、桜井家は女房を中心に回っているので、次回また。

 

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2005年6月14日 (火)

本当のところ、そしてアメリカ・ニッポン

 マイケル・ジャクソン氏が無罪となった。私は、その詳細を知るものではない。しかし、私のみならず多くの者が、「ウーン」と唸ったに違いない。つまり、少年に対する性的虐待という、日本人にとっては最も忌避されるべき話題・事柄から来る限りないマイナスイメージはいかにマイケル・ジャクソンと言えども多くの人間の心証を変えてきた。ジャクソンファイブで売り出したときのボーイソプラノの無邪気さや透明なもの。であるがゆえに、整形を重ねた風貌とさわやかさとはかけ離れたファッションはイメージを怪異なものとして定着せしめた。正に「スリラー」であった。一般的なところであろう。
 「not guilty」 という判決は、文字通り「有罪ではない」ということなのだが、情報からくるイメージと客観的事実とは別物であり、事実・証拠が明確でない限り「有罪ではない」ということなのだろう。疑わしきは罰せず。一方、マイケルが被ったイメージダウンは誰がその責を負うのであろうか。まさか国家賠償があるとは思えない。また、このことは、人を審判すること、私たち一般市民が報道などから得る情報というものをどのように理解するべきか、と言う課題を改めて考えさせた。
 以前、私は罪と罰とは常に、その事柄だけに関するものであって、その過去が継続するのはおかしいと考えていた。具体的に言えば、前科○犯、というのはおかしいのではないか、と考えていたのだ。つまり、犯した罪に対して罰が下されるのであって、そこで清算されるべきだと考えていた。もちろん、死刑は反対論者であった。団道重光氏の「死刑廃止論」は有名であるが、私はそこまでの論を到底持つものではない。ただ、人を法の下において、「殺して良いのか」という単純なものである。きれい事、と承知である。
 また、今から6年前にアメリカに行政評価に関する視察に出かけた。その際、個人的に強いショックを受けたことがある。各自治体で行政評価の対象として挙げられる例がいつも「幼児虐待に関する行政の取り組み」であった。私の英語力は大したことは無いのだが、一般的な会話の理解と返答ぐらいはできる。交わす会話の中でどうしても聞いたことがない単語が一つあった。それが「abuse」(虐待)であった。それも、親が自分の子どもを虐待する。それに防ぐために、そしてケアするために、自治体がどのようなサービスを提供するかが関心事である、と言う事実であった。私の想像の範囲を超えていた。日本でもここ数年連日のようにこの種の報道が聞かれる。私は、その場面になるとチャンネルを変える。アメリカ社会と日本社会との「時差」はなくなりつつある。
 話が流れてきてしまったが、罪とは、罰とはということに関して大それたことを言うつもりは毛頭ない。ただ、日本でも検討されている陪審員制度も含め、赦すということの事実と許せないという感情の間には何があるのだろうか。

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2005年7月 1日 (金)

クロネコヤマトの宅急便

 小倉昌男さんが亡くなった。ご存じ宅急便の生みの親である。様々な会社が宅配便を行っているが、私はやはり、「始めた人」を尊敬する。

 行政と喧嘩し、信念を曲げず、運輸業を文字通り「サービス業」に仕立てた方だったと思う。(桜井雅浩)「斬新なアイディアを次々と実行」(朝日)、 家庭向けの宅配サービスの草分けである「宅急便」を生み出した(読売)、そして、月給平均1万円という障害者の福祉作業所の実態を「この豊かな日本で絶対に許さない」と憤り、私財を投入し、「人のためにと高い目標に挑み続けるロマンチストだった」(日経)(編集委員:塩田宏之氏)

 ずうっと、「宅急便」を使ってきた。東京にいるとき、母から送られる笹団子や畑で取れる野菜は「宅急便」だった。スキーに行くとき、「スキー宅急便」、柏崎から送るふきのとう、ウドやサザエ、今年の鮎ももちろん「クール宅急便」だ。

 柏崎のドライバー桑原さんは、配達というサービスの他に「ガンバレよ!」と声をかけて下さる心熱き方だ。「クロネコヤマトの宅急便」♪♪への信頼は、創業者へのものであり、ドライバーへのものでもある。

 郵政民営化論議が国会でゴチャゴチャするこの時期に亡くなられたのは小倉さん最後の「反骨」だったのでは無かろうか。

                     

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2005年7月 5日 (火)

小泉さんの笑顔

 国会中継を見ていた。5票差ながら郵政民営化法案が衆議院で可決された。記名採決による各議員の投票行動を見ていると面白かった。反対の青票を振りかざす議員がいたり、自民党から造反議員がでるたびに拍手がわき起こる。中には票をどちらの職員に手渡したかをわざと分からなくするような素振りで通り過ぎようとする議員がいた。

 そして、法案は参議院に送付されるわけだが、私は、サミット後、参議院で100時間審議、否決、衆議院の優位性により法案がその「地位」を確保されたとしても、小泉首相が衆議院を解散し、自民党を「ぶっこわす」可能性もまだあると見ている。もちろん、小泉首相に大きなタガをはめるのは、自民党内部、執行部ではなく、公明党である。衆議院採決時期まで、都議選のあとと、決められてしまった。公明党は「郵政解散」」なんて断固として認めないであろう。

 「そもそも論」は日本国民個人が持つ金融資産1400兆の内、郵貯、簡保合わせて350兆もあり、その金を国債、地方債の購入に当て、と言うか買い支え、財政投融資で特殊法人に流してきた実態が問題視されているのだ。

 そして、その一方で、柏崎のように地方都市においては、地元の「利便性」が損なわれるのでは?という不安と特定局長会などの利権団体、それに繋がる議員、そして、公務員という職を危うくされている組合などが反対にその論を向けているはずだ。

 私の考えは、「民営化しかるべき」だ。ただ、今回の修正案では逆に民業圧迫となりうる可能性が高くなってしまった、と思う。郵便、郵貯、簡保の三事業の一体化、株の持ち合いなどを完全民営化後も可能性として残すなど、もしかしたら、今よりも肥大化する可能性がある。

 それにしても、みずほ、三井住友、東京三菱、UFJという日本の銀行大手の預貯金残高の合計(227兆)と「郵貯」のもの(226兆)がほぼ同じだというのは、全く怪しいし、おかしい。おまけに、日生、第一、明治安田、住友(合計121兆)、簡保(122兆)と言うのを聞くとますますバカにするな!と言いたくなる。その差、それぞれ1兆は、役人たちの「1チョウアガリ!」と言う声が聞こえてくるようだ。

 アメリカにやられる、と言う危険性も確かにある。いくつもの不安や不満を抱えながらひとまずは衆議院を法案は通過した。その瞬間、テレビに映った小泉首相の笑顔は正に心からのものに見えた。もちろん、参議院や今後の行く末に対する難儀は予想できるのだろうけれども、あの笑顔が見せられる小泉さんの強さはこれまた事実である。ワンフレーズと言われようが歴史に名を残すことは間違いない。

 

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2005年7月 6日 (水)

小泉純一郎さんと石川啄木

 ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中にそを聞きに行く  「一握の砂」

 教科書に載る有名な石川啄木の歌である。ふるさと岩手に対する思い、郷愁の抒情詩人として知られている。その一方で、彼は自分たち親子を追い出した郷里に対する強い忌避感も持っている。その理由がいかなるものであったとしても、郷里への愛憎は事実である。自分を悲しき状況に追いやったふるさとに対する憎しみと悲しみがあふれている。

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ  「一握の砂」

 たわむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず  「一握の砂」

 ふるさとの山に向かひていふことなしふるさとの山はありがたきかな 「一握の砂」

 新しき明日の来るを信ずと言ふ自分の言葉に嘘はなけれど  「悲しき玩具」

 昨日の郵政民営化法案の結末を見ていると、小泉さんと石川啄木が重ね合わせられた。「自民党をぶっこわす」と言って登場し、「郵政民営化」の一枚看板で自民党総裁となり、首相となり、抜群の人気を誇って、小泉さんとの握手姿が当選の条件と思えるほどだったのが、今や「5票差」である。

 今現在、小泉さんの、自民党への思い、日本という国に対する思い、また政治への思いはいかなるものなのだろう。言っておくが私自身の考え方が小泉さんと一致するか否かはこの際大切ではない。余りにも「使い捨て」としようとしていないだろうか、ということなのだ。権力闘争なのだから、これが政治だ、と開き直られれば一言もないが、「造反議員」の顔ぶれを見るとどうしても「卑しく」見えてしまう。

  気の変わる人に仕へてつくづくとわが世がいやになりにけるかな   「一握の砂」

 けれども小泉さん、頑張って下さい。執念です。私は応援しています。執念。

 

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2005年7月 7日 (木)

笑い話にならない社会

 「あんなにまずい料理をつくる国(イギリス)の国民は信用できない」「フィンランドの次に(料理が)まずい」「イギリスがEUにしたことはBSEだけだ」とシラク フランス大統領がシュレーダー独首相とプーチン・ロシア大統領に語った、という報道のせいか、否か、オリンピックはロンドンに決まった。

 確かにロンドンはローストビーフかソーセージにポテト、という感じだったし、フィンランドのトナカイの肉はかたくて、美味しくなかった記憶がある。ただ、イギリスのファストフード、フィッシュアンドチップスはCodつまり鱈のフリッターとポテトなのだが、これは揚げたては美味しかった。

 しかし、世界に誇るフランス料理。シラク大統領から見れば、本音が出たのでしょう。ここまでは良かった。一方、パワーゲームである開催国選びは、イラク戦争で協力をしなかったフランス・パリへは投じたくないアメリカ・ニューヨークの票がイギリス・ロンドンに流れたといわれている。事実であろう。オリンピックも十分政治なのだ。

 そして、更にそのイギリス・ロンドンでは先程テロと思われる爆発事件が起こり、死傷者が出ているという。疑われるのはサミットをめがけたものであるのだが、まさかオリンピックの一件が影響しているとは思いたくない。イラクからつながるテロである可能性が高いと思われるが、これまた許されるべきではない。

 つい先程まで、ブッシュ大統領が自転車で転んだとか、何かほのぼのとしたニュースを喜び、冒頭のシラク大統領の本音に対しては、イギリス人たるもの伝統のユーモアで返すべきであると、「フランスには料理はあってもGentle(紳士的な)という言葉は無いようですなあ」とか「やたらSAUCE(ソース)はいっぱいあるけど、SOURCE(ニュースソース出所)としてはおそまつですなあ」等とブレア首相に代わってジョークを考えていた私である。ユーモアやエスプリが評価される社会になってもらいたい。本当に。

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2005年7月20日 (水)

中国・ニッポン・柏崎

nisseki_3_thumb  間違って、アッポンと書くところだった。

 「中国」、「エネルギー」が日本にとっても、新潟にとっても、そして柏崎にとってもキーワードになってきている。

 ぎくしゃくしている日中関係の中で、西山と合併した柏崎は日中国交回復「井戸を掘った人」田中角栄氏生誕の行政市となった。そして、言うまでもなく、世界一の原発立地点である。

 中国の経済発展は著しい。最近の原油高の原因は偏に中国にある、と言っても良いのだろう。そんな中で、今ほど、中国の2005年上半期(1~6月)の国内総生産(GDP)の実質伸び率は前年同期比9・5%増と発表された。そして、石油関係への投資額は80%を越える伸びである。

 日本と争う東シナ海でのガス田開発、ロシア、カザフスタン、イラン、ベトナム、ベネズエラ等での原油確保に向けたエネルギー外交、アメリカ石油大手ユノカル買収。そして、何と言っても日本にとって大きな痛手は、日中両国が競合していたシベリア原油のパイプライン計画についてだ。プーチン大統領がイギリスでのサミット終了後、中国に送るルート建設の方を優先させる方針を明言したことだ。日本が求めていた太平洋沿岸までのルート建設の実現は極めて厳しい状況になった。

 中国の電力は約80%が石炭による火力発電であるが、石油消費量が2002年に日本を抜き世界第2位になったことは、乗用車の販売台数が年間約300~500万台を数えるまでになったことでも裏付けられる。また、中国は世界一の鉄鋼の生産国であると同時に、世界一の鉄鉱石の輸入国である。要は資源の大消費国になってきているのだ。そして、更に注意しなければならないのは、一人当たりの資源の消費量は、まだ、日本やアメリカの10分の一から15分の一であり、これが向上してくるのが必至であるわけだから、日本や柏崎は三峡ダムで、中国や宜昌市に対し驚いていられないのだ。

 この夏北京でも猛暑が続き、今月下旬には電力不足が案じられている。今後の電力不足を見込み、原子力発電の配置増が検討されるであろう。事実、三菱重工業は9日、米原発メーカー大手のウェスチングハウスの買収を提案したことを明らかにした。ウェスチング社の親会社は英核燃料会社(BNFL)である。いつも10年ほど前で恐縮だが、私がイギリス・セラフィールドにあるBNFLの再処理工場に伺った際、担当の方が、既に中国のことを話していらっしゃったことを覚えている。この買収が成功すれば重工や日本にとっては良いことかもしれないが、柏崎にとってはあまりプラスではない。東京電力・東芝・日立の原子炉はBWR沸騰水型であってGEによる。重工・ウェスティングハウスのPWR加圧水型ではない。

 前にも書いたが、柏崎は日本石油の発祥の地としても歴史がある。(写真は日石の蒸留プラント:もうすぐ解体される。写真でさえ誇り高いではないか!)駅前工場跡地のレンガの保存も大切だが、それよりも何よりも、日本石油とのつながりにおいて、「あっさり」と引き下がってきたという印象を与えたことは非常に大きな失敗である。様々な手があったはずだ。政治の出番であったはずだ。

 日本にとっても、柏崎にとっても文字通り中国経済の急成長、とりわけエネルギー需要の急増は文字通り「対岸の火事」としてはならない。東京電力、東芝、日立、そして歴史ある新日本石油、東シナ海のガス田の採掘権をとった帝国石油と連携し、信頼の中で柏崎に真のエネルギー産業を復興させるべきである。もちろん新エネルギー技術や省エネルギー技術も含めてである。どうしてそれを打ち出さないのか!柏崎の今後のために今一番しなければならないことである。柏崎でなければ出来ないことなのに。市民の声ばかり聞いていないで、それは基本、手段であって、目標ではない。政治を行っていただきたい。時間はないのだ。

 日本のエネルギー戦略と柏崎の生き残りの鍵はここにある、正に柏崎に種がある。詳しくはここでは書かない。それほど日本人:お人好しではない。柏崎ではアホがなまり、アッポンという。

 

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2005年8月 1日 (月)

鮎とエネルギー

 8月になった。本ブログも滞りがちである。SEAの夏期講習が始まり、朝8:00から夜10時まで生徒の相手をしている。全く体力勝負だ。

 さて、良い天気で、夏だなあ、と感じさせる。今日、8月1日は鮎の投網漁解禁の日。柏崎刈羽内水面漁業協同組合の組合員である私は、キーボードを叩きながらも、実は焦っているのだ。鮎漁のことである。昨年、今年と豪雨被害が続き、川は災害復旧の真っ最中。鮎は遡上しているだろうか?師匠である金子錦弥さんにみんな採られてしまうのではないか?など気が気でない。

 7月末、柏崎にとっても、日本にとっても重要な政府方針が日米で出された。日本では「原子力長期計画」改め「原子力政策大綱」が28日原子力委員会でまとめられ、アメリカでは「包括的エネルギー法案」が28日、29日と下院、上院で可決成立した。核燃料サイクルを含んだ原子力への依存割合を増やす方向であり、ブッシュ大統領が署名すれば成立する米法案は中国エネルギー政策へのけん制であり、スリーマイル以来の新原発建設への第一歩となるものである。まだそれぞれ全部を読んでないが、非常に大切なものである。私はその方向性は正しいと思う。アメリカの法案に対しては、テキサス、石油産業をベースとするブッシュならではのところもあると思うが、基本は次世代でのエネルギー確保である。

 柏崎にあるMOX燃料はどうなるのか?原発反対派や脱原発派がその大半を支える現柏崎市政は国の方針に対してどのようなメッセージを送るのか?また、原発反対派にはプルサーマル反対と言い、原発容認・推進派には原発増設と訴えて当選した議長は全国原発議長会でどのような舵取りをするのか?

 昔、渡辺美智雄さんが、「毛針に引っかかる魚は・・・・」と言って物議を醸したが、柏崎も手段を選ばず何でもありである。人数確保の地引き網も行われた。

 鮎にしても友釣りなど、釣りを楽しむ方々から見れば、投網など邪道である。釣りをする私自身にもその感覚はある。しかし、成果は友釣りの方が良いのだ。それでも私が投網漁を好きなのは、水中をのぞき、ヤスを構え、岩陰の鮎と正対し、川と一体となって行うものだからである。地引き網や底引き網は根こそぎである。

 みんなトラレテしまうのではないか、鮎も石油も票も。心配であるが、私には今、学習塾と週末の漁しかない。冗談ではなく、日米2つの方向性に対し、反応するべきである。

 私は、昼休みの漁に挑戦する!ますます体力勝負の夏である。43歳。

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2005年8月11日 (木)

数学を教えていると

 夏期講習も後半戦に入り、数学の問題に頭を使っている。ウチは他と違って、全て個別指導だから、自分で言うのもおかしいが、大変疲れる。こっちは、方程式、こっちは図形、あちらは関数。というようにそれぞれに指示を出し、問題に取り組ませている。一人で、5人平均の問題を見なければならない。講師は疲れるが、生徒は授業を聞いているだけよりも格段に頭を使うし、問題をこなす量は圧倒的に多い。力が付く。

 そんな最中、電話が鳴った。

 「もしもし、石油先物取引の○○ですが、一度お話を聞いていただけないでしょうか」

 「申し訳ありませんが、私は全然興味がないもので・・・・・・・」その時、単位を揃える学習をしていた生徒の問題が目に入った。

 「そういえば、石油の単位はバレルですよね。1バレルって、どのくらいの量なんですか?」「ガロン、って単位も使いますよね。日本はリットルですし・・・・いったい・・・」と言いかけたところで電話が切られた。我ながらすばらしい応対だったと思う。

 その原油は1バレル65ドルを突破した。(ニューヨーク・マーカンタイル取引所)北海油田の枯渇が現実のものとなりつつあり、イギリスやノルウェーは対応を迫られる。先般も書いたアメリカの包括的エネルギー法案はブッシュ大統領の署名をもって発効した。新日本石油も自主油田の開拓を目指す旨発表があった。

 数学をやっていて楽しいのは、解法を見いだし、新たな展開があるときである。先般の新潟日報社説で未だ一回も行われていない、柏崎市長、刈羽村村長、新潟県知事の原子力三者会談について指摘があった。市長が口では「原子力は柏崎にとって大事な産業だ」と言っていても、戦略もなく、またそれを明らかにせず、強い支持を受けている反原発団体におもねっている様は全くいただけない。

 本当に大切な時期なのだ。市民の声を聞くのもよし、赤煉瓦も良いが柏崎は日本の中でもエネルギーに対し唯一に近いほど発言できる都市なのだ。新たな展開が見えない。

 ちなみに1バレル(barrel)(樽)=約159リットル、1ガロン(英)=4.546リットル、1ガロン(米)=3.785リットル ということである。

 さて、皆さん問題です。1バレルは何升でしょう?数学が得意になるこつはとにかく問題にあたることである。もちろんよい指導者が大切である。何事も。

 

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2005年8月26日 (金)

一言で言うと part2

 解散・総選挙:参議院で法案が否決されるとなぜ、衆議院が解散されるんだ!と怒りをあらわにする方もおられるが、3回の自民党総裁選、首相就任後の衆議院選挙、参議院選挙全てにおいて、小泉さんは、もしくは自民党は郵政民営化を公約しているのだから、そして、法案が100%のものではないにしろ、それを貫くものには理念があり、日本の今後に関する具体的な前進があるのだから、「否決は内閣不信任と見なす」という内閣総理大臣の決定には理がある。

 政治:お祭りなんだよな、というコメントを頂いた。そうであろう。日本においては「政:まつりごと」という。祭政一致であったわけである。「政」という字は「支」と「正」からなっている。「正しさを支える」ということになる。フェスティバルであり、かつ権力を得て治めるための所作であるのだ。政治とは華があり、そして力があるべきものである。

 郵政民営化だけではない!:と叫ぶ御仁も政党もあるが、基本的には郵政だけである。叫ぶ方々は遠吠えである。解散権を唯一持つ首相が「郵政民営化で民意を問いたい」と言って解散したのだから。

 その他:も大切である。憲法問題、年金も、少子高齢化も、教育も、エネルギーも、国際社会の中での経済も。けれども、残任期1年の小泉さんに全てを託すのは無理である。今何よりも大切なのは「郵政」の名を借りた「日本人改革」の第一歩なのだ。私自身は忍びないところもある。何度も書いてきたが、漸進主義的な日本人資質に愛着もあるのだ。けれども、否応もなく国際社会の一員としてどころか、世界第2の経済大国として、果たすべき責任は大きい。日本人らしさに愛惜を抱きながら、誇りを抱きながらも、「覚悟」を決めなければならない時なのだ。昨年の私のキャッチコピー「少し変わる勇気」はそのことを意味していた。「少し」というところに意味があったのだ。「少し」は柏崎にとっても日本にとっても勇気が必要であり、小泉さんの言い方「郵政民営化を出来ずして、他の大改革、構造改革が出来るわけが無いじゃないですか」につながる。傲慢な言い方を許していただくならば、私は勝たなければならなかった。刺客をおくるだけの力量、胆力がなかった。

 柏崎市政:些末なところで終始しているような感じがする。柏崎の発信力が感じられない。先般の原子力安全協定の改定はしかるべきものである。しかし、国に対しての発信力はアッという間に低下してしまった。

 旧公会堂:日石跡地の赤煉瓦が取りざたされている。今となってはの話だが、県立美術館が設計に入る時にちょうど差し込めた物件である。もちろん、煉瓦の利用に留まるが。それよりも旧公会堂、喬柏園とその裏の庭の保存、改修である。申し訳ないが、果たしてきた役割、果たしている役割。これは赤煉瓦の価値の少なくとも十倍はあるものである。西川市政の時から遺跡センターだとか市民活動センターだとかが、長期発展計画に載せられてきたが、私自身は賛成してこなかった。正に文化財として、庭を整備し、中段の間に手を入れ、上段の間を再築し、柏崎市民がいかに文化レベルが高かったかを後世に伝える施設として残すことを求めてきた。もちろん利用できる施設としての再整備である。駐車場の問題もあり、財源もあり、難題だが、市民のレベルでの熟度の高まりを待つ課題ではない。為政者が歴史を認め、その中から民意を忖度し、価値を認め、決断し、財源をやりくりする問題である。私は自分の家が喬柏園に近いからという理由で言っているのではない。

 日本に求められるもの:少し変わる勇気である。それを集約するのが民主党でなく、自民党でもなく、小泉純一郎氏個人であるところが残念だし、不安である。元に戻る可能性だってあるのだから。

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2005年8月29日 (月)

義経は誰だ!

 NHK大河ドラマ「義経」は壇ノ浦の合戦である。平家軍の策にはまり、進退窮まった義経は、戦の常識を覆す奇策に討って出た。水手・梶取などの非戦闘員を攻撃し、形成を逆転させる。マナー違反だろうが、何であろうが、勝たなければ、という一面である。

 一般に、義経は「判官贔屓」(ほうがんびいき)という言葉で言われるように、日本人独特の敗者の美学、弱者への同情の象徴ともされる。だからこそ、未だドラマになる。また、為政者たる頼朝、家康の人気の無さとは対照的である。

 ただ、より大きな視点で見ると、壇ノ浦で義経に負けた平家は「平家物語」や「平家ガニ」でも明らかなように、より大きな同情を今なお引いている。私など、平家物語のリズムに惹かれるものも多い。

 明日公示される、衆議院選挙。小泉さん、亀井さんという対極的な構図になっていて、民主党の影が薄いが、亀井さんが義経とは思えないし、小泉さんが頼朝、家康とも思えない。奇策を連発する小泉さんが義経か?また、ご本人は信長になぞらえられることに満更ではないようだが、表面上は「私は信長ほど激しくない、穏やかだ」ともおっしゃるわけで、結局は小泉純一郎氏そのものなのでしょう。私自身、今回、比例区は自民党に入れるが、亀井さんの人柄というか、泥臭さというか、私は結構好きなのだ。かといって、このままでは平家ガニならぬ、郵政亀となって国民の同情を引いていくとは思えない。選挙はホリエモンの登場で、いわゆる保守、無党派層をそれぞれ分断し、民主候補が漁夫の利を得る可能性もある。(残念ながらこれは私が一番良く知っている)

 「義経」の後、超小型コンピューター「ICタグ」の世界標準を巡る、日本と欧米の主導権争いについて「日本の群像:NHKスペシャル」で扱っていた。コストが断然低く、性能的にも見劣りしない日本製タグがISOに採用されず、米国製が採用される顛末を描いていた。技術担当者の「悔しさ」は想像できる。しかし、なおかつ残念ながら「判官贔屓」はもとより通じない社会である。

 toronの開発者、坂村健氏の言葉が象徴的だ。「全く独自のものを圧倒的に引き離さなければならない」

 義経のイメージに思いを抱きながらもそれを追ってはいけない時代なのだ。

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2005年9月 5日 (月)

アメリカの惨状

 アメリカでもこうなのか、という衝撃の方が私には強い。確かに「カトリーナ」の破壊力はすさまじかった。しかし、アメリカ国民にとっても、ハリケーンそのものよりも世界第一の国であったはずのアメリカの災害対策、避難誘導、救助体制がこの程度なのかというショック、結果として為す術がなかった、という突きつけられた事実のほうが大きかったのではないか。「9.11」よりも大きいかもしれない。

 アメリカ海洋大気局(NOAA)は既に8月2日に今年のハリケーン予測を発表していた。例年より多く、そして規模の大きなものとなる可能性を指摘していた。私の友人はこのNOAAの法律顧問を務めていた人間だが、地球温暖化と海水温度の上昇など様々なことを言っていたことを思い出す。

 その彼が今回の被災地にある古い私立大学の教授になるという知らせが、彼の母親から届いた。その大学の様子を調べてみたところ、8月26日15:30(現地時間)までは通常であったが、その後すぐに緊急システムにインターネットも切り替えられ、翌27日10:00(同)には具体的なハリケーン対応が始まっている。29日未明にはハリケーンが通過中であり、30日には被害の大きさが知らされ、9月1日には緊急対策チームもヒューストンに避難している。現在も緊急システムを使って被害の把握に努めている様子が分かる。人心を鼓舞し、勇気づける言葉の数々はその状況が著しく困難であることを予想させるものである。

 メキシコ湾岸の製油基地への打撃はアメリカ経済にも大きな影響を及ぼすであろうが、ひいては世界経済にも影響を及ぼしつつある。ブッシュ大統領の政治的ポジションのみならず、アラン・グリーンスパンFRB議長の金利政策も微妙に影響を受けるであろう。

 ニューオーリンズは、「バーボンストリート」などジャズ発祥の地としてのイメージはあるが、実際には貧富の差から来る治安の悪さでもかなり名の知れたところである、という話を聞いたことがある。そのような背景が今回のような1週間を現出させていることはまず間違いない。

 正に図らずもハリケーンによって暴き出されたアメリカの実態である。今、日本は総選挙の真っ只中である。郵政民営化の選挙であるが、そのあとは腰を落ち着かせ、日本の有り様を真剣に議論する国会であって欲しい。私は健康的であり、本音で動くアメリカが好きであり、脳天気であり、余りにも単純化してものを考えるアメリカが嫌いでもある。私は災害時にも整然と避難できる日本国民が好きであり、何事も隣の様子を伺いながら行動する日本国民が嫌いである。

 今度、教授となった友人に聞いてみたいと思う。「アメリカという自分の国を君は一体どう思っているんだ?」

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2005年9月 7日 (水)

ドラッグストアと広報、そして政治

 ドラッグが怖い話は昨日書いたところだが、今朝ドラッグストアの広告が入ってきた。朝から笑ってしまった。

 「ブレインサプライズ」:「最近、物忘れが多くなったそんな方に是非おすすめします!」というキャッチ。文字通り、脳は驚くのだろうか?

 入浴剤「モアビア」:風呂上がりのビールが美味くなるものらしい。入浴剤ですゼ!?

 ダイエット薬「ファイヤーボディ」:燃焼系ダイエットなのだそうだ。全く恐ろしい。

 衆議院選挙ならびに最高裁判所裁判官国民審査広報が入ってきた。ドッラグストアの広告と並べるのは失礼だが、衆議院の方は似たり寄ったりであった。

 「まがいものの改革」「本物の改革」「改革のエンジン」「確かな野党」「日本を変える」「明日をつくる」ちょっと聞き飽きたなあ。私が思うのだからほとんどの人がそう思うんじゃないかなあ。どうせだったら、

 「郵政で、優勢!後が続きません。ですから、今度はあなたが、You say!」とか

 「真面目一筋、中身はバラバラ、選挙後こちらが解散します!」とか

 「いつでも与党です!安心してください。」とか

 「スジが通っています!ですから食べにくいんです!」とか、・・・・・無理だよね。

 一方、国民審査って99%の人がよく考えずに、何も印を付けずに投票するか、意地の悪い人は全部×をつけるとか、面倒くさい1人おきに×をつけるかとか、誰でもいいや1人ぐらい×をつけておこう、とかだと思うのだが、私も未だこの審査の意味や在り方については疑問を持っている。

 しかし、皆さんも広報をよくご覧になった方が良い。非常に真面目で、誠実である。虚飾など無縁のものである。こちらの方々を衆議院議員として投票したいところもあった。が、余りにも対比的な広報を見て考え直した。

 政治とは、と考えるとマックス・ウェーバーの言葉が思い出されたのだ。引用する。目が覚める。

 「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が、自分の立場から見て、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。 どんな事態に直面しても 『それにもかかわらず!』 と言い切る自信のある人間、そうした人間のみが政治への 『天職』 を持つ。」 

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2005年9月 9日 (金)

もっと大事なこと

 9月議会の一般質問が終わったようである。そして、質問はおざなりのものであったという印象を拭いきれない。原子力行政についてである。

 去る8月16日宮城県の女川原発周辺で地震が起きた。東北電力女川原子力発電所全3基が自動停止した。そして、設計用に理論上想定した最大の地震「限界地震」を上回る揺れが確認された。

 このことの重要性を誰も認識していないのだろうか。原発反対派、もしくは脱原発と自称していらっしゃる方々は、何を遠慮しているのだろうか。不思議でならない。もとより推進派、容認派もである。

 科学的にこの状況が安全であるとしても、想定を越えたという事実についての不安を解消するという方向性が、近年の不祥事や事案から得たものではなかったのか。もし必要であるならば、公共施設の耐震補強と同様に、地元として強く求めていかなければならないのでは無かろうか。それが大規模なものであったとしても当然のことである。

 私は原発容認派であり、プルサーマル容認派でもある。しかし、国の安全基準に対しては、また規制の在り方については強い疑問を呈してきた。

 原子力安全委員会でも耐震基準について見直しを進めているはずだが、何よりも地元として「推進」「容認」「反対」問わずに、合理的な説明を求めてしかるべきである。

 「地域の会」が原子力長計改め「原子力政策大綱」に意見を提出したそうだが、これはしかるべきものとして、先ず誰よりも柏崎市が意見を出すべきである。はっきりとした柏崎市のスタンスを表明するべきである。

 原発反対派がその姿を隠して応援した市長は言葉の上では「原子力発電所は地域にとって大切な存在」と言い、結果、議会は市長の政治的立場を慮って、おざなり、であるならば柏崎にとってこれほど不幸なことはない。原子力安全協定の見直しなどで、お茶を濁している場合ではない。申し訳ないが、そんなことは私でもやった。

 敢えて言う。市民の声よりも、柏崎市の今後を見据えた「骨太の政策」が今求められる時なのだと思う。見せかけのままごとが続いていくならば、柏崎市は郵便局と共に無くなってしまう。率直さを失い、本来の役割を見失うと、無くなってしまう。社会党が自衛隊を認め、村山首相、土井衆議院議長を輩出して無くなったのと同様である。

 市長選挙。原発反対派や脱原発派を「表に出さず」に勝った現市長、「表に出ている人は沢山」だったけれども負けた前市長、「表に出られないけれども応援している」と言われて負けた私。

 柏崎は負けるわけにはいかない。表に出て実質勝負である。遠吠えではない。

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2005年9月12日 (月)

選挙結果と8年前の柏崎市議会

 今回残念だったことがいくつか。

 先ず、衆院比例東京ブロック(定数17)で、自民党の名簿搭載者が足りずに、公職選挙法の規定により、代わりに社民党候補が当選したこと。よりによって社民党。

 二つ目。衆議院の郵政法案採決時に棄権、欠席議員が当選したこと。反対議員の綿貫さんや亀井さんの訴えやコメントには耳を傾けるべきものがあった。

 三つ目。新潟県選出の国会議員で、郵政民営化法案に当初から賛成してきた議員が1人もいないこと。つまり、誠に遺憾ながら国政をリードしうる資質を持つ議員がいないと言うこと。ただの国会議員ばかりであること。

 総じて私は今回の結果を喜ぶ、そして少し心配、といったところである。郵政法案が衆参両議院で可決されるであろうこと、これは良し。与党327という数字が参議院の否決案件を衆議院で再可決させ、成立させうる数字であること。これはあらゆることに及ぶわけで少し心配。そして、日本人の余りにもの単純民主主義を心配。小泉さんが哲人政治家であることを望む。

 ちなみに新潟県の自民党系県会議員は今年の6月県議会で「拙速な郵政民営化に反対する意見書」を可決させている。今年である。

 8年前、柏崎市議会に同様な意見書が提出された。平成9年の6月議会であった。32名の定員中、私以外31名の賛成で可決している。提案された意見書と私の反対討論を掲載する。(柏崎市議会ホームページ

 提案者も私のごく親しい議員さんでいらっしゃたし、何よりも 31対1 というのは14年間の議員活動の中で唯一であり、強い印象がある。

              郵政事業のあり方に関する意見書(案)

上記の議案を別紙のとおり議会会議規則第14条の規定により提出いたします。

                            平成9年6月20日 

                    柏崎市議会議長 高橋長究様
           郵政事業のあり方に関する意見書(案)
 郵政事業は、山間僻地を含め、全国2万4,600のネットワークを通じ、郵便、貯金、保険事業のみならず、年金の支払い等の窓口サービスなど、国民の日常生活に深いかかわりのあるサービスを提供し、国民生活の安定と福祉の向上に大きく貢献をしています。
 しかし、最近、行政改革の論議の中で、郵政事業の民営化への動きがあり、これが実行されると、そのサービスは、大都市など採算を重視した収益性の高い都市部に集中し、不採算地域においては、サービスの低下のみならず料金の値上げも懸念されます。
 また、郵貯、保険資金は、財政投融資を通じ、社会資本の整備に極めて大きく貢献してきており、これも民営化により公的資金としての活用ができなくなります。
 さらに、郵便局は、過疎地におけるコミュニティの中心としての役割を担い、今後とも一層充実が期待されているが、民営化となれば、収益性の低い過疎地域の郵便局は廃止へと進み、一層の過疎化の進展が予想されます。
 これからの郵政事業の果たす公共性、社会性を考慮し、今後とも国営、非営利の現行経営形態を堅持し、国においては、分割、民営化に向けた取り組みを行わないよう強く要望いたします。
 以上、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出いたします。
 平成9年6月20日
                           柏 崎 市 議 会
 理由
 地域社会に根差した郵政事業を求め、もって市民生活の安定と福祉の向上を図るため。

桜井雅浩 

 村山さんから、また、御指導いただきましたけれども、先般、村山さんの方から、少数政党の悲哀がわかるかというようなお話を承りました。まさに、私は、きょうはそういった政党ではございませんけれども、少数の、ごく少数の立場で、反対の立場で討論をさせていただきたいと思っております。
 委員会でも申し上げたわけでございますけれども、私の考え方を述べておきたいと思っております。
 まず、この意見書の文案を拝見しますと、最後のところで、国においては、分割、民営化に向けた取り組みを行わないように強く要望いたしますというふうに書いてあります。私は、やはり、郵政事業というものを、全体を含めて、民営化も含めた議論があるべきだろうというふうに考えるものであります。いたずらに私はすぐに、早急に、全部一気に、というふうな考えは毛頭ございません。しかし、今こういった日本の経済そのものも、もしくは世界経済の中における日本の立場も考える中で、金融の自由化、もしくは市場経済を、このまま日本経済が停滞している中で、終わらしていいものかということを考えるならば、やはり、郵政事業といったものも民営化も視野に入れる中で、大きな枠組みを考え直すべきだと思うわけであります。
 具体的には、例えば、郵便貯金がよく言われることですけども、220兆の預金残高を持っている。これは、日本の国民の個人預金残高の約3分の1を占める割合であります。1つ大きな都市銀行の約2倍の貯金残高を持つわけであります。
 こういった状況が、果たして市場経済の中で本当に望ましいことなのかどうなのか。確かに今、都市銀行を初めとして、金融界はいろいろな問題で揺れております。そういった不信感もあろうかと思います。しかし、それはそれとして、別個の問題として、現状、公の機関が、国の3分の1の預金を扱っていいものだろうか、市場経済の上でいいものだろうかという観点から、ひとつ疑問を呈しておきます。
 2点目は、文面にもありますけども、全国2万4,600ネットワークと、云々とあります。しかし、例えば、これにかわるものとして、皆さんの身近に、これは柏崎市内でも、どんな山間地に行っても宅配便、別に固有名詞では申し上げませんけれども、宅配便の取次店というのがございます。調べましたらば、柏崎市に宅配便の取次店だけで、約500以上、500から600の取次店が柏崎市内にあるというふうに伺っております。そして、配達もどんな山間地であろうと、確実に行くというふうに配達をしていると。配達が除かれる区域はないというふうに伺っております。そういったことを考えるならば、民間でそういった郵便の、郵送というんでしょうかね。そういったことだけでもできるのではないのかなという観点から1点指摘しておきます。
 それから、3点目は、これはなかなか言いにくいことであって、また、怒られるかもしれませんけれども、現在の特定郵便局の制度というのを、私はおかしいと思っています。国家公務員でありながら、世襲制と断言はしませんけれども、世襲制に近い形の中で、国家公務員が任命され、そして、仕事をしていらっしゃるという状況というのは、やはり私はおかしいと、公平の原則からしても、いろいろな観点からもおかしいというふうに考えております。
 そういった中で、私はそのあり方も、ぜひまた変えて、変えることをね、視野に入れた取り組みをしていただきたいと思ってます。
 それから、この文面の中にあります財政投融資制度ですけども、これは財政の上でも、やはり、私は財政投融資制度そのものも、第2の予算というふうに言われてますけれども、これはやはり、財政上の上から、もう少しはっきりとした位置づけをするためにも、財政投融資制度そのものを私は見直すべきだというふうに考えているものでありますので、以上言った3点、4点でしょうかね、こういった観点から、残念ながらでありますけれども、この意見書には反対の立場で討論いたします。
 以上です。

 ちょっと自慢だね。     バカ、ダカラマケルンダ!

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2005年9月14日 (水)

選挙と三百人劇場、そして新潟県だけ

 「小泉劇場」は勝利を収めたが、東京都文京区本駒込の「三百人劇場」は老朽化のため、06年末で閉館するそうである。私は東京にいるとき何回通ったことか。私の場合は主に映画だが、ルイス・ブニュエルやアンドレイ・タルコフスキーなどいわゆる前衛的な映画である。こういった映画は女の子と見るものではない。一人、巣鴨の駅から歩いて行ったことを覚えている。自転車で行ったこともあったなあ。ともかく、寂しい。

 選挙の結果はご存じの通り。小泉首相もそう思っていると思うが、勝ちすぎである。同時に、いかに国民がリーダーを求めているか、という明確な証左でもある。そして、同時に朝日新聞文化面コラムが正しい。文化面であることがポイントである。

 「劇場政治は、一気に政治を進めて結果をもたらすが、政治について深い理解と冷静な判断を阻害することがある。さらにまた、豊かな議論を塞ぎ、結果的に政治の可能性を縮減することもあるからである」(谷藤悦史:早稲田大学教授)、

 「首相のリーダーシップ強化、小選挙区による政策中心の政治を唱えたのは、もともと小沢一郎氏や岡田代表の方であった。・・・小泉氏は彼らの改革に反対したのである。・・・ところが、本来民主党の主張であった派閥政治の終息や首相権限の強化、政策選択の選挙はことごとく小泉政治によって実現され、民主党は正にそのおかげで敗北した。・・・民主党は有効な政策選択肢を打ち出せず、代替的政策が不明瞭なまま政権選択を訴えても説得力はない。」(佐伯啓思:京都大学教授)

 新潟日報が全国の中でも特異な新潟の状況を記している。小泉首相の遊説、てこ入れを判断するに、事前の世論調査を行ったところ、「新潟、北海道、岩手三道県だけ旋風が吹いていない」と全国からの乖離を党本部が判断し、 県連が求めていた小泉首相の新潟入りが実現しなかったという。当然であろう。総裁選では、亀井氏を応援し、ほとんどの議員が、郵政民営化についこの前まで反対だったわけだから。

 全く、筋を通していただきたい。亀井氏や綿貫氏はその点立派である。一方、部下分隊は参議院でも中曽根弘文氏らがこぞって「郵政民営化」に今度は賛成するという。それでも北海道は鈴木宗男氏、そして、鳩山由起夫氏の地盤である。岩手は小沢氏の地盤である。残念ながら新潟にはリーダーはいない。本当に残念ながら筋の通った国会議員はいない。民主党も同様である。新潟方式などと称して、理念とは別に議席を得んがためだけである。議席がなければどうしようもないのだから、百歩譲って認めたとしても、それを高らかに歌うな!恥を知ってもらいたい。

 以前私も「本当は逆」でも書いた。佐伯氏が書いたパラドクスは実際である。新潟県は逆行し、茶番を演じている。まだ気づかずにいる。新潟県だけがおいて行かれる。300人劇場が目指した高邁な理想、前衛を目指すならばともかくも、全く恥ずかしながら「ただ訳が分からないだけ」「ただ覚悟が出来ないだけ」「ただ大きな流れを見抜けないだけ」である。

 小泉劇場にも登場できない新潟県は「300人劇場」よりも早く無くなってしまう。無くなって寂しがる、困るのは県職員と県会議員だけかもしれないが。しっかりしていただきたい。

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2005年9月17日 (土)

抜き打ち検査

 朝日新聞の報道によると、原子力発電所の検査態勢を見直し、06年に「抜き打ち検査」のほか、第三者機関による原発の監視システムを導入する、そうである。

 遅い。

 1999(平成11)年11月16日、第2回全国原子力発電所立地議会サミットは東海村の臨界事故直後に開かれたものだったが、まとめとして宣言文を採択している。とりまとめを行い、宣言文を書いた私は、これが実現するのはいつのことだろう、と漠然とした不安を抱いていたことを覚えている。

 というのも、こんなことがあったのだ。

 臨界死亡事故という大惨事の後なのだから、国は、しかるべき人間を出席させ、官僚が書いた祝辞などではなく、政治家が自らの言葉で、責任を持って話して欲しいと要請していた。仕方のない官僚の代理出席は認めるが、祝辞の代読は認めない、との方針を伝えていた。にもかかわらず、祝辞を携えたしかるべき官僚がやってきて、「大臣の祝辞を代読する」と言ってきた。私は、拒否した。国との関係を心配する柏崎の議会事務局の局長は一瞬とまどった雰囲気だったが、「わかりました。桜井さんの言うとおりにします。」と覚悟を決めた。大臣の祝辞は読まれなかった。

 1、 原子力安全委員会の抜本的な見直しを行うこと。原子力のリスクを認識した中立的チェック機関として独立させ、質量共に充実した、強い執行権限を持つ組織へ早急に改組すること。

 1、原子力関連機関への調査、査察に実効性を持たせ、抜き打ち検査の実施、また違反時には重大なペナルティを課すなど厳しい態度で臨むこと。

 この二つは宣言文の一番上に書いた事柄である。

 この後、東京電力不祥事があり、プルサーマル計画は白紙となった。そして、未だ、原子力安全委員会は執行権を持たず、原子力安全・保安院は原発を進める経産省の中にあり、そして鉱山、火薬、都市ガス、高圧ガス、都市ガスの保安をも担っていて、原子力専門の機関ではない。原子力安全と保安の間に「・」があるのはそういう意味である。官僚の作文である。テンでなっていない。

 

 

 

 

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2005年9月24日 (土)

分からない

 地方公務員の定員・給与削減、議員年金の廃止は小泉首相によって実施、検討が始まった。郵政民営化に関する民主党の対案は「郵貯・簡保」の民営化か廃止でまとまる方向に動き出した。それぞれ私が訴えてきたことでもある。しかし、いったい選挙は何だったのだろうか?民意を聞いて方向性を改めたと言うことか。

 柏崎も同様である。「市民の声」という表題は見えるが、少しも変わったという雰囲気は感じられない。変わろうとする意欲、何よりも元気がない。柏崎市でも新たに行革論議が始まっていると聞くが、行革によらず市長の考えが相変わらず見えない。一体全体どうなっていくのだろう。批判のしようもない。

 先の衆院選挙で面白かったことがある。郵政民営化に関する候補者へのアンケート。民営化賛成論者は郵貯や簡保の口座を持ち、反対論者は往々にして持っていない傾向があった。なんで?かくいう私も郵貯はともかくも、3人の子どもの学資保険に入っている。加えて、いわゆる特定局とのつながりからである。もちろん先の選挙では応援をいただけなかった。そのことは分かっていた。

 原油高が日本経済に及ぼす影響は少ないそうである。少ない原油で、高い生産性を維持で出来るようになっているのがその理由だと聞く。つまり効率的なエネルギー利用をしていることになる。調べてみるとGDPに対するエネルギーの消費量はアメリカの約37%、イギリスの約50%、環境先進国といわれるドイツの70%である。 また、発電方法は1970年代は約80%が火力発電であり、現在は50%を切るところにまで低下している。つまり、日本は原油をはじめ殆ど無い資源で生き延び、成長してきたのだ。技術力であり、それは人の力である。柏崎も同様であったはずだ。敢えて言う。柏崎にある少ない資源は東電であり、リケンである。自然や観光ではない。おねだりだけでなく、もっと有効に使えるはずだ。

 先般、ある「柏崎経済人」に「桜井さんは経済がわからん、という話を聞く。」とお小言を頂戴した。もちろん反撃した。「違います。商売が小さい、年齢が若いという評、不安ならば甘んじて受けますが、経済が・・・というのは見当違いです。」

 残念ながら「柏崎経済人」はたくさんいる。そして、格好も変わらず、カッコも取れない。こういった柏崎に愛惜を抱きながらも変えていかなければならないのだ。本当に。時間が無い。「ぶっこわす」と言わなかった私も悪い。

 過日、新花町の納涼会で「オメさんは全然悪くねえんだから。オメさんしかいねえんだから、ガンバレ!」と言われた。ありがたい人の情である。しかし、私が悪かったのだ。

 さて、皆さん、一緒にぶっこわす覚悟はありますか?

 

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2005年9月26日 (月)

気分はどっち?

 「NHKスペシャル 日本の群像 再起への20年」は昨日「セブン&アイ・ホールディングス」の鈴木敏文会長にスポットが当てられていた。苦闘するスーパー、つかみきれない消費者の嗜好。鈴木氏は率先垂範する中で、言い切る。

 「商売は心理学だ。」

 桜井雅浩が言うのと鈴木氏が言うのでは残念ながら説得力に格段の違いはあるが、前にも書いたように、経済は複雑で単純である。

 今から20年前、まだ私が学生であった頃、ミニコミ誌を発刊していた。(全国誌に私の記事が3つ掲載された!ハハハ!)創刊準備号と創刊号、2号で確か終わったと思うのだが、私はその頃展開を始めていたセブンイレブンに注目し、書いたことを覚えている。キャッチは「何とセブンイレブンはイトーヨーカドーだった!」というもので、知られていなかった(学生には)資本関係をちょっと自慢げに伝えたものであった。今やセブンイレブンジャパンは株価時価総額でヨーカドーを超え、本家アメリカセブンイレブンをも買収している。

 ヨーカドーは昨日の番組から見ると、「少し高級」付加価値路線に向かうようだが、私は間違っていると思う。スーパーはスーパー。安いのが基本であり、デパート・百貨店・専門店で買うような価値はそれほど求められていないと思う。もちろん値段の割には高品質というものは歓迎する。いずれにせよこの30年を率いてきた鈴木氏の孤軍奮闘は、社員教育の歴史であったと拝察した。

 さて、何よりもホールディングスには「セブン・イレブン・いい気分」というフレーズをもっと全面に出していただきたい。これが全てを言い当てていると思う。オマケだが、国語の教師をしていたとき、漢文で「いいですか!これが韻を踏むという例です!」と大変便利であった。生徒には好評だった。

 もっと全面に出していただきたいのは「過去を捨てよ」という鈴木氏のポリシーである。私も、そして柏崎は更にかみしめなければならない。柏崎はまだ「いい旅・夢気分」である。

 

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2005年9月27日 (火)

ハリケーンと台風

 ハリケーンHurricaneと台風Typhoonがこれほど話題となった年はないのではないか。ご存じの通りハリケーンと台風は基本的には同じものである。Tropical Cyclone、つまり熱帯性低気圧である。それが、メキシコ湾岸というか、カリブ海というか、昔ながらで言えば西インド諸島近辺というかで発生したものはハリケーン、フィリピン近海から太平洋西部、南シナ海で発生したものを台風と呼ぶそうである。ちなみにハリケーンの語源は西インド諸島の原住民の風の神「Hurakan(ウラカン)」だということである。台風はtyphoonからきたという説があり、そのtyphoonはもともと中国語で『台風』(台湾からの風)あるいは『大風』からきているといわれていたり、他にもギリシャ神話に出てくる風の神、『Typhon』(テュフォン)からきたという説もあったり、色々だと言うことである。もちろん規模というか勢力の基準は低緯度で発生するハリケーンの方が大きい。

 以上の気象マメ知識から感じたこと。やっぱりアメリカのものは桁違いで大きくて、ハッキリしていて、東洋・日本のものは程々の大きさで、かつ語源さえもハッキリしない。

 全てに通じる。巨大なものが全てを無くし、ある意味きれいにしてから、ゼロから作り始め、発明、創始者に敬意を払い、白黒ハッキリとしたデジタル文化。合理主義。適度の破壊は、改築や増築、修理で事足り、改良、改善、曖昧なグレーゾーンに価値を見いだすアナログ文化。義理・人情。主義など無い。今朝の『朝日』コラムで編集委員氏が書いていた。

 「調整と妥協の政治から、討論と対決の政治へ。コンセンサス重視型から、多数派支配型へ。有権者から見れば『思い切ってやらせてみる政治』であり、『駄目ならとりかえる政治』への転換である。」

 私の畏友はかつてアメリカ合衆国政府の米海洋大気局NOAAに勤めていた。環境法が専門の彼は、この秋、南部にある名門大学に招かれ、教鞭を執るはずであった。しかし、今朝のメールによると、大学は来春まで閉鎖、「ハリケーンが職を吹き飛ばした」とあった。しかし、また、ワシントンD.C.で働くという。

 その彼がまだ学生であった頃、彼の学友とバカ広いキャンパスの一角で激論を交わしたことを良く覚えている。捕鯨についてであった。私は日本人がいかに鯨を大切にし、いかに効率よく使ってきた文化であるかについて説明するのだが、彼らは「なんであれほどの知的動物を殺すのだ」と言って譲らなかった。「あなた達は鯨から鯨油を採るだけじゃなかったのか!大体、ペリーが開国を迫ったのも、捕鯨船の補給基地確保のためじゃないか!日本人は肉を食べ、油を燃料とし、肥料として使い、果ては髭からバネまで作った!」と言いたかったのだが、そこまでは至らなかった。とんでもなく分厚いステーキを事も無げに食べる男たちに日本男児はひるんでしまった。

 地球温暖化が海水面温度の上昇をもたらし、ハリケーンや台風の巨大化を助長し、被害が大きくなってきているのはハッキリしてきたことだが、その地球温暖化に一番の大きな影響を与えているのもアメリカである。大雑把で、脳天気で、単純で、けれども健康的なアメリカ。「わからない」でも書いたが日本は本当にこまめな施策で省資源を実践している。鯨同様、効率的なのだ。 

 小泉氏の勝利はハリケーン級だが、私たちはそのことの意味と責任をもっと考えなければならない。

 私は、昨晩、鱈の煮付けを食べながら、「アメリカ人には箸で骨をとりながら、もしくは口の中で骨をよけながら魚を食べる技術は絶対無いんだろうなあ」、とちょっと誇らしかった。                                                                                        小さいねえ。台風にもならんわ!

 

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2005年10月 3日 (月)

清流に魚は住むか?

 過日、県北の川を訪ねた。県に、その川で魚を捕ることが認められているか、否かを確認し、元となる条例規則をダウンロードし、熟読した上での遠征だった。そこまでするか?我ながらそう思う。

 結果は、上々であった。収穫もあり、何より天気が良かった。水は透明で、山には秋の落ち着きがあり、最後の稲刈り時期を迎える田んぼは黄金色に輝いていた。ハンドルを握る道すがら考えた。

 平和な、のどかな暮らし。未だ日本の田舎にはある。ここには、アメリカもイラクもない。株価の動向も関係ない。郵政民営化は関係するだろう。都会の方々には想像できないだろうが、田舎ではお年寄りが、乳母車のようなシルバーカーを押して、歩き、近くのAコープ(農協)で買い物をし、郵便局ではもちろんATMなどは使わず、窓口で年金を下ろす。息子夫婦、孫たちは都会や近くのマチに出ているのだ。

 日本は最先端を進みながら、知識を集約させるような産業を、よく言われることだが研究開発型の企業を機軸としていかなければならないと思う。それもかなり急いで産業構造を変えていかないと、地方都市からまず、影響を受けてくる。

 柏崎でも、数年前に大型建設機械メーカー小松エストが撤退し、多くの従業員が転職や栃木県真岡への転勤を余儀なくされた。工場跡地は柏崎市が61,500㎡を21億で購入し、当時は小学校の移転とミニ新幹線用の駐車場用地と説明された。そのほかに研究所用地もあった。そのコマツはアジアの建設需要に押されて、業績が向上し、新たに新工場を建設するという。地元石川を視野に入れているのだろうが、もう一度柏崎へ、というアプローチは考えられなかったのだろうか。何よりも技術力を備えた人材がいる。

 超アナログの世界と超デジタルな世界が未だどのように進めばいいか迷っている。郵政民営化は象徴的だが、全てではない。この辺を解決していくことが日本の第二次経済成長を導くような気がする。成熟した経済成長と尊敬を集めうる外交。日本人のメンタリティというものがまだあるとするならば、今こそ考えなければならない時であるように感じる。

 温泉の露天風呂から見る青空は既に秋のもので、高く澄み渡っていた。こんなにのんびりとした時間を過ごしていいんだろうか、と不安になった。帰り道、道ばたには干しタコが並べられていた。あまりに美味しそうなので車を止め、ばあちゃんに値段を聞いてみた。5000円から2500円であった。電話での注文を受けながら私たちにも応対するばあちゃんに資本主義はしっかり根付いていた。迷った私だが、数千円のタコを買う身分ではない、と気づき買わなかった。

   

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2005年10月 4日 (火)

中曽根さん、後藤田さん、亀井さん

 順不同とはいえこの順かなあ。私の本棚には中曽根康弘氏の著書「天地有情  50年の戦後政治を語る」、後藤田正晴氏の「情と理 後藤田正晴回顧録」がある。後藤田氏は中曽根内閣の官房長官である。亀井静香氏は中曽根派の後継者である。

 後藤田さんが法務大臣を務めた際に、死刑判決を受け執行命令が出されていない人が50数名いたという。「死刑の執行命令を決済するか」という問いに対して、後藤田氏は「おれは必ず決済するよ」「法律の意義とはそういうものだよ」と答えたという。団道重光氏から送られた死刑廃止論の著書を熟読し、その考えに反対ではない、としながら決済をした後藤田氏の賢察は深い。私自身は死刑廃止論者だが、毎日のように報道される「親が子供を虐待」、などという項目を見るたびにその考えが揺らぐ。

 中曽根さんは、著書同様最近の新聞紙上での論評に深く考えさせられる。また、「天地有情」は正に日本の行く末を考え抜いた本である。

 後継者たる亀井静香さんが自民党を追われ、衆議院本会議場で端の方に座らされていることに無情を感じるという早野透氏の問いかけに対し、

 「私も無情を感じますね。でも、これが政治だ。かつて政治の舞台で思い切ったことをやった人は、みんなこういう艱難辛苦を受けた。・・・・・・政治の中身は権力闘争だから、失敗すれば島流しのような目に遭うのも当たり前のことだ。それを切り抜けてきた人間が、ある意味では本物の政治家として成長してくる。大隈重信、犬養木堂もそうだった」(朝日新聞:9月29日)と亀井氏を励ましている。

 その亀井氏の著書を拝読したことは無いが、死刑廃止議員連盟の会長であることは前から知っていた。そしてこれまた前にも書いたが、私はなぜか亀井氏が好きなのだ。部下分隊はともかくも。亀井氏のホームページを初めてみた。皆さんもご覧下さい。

 亀井静香プロフィール:高校生、大学生時代、立候補の経緯はなかなかである。

 亀井氏の考え:ふるさとへの思い、日本への思いが感じられる。

 政治とは、と考えさせられる。

 

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